みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2010年3月31日水曜日

映画「沈黙を破る」から考える事

高崎映画祭の上映映画はやはり観た方がいい作品ぞろいだ。勿論すべては観られないが観た中で、「デイファイアンス」と「沈黙を破る」は特に印象的・示唆的だ。前者はナチスの弾圧と闘うユダヤ人たちの実話を映画化した作品。「誰がため」と両方観るといい。「沈黙を破る」は、2002年イスラエル軍がユルダン川西岸へ侵攻したとき、元イスラエル兵が自らの行為を告発する写真展を開いた。パレスチナ人の実態を撮り続けている土井敏邦監督が占領する側イスラエルの若者や社会に目を向けたドキュメンタリー。
若者たち言う。「イスラエル軍は世界で一番人権を大切にする軍隊というがとんでもない。学校で教わったこととまるで違う犯罪行為を軍はしている」。実体験に基づいた発言だから重い。「沈黙を破る運動」を支援している人も、実は14歳の自分の娘を自爆攻撃により死なせている。可愛い盛りの娘を失った悲しみと怒りは誰とも同じだが、この怒りと悲しみは家族を失ったパレスチナ人も同じだ。「こんな戦争状態の原因を考えると350万人のパレスチナ人を片隅に追いやる政策にある」とイスラエルの政策を批判する。「最後は話し合いで解決するしかない」という。是非、観て欲しい作品だ。

それにしても、第二次大戦時、ナチスに大虐殺されたユダヤ人が今、パレスチナ人をまた大虐殺している現実はいったい何なんだ。ユダヤ人が問題なのではない。シオニズム政策が問題なのだ。

一方の日本、拉致問題に関し、「家族会」の元事務局長だった蓮池透さんが「家族会」から脱退させられたという記事が昨日あった。簡単にいうと除名ということだろう。最近、蓮池透さんが書いた「拉致」という本を読んだ。以前とかなり変わってきた、事実を見る眼をつけてきたと思った。この問題は明治以降の植民地政策から読み解かないと解決不能だと、私は以前から考えている。朝鮮半島の現実は未だ「休戦中」、その中での軍事作戦の一環として行われた事件ということ。日本が軍事作戦でどれほどのことをしたのか、知れば知るほど恐ろしくなる。昨日(過去)のことはすべて伏せておき、今の拉致事件だけ主張しても通らない環境に朝鮮民主主義人民共和国はあることを認識すべきだ。「圧力一辺倒」の家族会の路線は極右路線で、それについて行けない透さんが除名されたならそれでいいではないか。最後は対話路線しかないのだから。
もう一つ、4月に金賢姫が来日し、それが拉致問題の解決になるよう期待する向きもあるそうだが、だめですよ。彼女はすでにすべて語ったし、それ以外のことは出てこないし、国民の感情を対北朝鮮批判一色に染めようとする単なる政治ショーに過ぎない。こんなことをして交渉相手をよりかたくなにさせて解決は遠くなるだけのこと。分かってないよ、中井さん。民主党になっても全く駄目だね。経済制裁で在日を困らせて溜飲を下げているようでは、政治じゃないよ。高校授業料無料化政策から朝鮮学校を排除するなどもってのほか。
 過日、韓国での金賢姫の会見の最後に、彼女は大事なことを言っていたのに、それを無視し、日本で反動的思惑を込めて引き回すのは止めた方がいい。彼女は「北の体面を立てながら交渉するといいですよ」と言った。言葉は正確ではないが、そういう内容のことを確かに言った。誰だってメンツをぶっつぶされて交渉などできますか。我々が逆の立場だったら、どうなのか考えたほうがいい。
 パレスチナとイスラエルの反目の中、イスラエルの元兵士の中から「沈黙を破る運動」が出てきた。日朝関係でも新たな模索と運動が両国から出て来るだろう。日朝国交正常化から南北統一を視野に入れた取り込みの伏線はすでにいくつもある。

