みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2011年11月29日火曜日

秋山豊寛さんの講演会「鍬と宇宙船」そして見頃の鬼石・桜山の冬桜

 楽しみにしていた秋山豊寛さんの講演「鍬と宇宙船」だが、仕事と時間がだぶってしまい、会場に到着したのは3時40分頃、講演の最後の部分だった。それでも宇宙での生活は印象深く今でも鮮明のようだった。司会の秋山局長から「遺言を書いたか。UFOを見たか」という質問があったが、「遺言は書いていない。UFOはいないとは思わないが私は見ていない」と答えていた。
 塚越紀一県議や資本論の勉強会・平居塾の関係者、原発とめよう・群馬の仲間も何人か来ていた。「どんな内容だった」と聴くと「すごくよかったよ」とのこと、後で教えてもらおう。
 講演会終了後、庭で秋山豊寛さんと写真を撮りながら、雑談した。
まえばしシネマでの肥田舜太郎さんの講演会には秋山豊寛さんも行っていたそうだ。「言い足りなかったことがあったよね」と言っていた。
原発とめよう・群馬の呼びかけ人をお願いし、こちらの都合でおいとました。
 というのは、時間もまだ4時過ぎなので、せっかくだから桜山の冬桜を塚越県議や星野さんたち仲間に見てもらいたかったから。(私、鬼石観光のお手伝いまでしてしまう細かい心配りの持ち主です。)
 桜山の冬桜は今が見頃、駐車場には結構な台数の車が駐車していた。ライトアップの明かりもついたばかりでまさに黄昏時、この時間帯も微妙でいい。
 桜山のライトアップは12月4日(日)まで。彼女、彼氏を引き連れて行っとくれやす。

2011年11月28日月曜日

橋下・大阪維新の大勝と反対側の映画「人生、ここにあり」の深さ

「市役所は税金を貪り食うシロアリ」とまでこき下ろした橋下徹の大阪維新が圧勝した。「維新」は既成政党を右から突き破る体制内クーデター勢力であり、より新自由主義を推し進めようとするファシスト政治団体だ。99㌫の側にいながら1㌫のための社会を作ろうとする新しい運動の本質を見抜けなかった結果といえる。
 市役所職員はすでに白旗を揚げ「その時々の市長に務めるのが職務」などと言い出す人もいるそうだが、結果によっては、「命令に従っただけ」という弁明ではすまされないことも認識すべきだ。自らの良心に従った職務こそ求められる。軍にだって「良心的兵役拒否」の思想は生きている。

 あきれた選挙結果に気を紛らわそうと映画館に行った訳ではない。
注目の映画「人生、ここにあり」を観る時間がとれたので足を運んだだけのこと。
会場には予想を上回る観客それも若い人たちがいたのにはちょっと驚いた。世の中捨てたものじゃない。

【イタリアで天才が生まれるのは、みんなどこかいかれているからさ。言ってみれば国が巨大な精神病院みたいなもの。隔離する必要はない。】
 イタリアでは1961年、ゴリツイア精神病院長に就任したフランコ・バザーリアが患者の悲惨な状況を見、すぐに内部告発を始め、粘り強い訴えと行動で精神病に対する社会の目を変えていった。
1978年バザーリア精神保健法が成立し、精神病院の新設と入院治療を禁止し、患者と地域で共存する体制に移行した。
 イタリアの精神科のベッド数は1万床以下、入院患者数はゼロ。日本のベッド数35万床、患者数は70万人だから比べものにならない。
 
 精神病院に幽閉され厳しく管理された人々は幽閉されたことが原因の「幽閉シンドローム」にかかっていた。彼らはコミュニケーション能力や興味、欲望の喪失、攻撃性や衝動性、無気力感に覆われていた。
 バザーリアたちは「自由こそ治療だ」のスローガンのもとで、患者たちを有形無形の鎖から解き放した。
 精神病者の生きづらさを解決する方法として、連帯と協同をうたう協同組合がある。地域に支持されたこのような社会協同組合は2005年末時点で7363カ所におよぶ。
新体制推進のスローガンは「みんなよく見ればアブノーマル」、「普通」という概念そのものに疑問を投げかける深い言葉だ。
 まずは映画を観てからのお話。
 シネマテーク高崎で12月2日まで。

それにしても維新勢力にはこのような発想は全くない。
病者のための弱者のための、もっと言えば弱点も抱えている普通の人たちの痛みや悩みなどまるで考えない強者の側の政治をしようとしているから許せない。
お願いだからこんな連中に騙されないでよ。後で後悔するよ。

2011年11月27日日曜日

ふるさとと子どもたちを放射能から守る沼田学習会

比較的高濃度の放射線量が測定されている沼田地域、それ故に深刻な影響を考慮してかなかなか声の上げにくい地域状況を食い破ろうと、地元有志たちが企画した「ふるさとと子どもたちを放射能から守る沼田学習会」に参加した。
 講師は福島県いわき市議の佐藤かずよしさん、彼を紹介したのはこれまた角倉邦良群馬県議、広瀬隆さんの大学のような講義もよかったが、佐藤さんは福島現地で実際、生き活動している切迫感と使命感が切れ味よく聴く者の心をとらえた。
1.「冷温停止」は圧力容器が正常の時はあり得るが、メルトアウトしている中ではあり得ない。
2.長期低線量被曝、汚染食品による内部被曝の拡大、海洋汚染の広がり
3.10万人余の人々がふるさとを追われ、190万人余の県民が汚染地域に暮らす状況の深刻さと、国による被災地周辺住民の棄民化、「ヒバクシャ」の強制、事故情報の隠蔽、情報統制の指摘。
4.福島県沖及び双葉断層地震による



