群馬県立女子大学の馬場先生からお知らせがあった。
11月9日に女子大学で映画上映会を設定したとのこと。
早速、その文面を無断転載する。
社会とつながる企画なので多くの方々の参加をお願いしたい。
『秋の映画上映会』(11/9)のお知らせ
文学部美学美術史学科「芸術プログラム」の授業「芸術の現場へ1」(「上映の現場」コース)の参加学生がこの11月に上映会を行います。今年度は「耳をすませて じっと見つめる~忘れられゆく〈他者〉への眼差し~」というテーマで、11月9日(土曜)に本学講堂にて無声映画1作・ドキュメンタリー映画2作の計3作を上映いたします。
今回の上映会は、東日本大震災を巡る昨年の上映会を引き継いだ企画でもあります。4月から7月にかけての事前の勉強会では、昨年の3.11東北大震災を改めて見つめ直し皆で議論するなかで、埋もれていく声を聴くことの大切さを感じました。そして日頃見慣れているメディア映像からは知りえぬものを改めて見つめ直したいと、春から選考を重ね以下に紹介する3作の映画を選びました。3作いずれも、これ見よがしに声高に騒ぎ立てるのでなく、現場・当事者達に根気よく寄り添い伝えるべきことを静かに語りかけてくる作品ばかりです。
無声映画については、国内外で活躍中のサイレント映画ピアニスト、柳下美恵さんをお招きしての上映です。映画『極北の怪異(ナヌーク)』を柳下さんによるスタインウェイのピアノ生演奏により上映します。聴こえてくる柳下さんのピアノに耳を傾け映像を見つめると、声なき映像に命の音を次々と与えていく無声映画上映独特の魅力が一杯に立ち上がってきます。是非お楽しみ下さい。
ドキュメンタリー映画については、2つの作品、佐藤真監督『阿賀に生きる』と松林要樹監督『花と兵隊』を上映いたします。どちらも私たち日本人の現在の歴史・現実に関わる重要なテーマを深く掘り下げ、当事者の方たちでもそして私たちでも容易に割り切れぬ問いかけを、淡々とでも真摯に映像化した極めて見応えのある映像作品です。私たち皆が真正面から向き合うのを躊躇いがちなテーマとその当事者の人々の声と映像を、この上映会をきっかけに皆さまと一緒に耳を澄ましそして静かに見つめていきたいと思います。
◎無声映画・ドキュメンタリー映画上映会
日時:2013年11月9日(土)
場所:群馬県立女子大学・講堂
入場料:無料
9:30開場 10:00開演
10:00~12:00 『阿賀に生きる』(佐藤真監督、115分、1992年)
−30分休憩−
12:30~14:00 『極北の怪異(極北のナヌーク)』(ロバート・J・フラハティ 、78分、1922年) ピアノ演奏:柳下美恵氏
−10分休憩−
14:10~16:00 『花と兵隊』(松林要樹監督、109分、2009年)
群馬県玉村町の町長「石川まさお」のブログです。 「瞬間」と「悠久」は決して対立的な言葉ではなく、「瞬間の中に悠久」が、「悠久の中に瞬間」はあります。何かと対立関係で世の中を見ようとする流れに抗すべく、みんなが集える庵を構えました。 新自由主義政策により社会の格差が広がり、荒んでいくのをくい止めるべく、地域に根ざした活動をします。
みんな寿命を全うしようぜ
2013年10月30日水曜日
2013年10月28日月曜日
「原発損害とこれからの生活を考える」ブログの紹介
先日、先輩司法書士の島田貞夫さんより、原発事故被害者支援司法書士団としてブログを立ち上げたので紹介して欲しいとの電話があった。
以前より、被災者に向き合う真摯な対応には注目していたが、今後はより広範にそして深く社会を変える姿勢を鮮明にして行くことだろう。
その一部を転載する。
以前より、被災者に向き合う真摯な対応には注目していたが、今後はより広範にそして深く社会を変える姿勢を鮮明にして行くことだろう。
その一部を転載する。
野田正彰氏基調講演(7)震災は国家の危機であり住民の危機ではない
災害の中で常に求められるのは強い国家です。そして強い指導者です。結局、多くの被害を被ったのだから、国家が強くないといけない、経済が強くないといけないといって、引き締めが行われてきたわけです。
常に震災の中で出てくるのは、国家の危機です。住民の危機じゃないですよ。国家の危機であると。だから国家の危機に対抗するために一丸となって頑張らないといけないという主張になって、そしてそれは、治安維持法的な、批判する勢力をつぶして、そしてそれを対外的な緊張をあおりながら国家主義を強化していくという流れは、常に私たちがやってきたことです。だから、この災害の中でも、多かれ少なかれそれが進行していくということについて、非常に敏感でないといけないはずです。
だけど、振り返ってください。わずかまだ2年半しかたってないけれど、何が行われたでしょうか。私は、十分ではなかったと思いますけれども、当時の菅首相は精いっぱいいろいろやっていました。あれを引きずり下ろした勢力というのは、おそらく誰か、あそこまで彼をたたかないといけないというのは、なぜかというのはよくわかりません。多分にアメリカの勢力が関わっているのかもしれませんけれども、落としましたよね。その後ずっと、結局、例えば災害地でも自粛ということが言われたのですけれど、自粛していたら災害地にお金が落ちないから、もっとお金を使いましょうとか、被災地に行きましょうとかいう話ですね。そして、いまだに、がんばろうコールは、あちこちに張ってあります。そういう中で、私たちは結局、経済が強くないと被災者へも援助が行われませんということがささやかれる状況に今、あります。その焦点がオリンピック招致であります。オリンピック招致をして、経済が活性化すればいいということですね。