2010年3月29日月曜日

是枝裕和監督作品「空気人形」


昨日は高崎映画祭の授賞式で大賑わいだった。
「空気人形」を観るのは2回目だが、是枝作品はいつも繊細で社会の一面を表現している。今の社会には人形としか関われない人が多く存在することを映像で表現し、それだって、何かと関わりながらも社会で生きているのだから、いいのではないかと言っているような気がする。人形(ダッチワイフ)の立場になれば、心を持ったとたんに、ややこしくなり、時に捨てられる運命に、それでも人間の役に立っているんだ、との思いがあるのではないか。何かとの関わりなしには生きていけない人間社会、それが人形でもいいんじゃないの、だったらもう少し人形のことも考えてよ。複雑に絡み合う現代社会を「空気人形」で表現した監督の深い表現行為にはうなるしかない。ペ・ドウナも魅力的な俳優だ。本当にいいですよ。
 受賞記念パーテイーで是枝監督と2年ぶりにお会いし、次回作の話も聞け、自然な雰囲気で話ができたのもよかった。
 常見さんの無理のない健闘をお祈りします。

2010年3月27日土曜日

平居先生を自宅に見舞う。

午前中は藤岡市鬼石町浄法寺の御園保育園の卒園式、17名の子供たちの卒園を祝うファミリィーな雰囲気で保護者、職員、来賓が自然体でいられる雰囲気だった。子供の数が少ないからだろうか。どこへ行っても課題は尽きない。来賓の関口茂樹県議と雑談、この時期どうしても選挙のことや八ツ場ダムの話になってしまう。

 午後は昨日退院した平居先生の自宅を岩城さんと見舞う。先生は元気な様子で病院での治療やら生活を話してくれた。「唯物論者は病気になると大変だよ」。信仰に逃げ込み、現実を紛らすことができないからという意味だ。ベッドのそばには「武装せる予言者・トロツキー」が置いてあり、娘さんに少しずつ読んでもらっているという。奥さんに案内され2階に行くと、窓際以外は本棚でマルクスの資本論は勿論、宇野弘蔵全集、大内力著作集、他社会科学系書籍が整然と並んでいる。学者の研究室のような部屋だ。
 「レーニンがもう少し元気で生きてくれたらロシア革命はこんな状況にはならなかったろう。俗物スターリンが権力を握った事が決定的だった。トロツキーはやはりすごい革命家だね」などと話してくれた。体調が良くなったら最終講義をしたいけど、質問に答える形になるかもしれないので、質問を集めて欲しいということになった。私は先生からいただいた本「戦前のファシズム」さえまだ読み終えていない始末だ。
何はともあれ明日は先生の63歳の誕生日、おめでとうございます。

 一昨日、志尾さんから頂いた「モギマサ日記」を半分ほど読み進んだ。茂木正男さんとは6年ほどだが土田君と含めて結構、本音のつきあいをさせて頂いた。私の後援会ニュースにも映画論を書いてもらったり、玉村町で5回行った映画上映会もみんな茂木さんに手配して頂いたものだ。読み進んで行くと、知っていたことも少しはあるが、むしろ知らなかった事の方が圧倒的に多い。夢多い熱く深い人だった事は確かだ。熱いところに人は集まる。茂木さんは文化ヤクザですよ。その茂木さんを映画をほとんど観ない常見次郎さんがしっかり支えているのも面白い。絶妙の二人、そして意志を継ぐ志尾さんの成長と、それぞれ状況と格闘しながらも映画文化の最先端で市民に勇気を与えてくれている。
明日の授賞式に備え、常見さんが今日退院する。無理をしないで椅子に座っているだけにして下さい。

2010年3月26日金曜日

映画「あんにょん・サヨナラ」

2月から楽しみにしていた映画、群馬県平和運動センターを中心とする実行委員会主催の県内4ケ所上映企画の3会場目の今日は、高崎シティーギャラリー。
 後藤かつみ、角倉邦良両県議が実行委員長を務め、始めと終わりにそれぞれ挨拶をした。二人とも若く問題意識もしっかりしている。何かと荒んだ社会の中で、排外主義や歴史の歪曲で自己満足する風潮に対し、押し返す運動の先頭に立つにはうってつけのコンビだ。
 日本軍に強制的に徴用され、中国で戦死し、靖国神社に合祀された父親を、靖国神社から取り戻すために苦闘する韓国人遺族に寄り添い、ともに闘う日本人の姿を通して、歴史の真実や靖国問題の本質に迫る作品。「靖国神社は軍事施設」と言い切る高橋哲也東大教授の言葉は説得力がある。「韓国併合」から100年目の今年、このような上映会を企画したことに敬意を表したい。
 4回目の上映会は4月10日(土)午後2時から吾妻文化会館。
そして明日からはいよいよ「高崎映画祭」が始まる。