第1、第2原発の危機
5.自主避難と集団疎開裁判、避難の権利、東電への損害賠償請求
6.原発被爆者保護法の制定の必要性
など盛りだくさんのことを指摘し、地震活動期である現在、中長期目標としての脱原発ではなく、即時・無条件の原発停止と廃止を強く主張した。
 県民、国民をあきらめさせるさまざまな策動との闘いが原発廃止の帰趨を決める、だから全国の人たちと繋がる必要があることを訴えた。
 
佐藤さんのホームページを「お気に入り」に登録しておこう。
久しぶりに川場村の元気な黒田まり子さんに会った。また呼びかけ人のひとりの真下淑恵さんは八ツ場ダムの反対運動の先頭に立っている人だ。高柳勝巳沼田市議といい、役者が次第に増えていく。

「起きてはならないことが起きてからでないと謙虚になれないのが人間の悲しい業」だとしたら、原発事故が起きてしまった今こそ、自然に対し謙虚になり、原発を即時停止させなくてはならない。

 それは八ッ場ダムについても言えることで、そもそもダムに適さない地質の現地にダムを造ろうとしていることが問題なのだ。
総事業費が03年に当初の倍増の4600億円にも上昇し、今後の関連出費を含めると、1兆円をはるかに越えてしまう大事業、難事業だ。そのくせ時代遅れの無用・不要のダムとなれば、止めるしかないはずだ。もしも完成させてしまったら、後生の人々にどれほどの災難を強制するかくらい考えろ。民主党もひとつくらいいいことをやれ。

 帰途、土田君から電話が来た。彼は東京での柄谷行人の集会に行っていたのだ。「沼田の学習会の報告をしておきました」と明るい声。色んな人が色んなところで原発を止めようとすることが大切。
 12月11日には桐生市内で「原発なくてもエエジャナイカ大行進」いざ前へ。

2011年11月25日金曜日

12月議会一般質問要旨

「起きてはならないことが起きてからでなければ、謙虚になれない人間の悲しい業(ごう)」という言葉がチェルノブイリ事故当時語られたが、日本人にとっては、「それでも謙虚になれなかった」ことが、今年3月の地震と津波に伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故によって証明されてしまった。
 やはり日本ではそういうことは起きないだろうとの期待も含め、高をくくっていたといえる。自分たちが生きている時代に起きなければいい、などという思いもあっただろう。やはり他人事にしたかったのだ。
 これでは資本論のなかでマルクスが言う、「洪水よ、我亡き後に来たれ」と願う資本家の無責任な願望と同一ではないか。いつしか日本人はここまで堕落してしまったのか。
何が子どもたちに道徳教育をだ。
 まあまあ興奮を抑えて。
さて今度こそ自然に対し謙虚になれるだろうか、そのことが本当に問われているのが今回の事故と考える。
 考えてみれば、原発は原子力による「湯沸かし装置」であり、薪で沸かすか、原子力で沸かすかの違いに過ぎない。しかし、その違いが天国と地獄ほどの違いになって私たちに迫ってくる。
しかも原発はその熱量の3分の2を使うことができず、海に捨てている極めて効率の悪い蒸気機関でもある。
 54基の原発で1000億トン(日本の全河川流量・4000億トン)の海水を平均7度上げもしている。
膨大に生み出される放射能、処理方法さえない大量の放射性廃棄物のこと等を考えれば原発即廃止以外に人類の未来に対して取るべき道はない。
 これらの思いを込めて一般質問をする。

原発事故情勢下での安全・安心な暮らしのための施策を問う。

東京電力福島原子力発電所の事故は、その収束に向け、懸命に努力をしているのだろうが、廃炉までに30年以上を要するとし、その間にもどのような不測の事態が起こるかもしれない中での町の行政対応について以下質問する。(例えば、政府発表によると、セシウム137の量だけとっても、すでに広島原爆170発分が大気中に放出された。)

1.原発は事故がなくても、その放射性廃棄物の処理方法について未だ対応不能という状態だが、安全神話の洪水の中、反対の声はかき消され、全国に54基の原発が造られてしまった。
今後のエネルギー政策に関し、再生可能な自然エネルギーへと転換する「脱原発社会」を目指すべきと考えるが町長の見解を問う。併せて太陽光発電、太陽熱利用への取り組みを強化する考えがあるか問う。
2.現実に放射性物質が玉村町でも検出され、「この程度なら心配ない」という人もいれば、「それでも心配でどんな対応をしていいかわからない」という人もいる。どちらも住民である。町が放射能に対する認識(特に外部被爆と内部被爆の違い)をキチンと持ち、どのように住民を安心させる方策をとろうとしているか問う。特に子供達への対応と農産物に対しての対応を問う。
3.放射性物質が汚泥に含まれることは今後とも予想される。汚泥処理については悩ましい問題だが、いずれ事故原発はコンクリートの石棺で囲わなければならない。セメントにして石棺用資材として使用することが現実的と考えるがどうか。
4.住民から放射能に関する問い合わせなどに対して機敏に対応できる態勢が求められるが、放射能測定器をどのように活用しようと考えているか。
5.すでに事故原発周辺地域の子供の一部に甲状腺異常が発見された。成長期にある子供たちを内部被爆から守るため、特に学校給食については細心の配慮が求められるが、配膳間際での放射線量調査をして安心して給食を食べられる環境を提供すべきと考えるがどうか。

