昨年のラストウオークは利根川沿いサイクリングロードの1時間ほどの散歩だった。いつもは朝の散歩だが大晦日の昨日はやることがなくなり夕暮れ時の散歩となった。掃除などまるであてにされていない毎年の暮れは手持ちぶさたとなる。家に居場所がなくなる時期が大晦日なんだからよわったもの。
非常に寒い昨夕、東部スポーツ広場でテントを張り暖をとっているグループがいるではないか。元旦の初日の出を見るのが目的だろう。この町での最高の初日の出スポットでの厳寒のなかでの挑戦、ご苦労さまです。
上空を見れば、1羽の鳥が強風の中、体を右へ左へ吹かれながらも西方にある木立に向かい飛んでいった。家族や仲間の待つ巣があるのだろう。果たしてたどり着いただろうか。
そして新年を迎えた。地元、箱石地区の新年会であいさつさせていただき、養命寺でお札を頂き、母親、兄弟とこたつを囲んだ。午後からはシネマ前橋で「ドキュメント小三治」を観た。昨年も元旦から映画を観たが、なかなかいい気分だ。噺家の道は奥が深いことを感じさせた。
一方、大晦日で日本航空のパイロットや乗務員100人以上が整理解雇された。日航の赤字経営の責任は労働者にはない。莫大な資金を投資につぎ込み大損したり、3桁の大型飛行機を買い込み膨大な返済や金利負担を強いられたり、採算の取れもしない地方空港に乗り入れたり、とその赤字経営の責任は全部経営側にある。危ない経営のなかで、事故が起きなかったのはパイロットや乗務員がきちんと責任を果たしてきたからだ。経営危機の責任を労働組合に転嫁しようとする姿勢すらみえるがとんでもない。国鉄分割民営化に際し、その国鉄赤字の責任が国労などの労働組合にあったようにマスコミキャンペーンを張ったあの時を想起させる。
また、こういう時ほど、ベテラン労働者の経験を活かそうという論調にならないのが問題だ。人件費という金額だけを判断目安にする。解雇された人たちはその撤回に向け裁判を起こすという。当然だろう。こんな理不尽なことがこれから民主党政権の中で次から次へと起こりかねない。
キチンと社会の総意でこのような解雇はいけないと経営側に思い知らせておく必要がある。個人的に日航関係者に知り合いはいないが、だからといって無関心でいてはならない。同じこの時代に生きている仲間ではないか。労働する事以外に賃金を得ることのできない労働者ではないか。連帯の気持ちを込めて書く。
全ては新自由主義政策の転換ということに尽きる。このことなしに労働者(勤労者)に未来はない。
これひとつとっても穏やかな一年という訳にはいかないようだ。
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