2010年3月24日水曜日

軍服は語るー井上肇の作品


「昭和に生きた人間の証言として、決して陽の当たることはないとしても、描かなければならぬことのひとつと信じて描く」と作者井上肇さんが書き寄せた画集をご子息の井上健先生からいただいた。1枚、1枚の絵の重さに、戦時下を生きた人々の想いをたぐり寄せ、未来を軍服がのし歩く社会にさせないための大きな拠り所の一冊として大事に味わいたい。

午前は芝根小学校の卒業式に参加した。私自身の母校でもあり、知っている子も何人かいたのでより身近な卒業式に感じた。卒業生は73名、「水澄む利根と烏側 相(あい)おう上に開けたる わがふるさとは 上野(かみつけ)の南にあり 名は芝根」の校歌は時代を越えて歌い継がれている。3月は卒業式シーズン、中学校、幼稚園が終わり、29日は保育園の卒園式、そして4月は入学式と続く。

 夕方、シネマテーク高崎で「他がため」の鑑賞後、27日から始まる「高崎映画祭」の準備に余念のない志尾さんたちスタッフを訪ねた。土田君、山田高崎市議がいて、しばらく雑談、28日の授賞式に来る監督や俳優の出迎えの手順などを検討していた。華やかな裏では神経戦が続いているのです。大変だけど止められないんだと思うよ。癖になっちゃってるよ、きっと。映画祭の成功に向け、私も少しくらいのお手伝いはします。

2010年3月22日月曜日

食と農をつなぐいのちの講演会


「食と農をつなぐいのちの講演会」が藤岡市、みかぼ未来館小ホールで、昨年に続き開かれたので参加した。古代米浦部農園、JAたのふじなどの共催での企画だが、午前中は「未来の食卓」という映画上映だった。食卓を自然の味(オーガニック)にしようと南フランスの小さな村が動き出した一年間のドキュメンタリー映画。
昼休みは自然食品の販売がありにぎわった。午後には「有機で未来を拓く」と題し中島紀一茨城大学教授、「子育てはお米のご飯から」と題し宗祥子松が丘助産院院長の講演があった。スローフードと言葉では言いながら、全く実践できていない現実に溜息が出るばかりだ。

 この催しが終わる頃、同じ大ホールでは5時から始まる谷村新司「ココロの学校」の準備で、土田君が宇津木議長と一緒に谷村新司に会い、感激していたのを知ったのは、直後のことだった。9月予定の玉村公演への顔合わせという意味での表敬訪問でしょう。

2010年3月21日日曜日

彼岸花の植え込み作業


天候が不純の状況下、角渕の水辺の森公園に、町長他20人ほどが集まり、彼岸花の植え込みをした。現実に花を楽しむには3年程度かかるそうだが、未来の楽しみのために、仲間が集い汗を流すのはいい感じだ。作業は人数も多かったためか1時間程度で終わった。集まった面々の多士済々ぶりは小さな自治体ゆえかなとも思えた。

2010年3月18日木曜日

「富岡ゆきおを囲む会」が催される


昨日、午後から参議院議員の富岡由紀夫さんと町内を挨拶回りをした。政権交代から、まだ半年というか、もう半年というか、当初の民主党政権に対する期待どうりにはなっていない現実を、会う人ごとに批判された。しかし、政権を自民党に戻すことは時代への逆行に通じる、との共通認識で支持をつないでいる感じだ。
 私自身、民主党は保守党に分類してもいい程度になってきてしまっていると思う。もっとリベラルに方向転換しないと、時代ともかみ合わないことに気づくべきだ。有権者も目先だけで政治を判断してはいけない。どんな未来社会を描くのか、自分自身で考える必要がある。「政治とカネ」と一言で言うが、事務所経費、チラシ作成、機材等にかかる費用は個人でまかなえる金額ではない。大きな選挙は党、支持者を挙げた総力戦になるのは必然だ。建前論だけではすまない現実を見なければいけない。
 7時からは、三和食堂で、町長の参加も得て、「囲む会」を賑やかに開いた。伊藤基隆さんのあいさつやら中沢経吉さんの叱咤激励を受けながら、最後は、夏の陣に勝ち抜く意思統一ができた。