12月1日午後3時頃の予定

2011年11月23日水曜日

「原発とめよう・群馬」の11月、12月連続企画に参加しよう。

今年もいよいよ大詰め、しかし、東京電力福島第一原発事故は収拾の目途もつかず、周辺地域に住む人たちを見捨て去るような政府の政策さえ見え隠れする。
地域の人々特に子どもたちが被曝の危機にあるというのに、政府の政策として避難、疎開もさせないとは彼らを被曝の実験台にのせようとでも言うのだろうか。
現在の福島の経済が未来を生きる子供たちの命より重要、と政府は言っているようなもの。またこのような惨状にあるとき、新自由主義の極限政策としてのTPPを決断する野田政権は全く唾棄すべき政権というしかない。
 群馬の地に生きる者として、福島の苦しみ、悩み、怒りをともにしたい、という思いで始まった「原発とめよう・群馬」運動のの呼びかけ人がさまざまな「脱原発」の企画をしている。

11月26日(土)午後1時半会場、2時開始 4時終了
  会  場 沼田市グリーンベル7階(国道120号線市役所入口の西、下之内信号角)
  福島県いわき市議佐藤かずよしさんの話
(脱原発自治体議員連絡会の中心的議員)

12月3日(土)午後2時から4時まで
  『佐藤幸子さんを招いての講演会』
  (子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人)
  訪米中の野田首相に「福島の子どもたちを守れないで、原発の安全性を世界中に言うのは ひきょうだ」と直言した人。
 会場 中医研2階ホール 高崎市北原町25-3
   予約先(090.1103.6660)吉田さん

12月11日【原発なくてもエエジャナイカ大行進in桐生】
  正午からアトミックカフェ
  午後1時から原発なくてもエエジャナイカ大行進出発
  場所 ジョイタウン広場(桐生市本町5丁目)駐車場は中央パーキング(有料)へ
  出店 ちゃかぽこ洞 他
  ライブあり 石坂亥士 他
  今年最後のデモなのでしっかりやり抜きましょう。

 そして来年3月11日(日)は全群馬集会として[原発いらない群馬/10000人アクション]を企画している。街頭から政治を動かす大胆な試みに挑戦しよう。

2011年11月22日火曜日

ゲット・ラウド GET LOUD

ジ・エッジ(U2)、ジミー・ペイジ、(レッド・ツエッペリン)、ジャック・ホワイト(ザ・ホワイト・ストライブス)の3世代の3人のギタリストのジャム・セッション。
私はもうロックを聴くことから遠ざかってしまいジャック・ホワイトに関してはまるで知らない。
 音楽を聴くときのジミー・ペイジの笑顔がこんなにやさしく好奇心にあふれているかと思い知らされた。
若い頃はレッド・ツエッペリンもよく聴いた。「天国の階段」「胸いっぱいの愛を」などはすごいショックだった。ビートルズとは全く違う味があった。
あのジミー・ペイジが未だこんなに若くやさしいまなざしを持ち、若いギタリストに学ぼうとしている。それを知っただけでもすばらしい映画だ。同じ時代に生きていることが嬉しくなってしまう。
彼はすでに「伝説の人」だ。ツエッペリンの曲を探して改めて聴こう。
 シネマテーク高崎で12月2日(金)まで上映。

2011年11月21日月曜日

にぎわいの玉村町産業祭

心配された雨も土曜日までで昨日は晴天の中の産業祭だった。27回ともなれば町民に浸透し会場にあふれんばかりの参加者を得た。昭和村村長や議員、長野県山之内町長もわざわざ参加して頂き、出店した特産物の野菜や果物は完売となった。
 私はたまたま西園先輩と会いうどんをごちそうになった。先輩の人脈は極めて広く色んな人を紹介された。「次の選挙のために明日から動いた方がいいよ」とのアドバイスを受けた。
原発とめよう・群馬の呼びかけ人にもなっていただいた。

 午後は前橋の朝鮮学校から「文化祭」の招待を受け参加した。金剛山歌劇団とはいかないが、手作りの暖かい雰囲気の中、在日朝鮮人の皆さんが協力し合って子供たちを守り育て、自らも日本社会で生きていこうとする姿があった。
「在日」の意味を日本人がもう少しまじめに考える必要があることを思い知らされもした。

2011年11月19日土曜日

ほんものを食べたい 生活クラブ生活協同組合 IN 玉村

生活クラブ生協の安全な食べ物の試食会が玉村町の本部で開催された。
生協とは東京電力福島原発事故以来の反原発運動のなかでの出会いだったが、食に対する思いは強い。
生協は「消費と生産の連帯」「自給のための循環型産地づくり」にまじめに取り組んできただけに、原発事故に対する怒り、政府や大手メデイアによる「及び腰」報道に危機感を抱いている真っ当な団体だ。
 参加して、実に多くの人たちが繋がっていることを実感した。玉村町の会員がまだ少ないとのことなので、微力ながら強力したい。その一環として早速、あの秋山局長と貫井町長に現場を見てもらい生協の理事長を紹介した。
 たった今、土田君から昨日のブログの秋山局長の写真に「感動した」との緊急電話が入る。彼にも生協の会員になってもらおう。