もう、あのオリンピックなんかで、私たちの社会に、いかに法治意識がないかということを私は思います。皆さん、どうでしょうか。オリンピック招致は国会で決まったのですか。決まってないでしょう。しかし総理大臣から全部が行って、変な口約束をしております。オリンピック委員会なるものは、150人のあの委員は、一体誰が選んだのでしょうか。国家が選んでいませんよ。いい加減な組織です。
今、世界は、地球は国家によって法律が決められて、それで国際組織というのは国連にということで一応法律があります。国連の委員とか何とかがお金を取ったりしたら、法律で裁かれますよ。国家公務員だってそれは裁かれますよ。しかし、無尽蔵に賄賂が行われるのがオリンピックの委員です。現実にお金がどれぐらい使われているかわかりませんけれども、さまざまな、例えば家族をファーストクラスで呼ぶとか、それから、癒着している日本の私立大学はオリンピックの委員を名誉博士だとか名誉教授にするとか、そういうところからも、あらゆることでの賄賂が行われています。
この前、国際放送を見ていますと、マドリッドのほうが招致のための活動に30兆円使った。だけど、もうこれ以上使えないと言っているのが放送されておりました。日本は幾ら使ったのでしょうか。そのお金はどこから出たのでしょうか。こういったことが横行して、そして、これぐらいのお金を使いながらも、社会の矛盾をすり替えて、金もうけに使われていくということ、それが東日本大震災を超える道だという論評が展開されるような社会に私たちは生きているわけです。続く(し)
2013年10月27日日曜日
玉村町秋季消防訓練
防災航空隊による救助訓練 |
2013年10月24日木曜日
群馬県町村議会議員研修会
金井利之東京大学大学院法学政治学科教授 |
2013年10月19日土曜日
民族教育を支援する集い/群馬朝鮮初中級学校
体育館入り口から入る |
2013年10月17日木曜日
議員お別れ研修会
八ッ場ふるさと館からの風景 |
2013年10月14日月曜日
どこへ行っても体育祭
2013年10月10日木曜日
高3女子高生殺人事件/頭を冷やす時間がとれなかったか。
三鷹市で女子高生(18才)が庭先で殺害される事件が起こった。加害者も21才の若さ。モッタイナイ。危なすぎる。
男女関係のもつれとか、復縁を迫られていた、とか言われているが、それがなぜ殺人事件になっちゃうのと驚いている。
確かにこのような事件はこれまでもあった。
もう少し時間をおいて頭を冷やすことができなかったのだろうか。
男女、お互い愛し合っているときは、ルンルンでもそういう時は長く続かないもの。どちらかが強く押し一方が引く、時にはその逆に、というヤジロベーの均衡で男女関係(恋愛関係)は維持されていると認識している。
相手への思いはそういうところ(バランスを取る)から育つものだ。
愛情が憎しみに変わる時、それは一言からでもあるし、ほんの小さな仕草からでもある。小さな誤解がどんどん増幅し、戻れないまでの憎しみに変わることもある。
殺したい、と思うこともあるやもしれない。しかし、それを避ける術も身につけて成長するものだ。
殺人なんてことを犯したら、お互い一生浮かばれないということを、一泊寝て考える。
他のものに目をそらし、気を静めたり、距離を置くのもいい。
失恋など誰も例外なくするもの。
みんな恋愛、失恋の繰り返しで成長していくのだ。
若い時、愛した人と一生添い遂げるなどという美談はそうはない。 みんな別れを経験し、それぞれの人生を生きていく。
しかし、分かれた人を忘れるわけではない。
今しか見えない、それが恋だろうが、しかし、そうであっても相手をしばることなどできない。未熟過ぎる。
今回の当事者、余りに若くて痛まし過ぎる。
合掌
男女関係のもつれとか、復縁を迫られていた、とか言われているが、それがなぜ殺人事件になっちゃうのと驚いている。
確かにこのような事件はこれまでもあった。
もう少し時間をおいて頭を冷やすことができなかったのだろうか。
男女、お互い愛し合っているときは、ルンルンでもそういう時は長く続かないもの。どちらかが強く押し一方が引く、時にはその逆に、というヤジロベーの均衡で男女関係(恋愛関係)は維持されていると認識している。
相手への思いはそういうところ(バランスを取る)から育つものだ。
愛情が憎しみに変わる時、それは一言からでもあるし、ほんの小さな仕草からでもある。小さな誤解がどんどん増幅し、戻れないまでの憎しみに変わることもある。
殺したい、と思うこともあるやもしれない。しかし、それを避ける術も身につけて成長するものだ。
殺人なんてことを犯したら、お互い一生浮かばれないということを、一泊寝て考える。
他のものに目をそらし、気を静めたり、距離を置くのもいい。
失恋など誰も例外なくするもの。
みんな恋愛、失恋の繰り返しで成長していくのだ。
若い時、愛した人と一生添い遂げるなどという美談はそうはない。 みんな別れを経験し、それぞれの人生を生きていく。
しかし、分かれた人を忘れるわけではない。
今しか見えない、それが恋だろうが、しかし、そうであっても相手をしばることなどできない。未熟過ぎる。
今回の当事者、余りに若くて痛まし過ぎる。
合掌
2013年10月7日月曜日
風邪気味で自宅静養、それでも生活クラブ生協には行きました。
2013年10月2日水曜日
玉村町議会議員選挙無投票当選
国政選挙なみのの支援を受けた。 |
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