2010年3月16日火曜日

「台湾人生」から戦争の一面を知る

 今日で3日から始まった3月議会が終わった。一般会計規模で99億1500万円。また国民健康保険特別会計は前年度比3.9%増の30億587万円。景気の低迷で加入者は増加傾向、しかも不況下収納率は下がり基金も底をついてきている。今期は赤字になりそうな状況と聞く。そうはいってもこんな経済状況下、すぐ値上げとはいきません。一般質問は13人、昨年12月議会が15人全員だった。競争で一般質問をする雰囲気は問題、とする空気もあったのでその反映ともいえる。玉村町議会は一般質問の人数でいえば県内でも活発な議会のひとつだ。それぞれが色んな角度から町政に問題意識を持っていることの一つの表れとも思う。

明日は午後から、富岡ゆきお民主党群馬県連会長が玉村町に入り、夜には町内で「囲む会」を開き、夏の陣の体制を作る準備をする。鳩山政権には大いに不満だが、富岡ゆきおさんはリベラル派に属し、群馬県民主党にとりなくてはならない議員だ。歴史的使命をすでに終えた自民党に代わり新たな歴史的使命を果たしてもらわなければならない。。

ドキュメンタリー「台湾人生」、日本人として日本軍として第二次大戦を戦った台湾人の語ったそれぞれの人生。茶摘みをしながら鼻歌を歌う女性たちの姿から始まる。日本語はうまく、若い時いかに日本人として、生きたかを語る高齢台湾人の姿に「人間は信じられる」と思わされる。日本人として愛国心を叩き込まれ、中国とまたアメリカと戦い、敗れたとき、日本政府からは感謝の言葉もなく、日本兵としても扱われず、捨てられ、何の保障もない。「日本人は好きだが、政府は許せない」という親日派台湾人の言葉だけに重いものを感じる。戦争の一面を知るのに非常に役立つ映画といえる。シネマテーク高崎で19日まで。

2010年3月14日日曜日

富岡ゆきお後援会事務所開き


午前9時から箱石区の総会、今年度事業報告等を審議、来年度の新役員を決定した。最後に、地元議員として来年度予算と町政を簡単に述べさせていただいた。

午後2時からは、7月参議院選挙に出馬予定の富岡ゆきお後援会事務所開きに参加した。本人は勿論、比例で出馬予定の小寺弘之さんや各産別の候補予定者が紹介された。支援する自治体議員も大勢いたが、玉村町からは備前島議員も参加した。やはり話しは角田義一さんが圧倒する。本人の決意もたたかいの厳しさを感じさせる内容だった。国会議員は他に1区の宮崎、4区の三宅、比例の桑原、中島の各議員が参加、話す機会のあった富岡、桑原、宮崎の3人に、「民主党は高校授業料無料化から朝鮮学校を除外しては絶対いけない。これでは自民党以下になってしまい、政権交代の意味がない」と話した。富岡、桑原両議員は、「困ったもんだ。除外しないよう求めていく」と答え、宮崎議員は「難しい問題もあって」と言葉を濁した。民主党を名乗り群馬県から選出された議員も半分くらいは朝鮮学校を適用除外してもいいと考えている感じだ。庶民が感情的になって後先を考えないことをいうのは仕方ないとしても、政治家はそれをただすのが役割のはずだ。「朝鮮学校だけ除外されたとき、その子ども達は将来どんな気持ちで日本人と接するようになるか考えてみろ。教育はあくまで平等だ」くらいのことは言って欲しい。民主党も前途多難、リベラル派議員を増やし声を強める事が必要だ。政党再編も完全に視野に入れておく必要がある。

 昨日は、昼にテレビをつけると、藤沢周平原作の「山桜」を放映していたので、最後まで観てしまった。「幸せへの回り道」を描く藤沢作品は庶民の生活があり、人間もまんざらではないことを教えてくれる。

その後、高崎シネマテークで「マラドーナ」。人間マラド-ナを多面的にとらえたエミール・クストリッツア監督作品で大変面白い。「神の手」さえ使え、サッカーもうまいが、「人間のクズ・ブッシュ大統領に抗議する」「フイデル・カストロのためなら俺は死ねる」など発言録がなかなか痛快。19日まで上映。