2011年11月18日金曜日

[鍬と宇宙船」秋山豊寛さんの講演会・鬼石町

 秋山豊寛宇宙飛行士と秋山博藤岡市鬼石商工会事務局長は全くの別人、お互いの名誉のためにまず一言、そしてこの写真は別宅でくつろぐ秋山局長の余裕の姿。何の問題もない。決して秋山豊寛さんと間違わないで欲しい。
 しかしこの秋山局長、なかなかのアイデアマンで、鬼石町の古いたたずまいにマッチした灯籠を作ったり、桜山のライトアップを企画したり、鬼石町を元気にする映画づくりもした。世界遺産の熊野から間伐した木の切れ端に小学生の敬老の言葉を書き、桜山温泉に浮かべ集客もするなどなかなかのやり手、商工会を1度訪れた井筒和幸監督は未だに「秋さん元気?」と聞く。
いずれは〈伝説の局長〉になること間違いなしの人物だ。
 
 その秋山局長最新の企画がこれだ。宇宙飛行士秋山豊寛さんの講演会〈鍬と宇宙船〉だ。
秋山豊寛さんは福島で農業をしていたが原発事故で福島を離れ、現在鬼石町に来て農業を営んでいる。きっと皆さんが満足出来る話になると確信する。足を運んで下さい.

 日時 11月29日午後2時から
 場所 鬼石町多目的ホール  入場無料


参考までに[瞬悠漂流記]から「宇宙よ」を抜粋する.

宇宙よ   立花隆 秋山豊寛 文芸春秋 1800円

日本人初の宇宙飛行士であり、世界初のジャーナリスト宇宙飛行士秋山豊寛がソ連の宇宙飛行士とともに、宇宙を飛んだのは1990年12月のこと。彼が帰還してまもなく、立花隆が彼を聞き取り調査した記録がこの一冊。徹底的なデブリーフィング(Debriefing)で、未知の世界に関する情報を引き出そうとする試み、本人が忘れていることや気がつかなかったこと、重要性を認識していなかったことなどを聞き出すため、本人の経歴、両親のことから聞き取りを始めていく。立花自身、このプロジェクトの初期から外部スタッフとして参画し、裏も表も知っているし、米ソの宇宙開発についても詳しく、NASAのスパイと疑われるほどだった。聞き出す側の知識と見識により引き出される内容が断然違ってくることが良く分かる。

生い立ちから聞き取りは始まり、青春時代の社会情勢、安保闘争から全共闘世代への過渡期を生きた秋山さんの生き方のポジションに迫り、若い日々を検証していく。
 就職から宇宙飛行士への応募と落選、再浮上そして当選へと進むが検査は厳しい。
「エルゴメーター」〈台の上に自転車を置いたような装置で、これに乗ってこぐ。ペダルはどんどん重くなる〉による心肺チェック、「起立倒立」〈体を手術台のような台座に固定させ、その台を様々な角度に変化させ一定時間保持し、その間に脈や血圧がどのように変化するか調べる〉。減圧室〈5000メートル上空と同じ低い気圧に下げる。すると5000メートル級の山に無酸素登山したのと同じく低酸素状態に置かれるから、体の機能は著しく低下する。それを心電図と脳波でチェックし、指と指を合わせられるか、数字をどの程度記憶できるか(3桁から6桁までテスト)、計算はできるかなど調べる。その後5000メートル上空で放り出されたと仮定し、自然落下と同じスピードで、地上に着くまでの2分間気圧を上げていく。急激な気圧変化についていけなくて鼓膜が破れた人もいる。鼓膜が破れなくても、この検査の前後で、聴力検査を行い、この間に聴力が低下するようだったら不合格となる。〉
「コリオリス」〈平衡感覚の強さを見る。被験者は自由に回転する椅子の上に上半身裸で固定され、アイマスクをつけ、心電図をとられる。椅子は最初の1分間に右に30回回転し、次の1分間に左に30回回転する。この間、被験者は医者の指示により右や左に首を曲げて起こす、前に頭を下げて戻すという動作をくり返す。〉これは苦しいテストなので1分ごとに止めては、まだ続けるかどうか聞かれる。
この他、前庭機能を検査するために、アイマスクを着けて横たわり、耳に冷水を入れる検査もある。こうすると人間は必ず目まいを起こす。その目まいの起こり方、戻り方を、目の周囲の筋肉の筋電図をとることでチェックする。また、目のストレス能力を調べるため、体を椅子に固定し、周囲の円筒形の壁に急速に動いてゆく縞模様を映し、それを目で追わせながら、やはり目の周囲の筋力の筋電図をとるという検査もある。    
ソ連に行ってからからの検査では、巨大な遠心装置で4Gから8Gの負荷をかけて重力加速度の変化にどれだれ耐えられるかを見る検査、下半身に血液が移動したときにどのような生理的変化が起きるかを調べる下半身陰圧装置を使っての検査もある。
このような検査でチェックされた候補者数人はソ連へ行き、最終検査を行い、様々な事情も反映し、秋山豊寛、菊池涼子が選ばれた。