夜もたまたまBSチャンネルで「パッチギ」を観てしまった。これまで10回ほど観たが名作だとつくづく思う。ということで、一日に3本観ちゃいました。まるで映画祭だね。
 その井筒和幸監督の最新作「ヒーローショー」は映倫からRー15指定つまり15才未満は鑑賞不可というもの。セックスシーン、暴力シーンが過激ゆえとか。土田君、井筒監督からお呼びがかかり、先日、調布での試写会に臨んだ。上映後会場から出るときは、内容があまりに重くて下を向いていたそう。「いいとか、わるいとかでなく、とにかく重くて」との感想。朝、4時まで監督と飲んでいたとか。井筒監督、危ない映画をついに作ちゃいましたね。いつかやると思っていたけど。

2010年3月11日木曜日

普天間基地問題は閉鎖、撤去しかない。

政権交代の真価を全く発揮できていない民主党を中心とする連立政権。自民党とその本質なところで対決する政策がまるでない。その例が普天間基地問題。「日米同盟の深化」などと自民党と寸分違わない政策をとろうとしている。社民党は県外、国外移設と声を上げるが、県外移設を言ったとき、その地の社民党が反対するのは決まっている。国外のグアム移転については、グアムの人々がこれ以上犠牲になってもいいのか、差別排外主義ではないかということになる。国民新党は保守党だから、はじめから屈服して現行計画の微調整。民主党には保守派だけでなくリベラル派もたくさんいるはずなのに、その声が聞こえてこない。北朝鮮の脅威、中国の脅威を声高に叫んでいればすむと考えているなら、まるで自民党と同じ、政権交代の意味がない。労働組合出身議員は何を考えているのだろうか。しかし、2大政党制とは実はこんなもの、政権が変わったとき、安全保障政策が正反対になったらどうにもならない、という考えがはじめからあり、そのために小選挙区制を導入したのだ。自民党と民主党の違いはA党かB党かの違いではない。AかA’程度の差にいずれ集約されていく。それが小選挙区制の本質だ。
 前橋、渋川上空を米軍機が飛ぶ時、住民からの騒音被害の苦情が絶えない。しかし、沖縄の苦しみはそんなものではない。日常間断なく爆音と危険にさらされ、誰にも苦情すら言えない。その事を思えば、危険な普天間基地は閉鎖・撤去しか選択肢はない。そのために政権交代したはずだ。新政権は腹をくくってアメリカにその意志を伝え、国民は集会・デモで基地閉鎖・撤去を求め、マスコミはそれを正しく報道すれば道は開ける。アメリカ万能神話はすでに終わっていることに、気づこうとしない人がまだまだいるようだ。
 また、高校授業料無料化に関し、朝鮮学校を除外するようなことになれば、政治の差別・敵視政策を教育の現場にまで持ち込むことになり、自民党以上の極めて反動的、無展望、無責任な政策を民主党がとることになってしまう。
 私たちは基本政策を変える政権交代を求めていたのであり、基本政策はそのままの政権移動を求めていたのではない。

2010年3月10日水曜日

今年の高崎映画祭のポスター到着

3月27日から始まる24回高崎映画祭のポスターや上映日程が載っている八つ折りの広告が土田君から束で届いた。又、春が来たな、と思える配りものだ。チケット協力をしなくては。しかし、なんと、外は雪景色だからこれも驚き。茂木正男さんとの出会いやいくつかの企画を思い出しながら、どんな映画を見ようかと考えている。始まれば、5時以降から2作品観る勢いだから20本は観る。是枝裕和監督もいいし、「ポチの告白」も観たい。

昨日は、予算特別委員会で各予算案が可決された。一般予算に関しては、一人反対者がいた。理由のひとつが広島への小中学生代表派遣事業、代表派遣が差別という理由で反対した。エレンズバーグ派遣も代表だが、こちらはいいのか。広島での平和教育に反対しているとしか思えない。
修学旅行の日程に広島を入れたらと提案していた私に取り、代表派遣はその一歩と考えている。評価したい。

今日から3日間は一般質問、今日の最後は自分の番だ。こつこつ働けばそこそこ生きられる社会がいいという観点から執行に問いたい。

2010年3月8日月曜日

中野洋さんの冥福を祈る。

昨日、新自由主義と最も良く闘った中野洋さんの通夜に参加した。個人的に親しかったわけでは勿論ないが、国鉄分割民営化前後から国鉄千葉動力車労組の委員長として、現在は顧問として、非妥協に時代と対峙してきた。著書「甦る労働組合」は熟読した。現場労働者をとことん信頼し、情勢を語り合い、悩み苦しみながらも、最も厳しい闘いの方針を選択していった経緯が書かれている。楽天主義で仲間を徹底的に信頼する任侠の人だ。昨年の政権交代を「平成維新」と言う程度でしか表現できない軽い政治家とはまるで違う本当の意味での時代の先駆者だ。彼に続く人がたくさんいることも力強い。冥福を祈る。

2010年3月6日土曜日

ルポ 貧困大陸アメリカⅡ

 こつこつ働けばそこそこ暮らせる社会が本物社会と考えているが、今はがつがつ働くのは当然でそれでも生きていけない状況になっている。誰もが目先の成果という幻想に追いまくられて、何かをしていないと不安に陥ってしまう。出口をふさがれた若者に至っては就職すらできないという重い現実が待つ。子供への凄惨な虐待や殺人事件が絶えず、社会は崩壊過程に入る。新自由主義の果ての姿が人間の未来を奪っていると感じる。
 新自由主義の現実を書いた堤未果著「ルポ 貧困大国アメリカ」と「同Ⅱ」を買い込んだ。目次だけ拾っても読み出したくなる。「第1章 公教育が借金地獄に変わる 第2章 崩壊する社会保障が高齢者と若者を襲う 第4章 刑務所という名の巨大労働産業」
 
表紙まえがきの一部を記すとこうなる。「経済危機のアメリカでは、社会の貧困化が加速している。職がみつからず、学費ローンに追い立てられる若者たち。老後の生活設計が崩れた高齢者たち。教育や年金、医療、そして刑務所までもが商品化され、巨大マーケットに飲み込まれていく。オバマ登場で状況は変わったのか。」

この本は、どのような社会をつくれば人間の未来を保障することになるのか考える意味で、絶望ではなく希望を見いだすきっかけをつくる力を与えてくれそうだ。

2010年3月3日水曜日

富岡ゆきお、夏の参院選に向け動き始まる

今日から始まった3月議会は16日までの予定。今日は補正予算の審議、採決を行い全員一致で可決した。
そして特別委員会に来年度予算案の審議を付託した。委員長を私が務めることになった。副は浅見議員、いつものコンビだ。厳しい財政のなかでどれだけ知恵を絞り、住民の暮らしの安定に寄与できるかが問われる。

3月定例会閉会の翌日、富岡ゆきお参議院議員が玉村町に入り、動きを開始する。議員で表立って支援するのは私だけだ。こういうのってとても気持ちがいい。選挙は支援議員の人数なんかで勝ち負けは決まらない。庶民感覚、時代の先見性が問われているんだ。未来を誰が獲得するかだ。

2010年3月1日月曜日

平居塾長を再度見舞う


療養中の平居先生から先週、資本論講義に載せる写真の件で電話があった。
声の張りもあり元気な様子だったので、みんなで顔を見に行きたい、というと
快諾してくださり、昨日の訪問となった。83才の小林悟先生をはじめ8人での
賑やかなお見舞いとなった。先生は少しやせたかなと感じる程度で、話の調子は元気そのもの。
「資本論を学ぶことにより、社会の主体は資本=金ではなく、人間なんだと言うことを理解して欲しい。人間を疎外する社会はたださなければならない。」と講義調の話。窓からの景色も良く、短いながら和気あいあいの交流だった。桜の咲く季節には自宅に帰り、我々も最終講義を楽しみにしている。


4時からは伊勢崎市の境総合文化センターで「ミュージカルきみにとどけ」を鑑賞、同級生の関根一正君や青木孝彰さんもそれぞれの、はまり役を演じていた。演技の世界はまた格別難しく厳しいのだろう、くらいは想像できる。
 
これから、3日からの議会に向け予算書などの検討にはいる。