これらはほんの序の口に過ぎないが、これを知っただけで、宇宙は遠い別世界といった感じを受ける。これまでして何故未知の宇宙へ人類は飛び立つのか。ヒントは500万年程前、食べ物が豊富な密林で豊かに安全に暮らしていた人類の祖先・猿の中の一部が密林から出て危険な草原で生活を始めたことの中にあるのではないか。好奇心、危険からの回避等理由は様々だろうが、それまでの住み慣れた環境から、あえて危険な環境に身をさらし、適応させるため自ら進化した猿。猿人、原人、旧人、新人と進化した猿である私達の子孫は、宇宙へ住処を求める集団が一部あっても不思議ではない。宇宙という全くの異空間に適応する未来人への助走が現在の宇宙への挑戦なのだ。こんなことを考え出すと切りがないので興味深い内容満載の本書に戻す。

星の街
秋山はモスクワから約40キロに位置するガガーリン宇宙飛行士センターという軍事基地・通称「星の街」で訓練を受けることになる。ここは地図には載っていない。ソ連の庶民は知る必要のない場所だった。「星の街」の商店はソ連の一般社会ではないようなものがたくさんある特権社会だ。そこで約1年の訓練を受ける。
3ケ月でのロシア語のマスター、ロシア語での宇宙工学、宇宙飛行力学、弾道学、コンピュータなどの学習とソユーズ、ミールの構造やシステム、飛行計画、船内文書などに基く技術訓練とともに基礎体力づくり、そのための水泳、ジョギング、テニス、クロスカントリー、ジムでの20種類くらいの機械を使ってのトレーニング等をこなさなければならない。そして実地訓練へと進み、いよいよ本番、出発となるが、これまでの道程は上述の通りかなり厳しい。

実地訓練から出発
 酸素量や炭酸ガスの警報が鳴るという緊急事態を想定した訓練をこなし、いよいよ出発となる。
出発直前には浣腸もしなければならない。宇宙服を着てソユーズに乗り込んでから、軌道にあがってトイレに行けるまで、4時間程かかる。時には5、6時間トイレに行けない状態が続くので、いっそのこと浣腸をしてしまうのだという。
打ち上げ直後の音は全く聞こえず、はじめ体に感じない振動から始まって、やがて砂利道をダンプカーが走るようなガタガタという強い振動になって、膝も揺れ、Gも増してくる。そしたら、第一段階の切り離しでドーンという衝撃が走る。それ以降は切り離すたびにドーンという音がし、8分50秒後に、重力がスカッとなる空間に抜ける。

ドッキング
秋山等を乗せたソユーズは、地上400㎞を飛ぶミールに向けて次第に近づきドッキングする。宇宙開発当初のドッキングは手動だったが、今は勿論コンピューター自動システム。手動は職人芸だが、自動システムと言ってもそう簡単ではない。飛行士は管制塔からの指令をそのままに数字を打ち込むキーパンチャーではなく、軌道計算も全部頭に入っている。自動ドッキング技術もさらに進歩し、ミールに食料や機材を運搬している無人貨物船プログレスは、完全自動ドッキングシステムになっている。勿論、万一の時に備えて、手動ドッキングの訓練もしてある。訓練のほうがハードで実際の打ち上げの方がラクということもある。訓練はあらゆることを想定しているからだ。
ソユーズとミールのドッキングの最終速度は普通秒速20㎝という。船体同士が接合すると、ひとつ20トンの荷重に耐えられる8個のフックが自動的にかかって船体同士を固定する。接合部には、油圧系統のコネクター、電気系統のコネクターが並んでいて自動的に接合される。ドッキングはソ連上空でなされ、次の一周の間に、ドッキング部分の気密検査が行われ、安全性を十分に確認してから、次にソ連の上空にきたところで、ソユーズからミールへ乗員の乗り移りが行われる。
ソユーズからミ−ルに乗り移った3人は数日間の作業の後、秋山の他の二人を交代要員としてミールに残し、ミールに乗っていた二人が帰還するためソユーズに移り秋山とともに地球へ帰ってくる。

宇宙
宇宙飛行を通じてソ連に支払った金は最初15億円といわれていたが、どんどんふくらんで 最終的には50億円になったという。フライト時間で割ったら、1時間あたり2500万円にもなる。あの実験をやってみたい、というと、すぐ200万ドル、300万ドルとふっかけられるように予算がふくらんでしまうのだという。
宇宙ステーシヨンでは材料実験が行われていて、ソ連はアメリカより15年は進んでいる。無重力状態でガリウム砒素の結晶を作ると、均質化が図られ結晶の品質が高く結晶構造がゆがまない。結晶にゆがみがないと、半導体の場合、中を走る電子のスピードが違ってきて、それを使って半導体を作ると超高速のコンピユーターができる。本当のハイテク製品だから価格も高い。ガリウムの国際価格は、グラム当たり25万円で、10キロあれば25億円。高品質なものだから当然高く売れる。ソ連の経済はガタガタでも、こと宇宙技術だけは、特に材料実験、生産技術といった面では西側を圧倒している。
今までの貨物船プログレスは上がるときだけ物資を運んで、帰りは廃棄物を詰め込んで大気圏に突入させて燃やしてしまい、廃棄物処理にしか使わなかったが、宇宙工場での製品の輸送のため今は帰りも無人のカプセルが物資を運搬して地球まで戻るようにした。
宇宙飛行士はどれくらいの星を頭にいれておくのか。地上での訓練で全天恒星図を頭に入れておくが、宇宙で、見印に決めておいた星を探そうとしても星の数がものすごく多くてどれだかわからない。結局、ソビエトの宇宙飛行士は6000個の星を覚えるという(p374)。プラネタリウムのところには、ソユーズ、ミール、ブランの三つの操縦席があり、それぞれの操縦席の中に天体観測用の機器がある。その中で訓練するのだ。
宇宙飛行士は訓練されて宇宙を飛ぶわけだが、それ自体がテストでもある。例えば、ソ連版スペースシャトル・ブランのクルー、レフチェンコは、87年に、ソユーズTM4でミールに上がり、ソユーズTM3で戻って来た。そして地球に戻って30分後ジェット機を操縦してモスクワに飛ぶ、ということを敢えてさせられた。

人生観
今世紀に起きたことは実に大きい。1917年ロシア革命からソビエト連邦が成立し、戦後、ドイツが東西に分裂し、しかも、世紀末には、絶対無理だと思われたソビエトの崩壊と東西ドイツの統一が実現した。
秋山は感じた。雲の上から地球を見ていると、本当に人間が生きているのかしら、と思えるほど人間の営みが小さく感じられる。その人間がいろんなことをして自然条件を変えてしまう。その最大のものが戦争、環境破壊。国境というものがいつまで続くかわからない感触を得た。事実ヨーロッパではEC統合に向かって動いている。次ぎの次ぎの世代になったら国境というものがなくなっているのではないだろうか。
「地球に帰ったら人生観が変わるだろうか」という問いに、「人生観なんてものは持っていないから、変わらないだろうけど、毎日毎日を大事に生きたいなという気持ちにはなると思う。」と彼らしく答える。事実今、彼は会社を辞め、福島県で農業を始めた。
科学の粋を集めた宇宙飛行で得るのものは、いろんなものがあるだろう。科学者にとっては次なる挑戦をかき立てる新たな疑問と今日までの科学の成果としての多くの果実。一方で、人間が生存することの意味を謙虚に見直すことが出来るのかもしれない。宇宙まで行かなければ、謙虚になれないのかと言うかもしれないが、宇宙は果てしなく深く遠く広い。その無限の中に浮かぶ地球という奇跡の惑星を実感しての感触の意味は大きい。生物が生息出来る自然環境の中に身を置くこと、その中で生まれ、成長し、死ぬことを繰り返し、進化しているあらゆる生物と環境。その環境を破壊することが発展ではないのだ、と思い知ること、誰も死から逃れることはできない、自然の中で生の流れに任せること、毎日の営みを大切にすることが生きることの基本なのだと教えてくれる。
ここまでくると、不思議なことに宗教と一致してくるものを感じる。私は宗教にほとんど疎いが、これが宗教としたらそれはそれでいいと思う。現在私の回りにある宗教は即物的で邪悪なものが多いが、生と死を極限的に見つめていくと哲学とも宗教ともいえるものになるのではないか。
たった一度だけ与えられた命を大切にすること、これは自分だけではなく他の命もかけがえないものとして大切にすること、これこそ今の人類に求められているものだ。特に政治に求められているものだ。21世紀を乗り越えるポイントは戦争政治、帝国主義経済をうち破ることが出来るかどうかということだ。

2011年11月16日水曜日

12月議会一般質問準備中

来年1月が玉村町町長選ということもあり、貫井町長もさぞかし忙しく一般質問に対してもどれだけ本気で対応できるかとの思いで、今回休もうとも考えたが、東京電力福島原発事故の行方は知れず、今後どのような展開になるか予想できないことを考えれば、緊急的に原発事故関係の質問を集中することにした。まずは町長の原発に対する姿勢、「脱原発」か否かを問う。
回答によっては今後のつきあいも考えなくちゃ。町の危機管理の意味を込めての行政対応を問う。

 この間、「原発がどんなものか知って欲しい」平井憲夫、「原発時限爆弾」広瀬隆、「原子力発電で本当に知りたい120の基礎知識」広瀬隆共著、「原発の真実」小出裕章、「福島の原発事故をめぐって」山本義隆、「デイズ・ジャパン」「週刊金曜日」などを読み、いくつかの講演を聴いてきたが、人類は原子力発電という途方もない「湯沸かし器」を作り出し、自分で始末できない事態に追い込まれてしまったということをつくづく感じた。
 一方で、この事態に懲りもせず「より安全な原発の稼働」などとほざいている無責任な連中もいる。そういった連中が政治権力を握っているのだから危険な状況だ。
 日本の大きな地域としての福島・東日本が原発事故で収拾の見込みすらたたない中、「TPP開国」などといって、アメリカに日本国内全産業を差し出す忠臣野田と保守勢力の「売国的行為」に対し、国際主義派としては、「どこまでアメリカに屈するのか」と呆れかえり、怒り心頭の毎日だ。もっとも発散しているからストレスはたまらないが。

 明日は午後7時から群馬会館での「原発止めよう・群馬」呼びかけ人会議、
26日(土)は午後2時から沼田市グリーンベル7階で「ふるさとと子供たちを放射能から守る沼田学習会」に参加する。

2011年11月11日金曜日

高崎市議会東部分科会との交流会

玉村町議会と高崎市議会東部文科会との交流会がメトロポリタン高崎で行われた。松本泰夫高崎副市長から「高崎・玉村スマートインターチェンジについて」の題した講演があり、その後、懇親会に移った。
 高崎市駅東口から玉村にかけての東毛広域道路を伊勢崎、太田へ続く道路として、かなり力の入れた開発をする計画を聴かせてもらった。高崎・玉村スマートインターチェンジ付近を商業地域として開発し、大型バス乗り入れターミナルをつくり交通の要所とし、周辺を商業地域として大きく開発したいので、是非玉村町との連携が必要と説いた。
「玉村物産館」程度のものでは話にならない規模なので、今後、両市町で協議を進める必要がある。
 懇親会では、浅見新議長体制の玉村町議会、4月の選挙で当選してきた若い議員もいる高崎市議会の間でさまざまな話題が和やかに交わされた。


高崎市に行く前に玉村町議会全員協議会を開き、この間連続して5件起きている不審火災についての報告と説明を受けた。10月21日から昨日11月10日までに玉村町の南西地域に集中し倉庫等が火災を起こし3件が全焼している。町民はかなり神経質になってきている。今も見回りの消防車が通り過ぎた。一刻も早い解決を望む。

2011年11月10日木曜日

第26回高崎映画祭名刺交換パーテイー

来年の第26回高崎映画祭に向けた準備態勢が整った。志尾睦子さんが映画祭事務局長として責任を取りきり、松浦幸雄前高崎市長は運営委員長という立場で前面に立つ。勿論、常見さんたち強力な裏方が多数控えているので安心感のもてる態勢だ。
そのお披露目の名刺交換会がメトロポリタン高崎で開催され、多くの参加者でにぎわった。
 市長を終えてますます元気な松浦さんや富岡賢治新市長とも映画の話ができ、なによりトロフィー制作の木村明さん、賞状を手書きする植原豊秋さんにお会いできて嬉しかった。
みんな無欲で「茂木さんに頼まれると嫌とは言えなくなる」と嬉しそうにこぼす愛想がいい。こういう市井の人たちが育ててきた映画祭だから長続きするのだろう。
 丸山和久高崎市議会議長には11日予定の玉村町議会との交流会でお世話になることを話すことができた。

 今日は山田行雄高崎市議を訪ね、「現代世界情勢と今後の課題」というとてつもなくでかいことを話題にしながら(資本主義は大丈夫かいな?ということ)お互いの健闘を誓った。
目も眩むようなでっかい話かヨタ話をしていればそうそうもめることはないことをこの年になればお互い知ってますから。

2011年11月8日火曜日

上州は鬼石・ライトアップの桜山公園へどうぞ

5時頃神川町での打ち合わせが終わり、帰る前に秋山局長一押しのライトアップされた鬼石の桜山へ行くことを思いつき車を走らせた。30分ほどで黄金色に染まった桜山に着き、協力金として駐車場代500円を支払い、5分ほど歩くとライトアップされた紅葉の木々と湖と言ってもいいほどの大きな池に着いた。運良く管理人の人が冬桜の木々を案内してくれた。冬桜の見頃は23日前後とのこと、ライトアップは12月4日まで。一度は目と心の保養に鬼石の桜山へどうぞ。

 運転中、国会中継をなんとはなしに聴いていた。攻めるは自民党平沢勝衛、対するは山岡賢次拉致問題担当相、私にとってはどっちもどっちのご両人だが、平沢が山岡のマルチ商法疑惑や地元選挙での金のやりとりなどを追求すれば、「長いつきあいなのだから後で話しましょう」と山岡はきたもんだ。叩けばホコリどころではない腐臭紛々の山岡センセイ、この程度のことではくじけはしない。スキャンダルには強い妙な安定感があるから不思議だ。しかし、ご両人は現在も自民党と昔は自民党、与野党に分かれればこの騒ぎか。よくやってくれるよ。
 一方、これまた自民党出身だが国民新党亀井静香、こちらは時にいい仕事をするから面白い。TPPに関し野田首相に強くその参加をたしなめた。死刑廃止論者というのもいい。すごく特徴的な絵も描く。何年か前、高崎の山田ゆきお市議の事務所で「おふくろさん」を聴かされた時はまいった。聴くに堪えないとは亀井の歌だ。
まあ、みんなくせ者の集まり、懲りない面々のやり合いだから、松下政経塾の薄っぺらな中身なし連中とは全く違う深みというかすごみというか面白さがある。
まるで国会動物園だ。

2011年11月7日月曜日

日比谷での反原発・反失業全国労働者総決起集会は熱い

雨の心配もあった日比谷集会だったが全国から6000人を越える労働者が結集し、熱い集会、デモとなった。新自由主義政策のなか200万人以上の人々が生活保護に頼らざるを得なくなり、若者の非正規職と不安定雇用はどの世代より高いという転倒した社会になってしまった。そこへ福島原発事故だ。
 その事故が収まらないうちに、野田政権は原発再稼働、原発輸出そしてTPP参加など1%にも満たないブルジョアジーの意を受けた政治をしている。政治を99%の労働者に渡せというスッキリした主張の集会だ。韓国、アメリカ、ドイツなどからも多数の参加を得ている。
 現在の日本での最左派の集会だろう。既成政党の限界を突き破り多くの人々が着実に未来への





希望を求めて参加している事を実感した。
 まだまだ元気な益永スミコさんにもお会いでき感激した。

2011年11月5日土曜日

今日の学園祭で思い出してしまう懐かしの幻法祭、

群馬県立女子大の学園祭、今年のテーマは「挑戦」、企業協賛のなかで一際目立つ「資本論に学ぶ会」名で協賛した手前どんなもんかと行ってみたら、賑やかでした。
待ち合わせた訳でもないが、待ち合わせなかった訳でもない栗ちゃん、ツッチーと合流し、目当てのバンド「西野」の演奏に合わせてステージ前に陣取った。
明るいキャラで賑やかな曲を楽しませてくれた。その後、一回りしてみたが今の大学祭は娯楽だけなんだなあ。福島原発に対する問題意識とか政治的なものは皆無、ビラまきさえ当局の許可が必要で、それを当然として学生も受け入れている環境ではこうなってしまうのか。

 今を遡ること35年程前、日大法学部の「幻法祭」はすごかった。学生運動もまだ残っていた頃、学生自治会が仕切り、勿論、おふざけなお笑いあり、模擬店あり、ポルノ映画上映あり、羽仁五郎など反体制人士の講演会ありと深夜まで酒をあおりロックのビートに身を任せている光景があちこちにあった。カルメンマキとオズや頭脳警察などが来たんだからすごかった。勿論ナンパも。
あの頃、どこの大学でも、「部落問題研究会」「朝鮮問題研究会」そして三里塚の農民を招いての講演会などがあったはずだ。学生が政治と対峙していた。
 大学が解放区と化すのが「幻法祭」、学生の自治に対し当局がクレームをつけても跳ね返す力があった。自治会の学生にノンポリ学生もこのときは一体で同調、解放区の維持をたたかい取った。
 今はもう昔か、とため息をつきながらも、それでも未来は学生・若者のものだ、と確信する。だって余命が違う。

その後、飯倉公民館での「作品展」に赴き、作品を鑑賞しながら、密照さんをはじめとした地域の人たちと談笑した。こちらは定年組、話の内容には深いものを感じる。
学園祭も作品展も明日まで。





 

2011年11月4日金曜日

橋下徹を大阪市長選で落選させよう

とにかくひどい、世の中にはいかに建前であってもルールがある。それを間違った庶民感情をあおる形で攻撃し、増長してきた橋下をこれ以上見過ごせない。
 彼は、光市で起きた母子殺害事件の容疑者の弁護士を「悪人」とののしり、懲戒請求を起こすようテレビで呼びかけた。刑事事件では、いかなる被疑者も弁護士をつける権利があることを無視した行為で弁護士として基本認識のはずだ。
 大阪府知事として条例化を狙った「教育基本条例」もひどい、「バカ教員」「クソ教育委員会」などと敵意をむき出しにした攻撃などは目に余る。教育委員会制度は政治の干渉から教育を守るためにある制度だ。戦前の軍国主義教育の反省からできたもので、その背景を無視し、地方政治で権力を握ったなら、教育にいくらでも介入できるという時代錯誤の条例だ。「職員基本条例」もはなはだひどい。
 地上256㍍の「コスモタワー」と呼ばれるビルに、橋下大阪府知事が府庁舎を全面移転すると表明したのは2008年8月、「関西再生の光が明石海峡の奥から見えた」というのが理由とされたが(男卑弥呼のお告げじゃあるまいし)、09年3月、ビルへの庁舎移転案は否決された。しかし10月、移転条例案は否決されたものの購入案は可決され、大阪市が持て余していたビルは昨年6月、85億円で大阪府のモノになった。
その後、橋下は議会の否決を無視し11月から部局移転を強行、しかし、今年の「3.11」で市内は震度3とそれほどの被害はなかったがコスモタワーの「咲州庁舎」だけは大揺れとなり壁のひび割れ、天井パネルの落下、水道管断裂など360カ所の被害が発生、停止したエレベーター4基に男性5人が5時間近く閉じこめられるなど耐震性の弱さをさらけ出した。
結果、全面移転断念に追い込まれた橋下前知事は、府議会でのビル購入の責任を問われると、「後の予測できない事象の全責任を取れと言うのでは、政治なんて一切できない」と居直る。「咲州庁舎」には引き続き2000人の職員が地震発生におびえながら残っている。政治は結果責任だろう。
 彼の尋常ならざる人格による失政で府政は混乱、職員の自殺者も「11人」出たというから恐ろしい独裁政治だ。
橋下の立ち上げた「大阪維新の会」なる勢力もガラクタ以下だ。
笑顔が憎めない、などといって橋下をこれ以上野放しにすると1930年代ヒトラーを登場させたドイツのようになってしまう。「地獄への道は微笑みながらやってくる」のだ。
 大阪市民よ、いい加減にせいよ。こんなファシスト・キッドに騙されるな。
 共産党推薦候補が出馬を取りやめ、とにかく反維新勢力を結集させる決断をしたことの意味は大きい。橋下徹打倒あるのみ。

 3日はシネマまえばしでの94歳の肥田舜太郎さんの「内部被爆の脅威」と題した講演会が予定通り開催され、会場に400人ほどが詰めかけ、放射能汚染に対する不安と怒りの強さを改めて認識させられた。
 先日の小出裕章京都大学原子炉実験所助教の話も含め、原発を即刻止め、原発のない社会をつくることなしにこの問題は解決されないことが共通認識のようだ。