みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2010年9月29日水曜日

日本周辺波髙しですなあ

中国と尖閣列島(釣魚島)で軋轢を起こしていると思えば、今度はロシア大統領が北方領土を訪問するという。ここで竹島(独島)で火を噴けば、もう火の海と化してしまう。政府も足もとを見透かされたものです。
逆にここまでくると、戦争にもならない。何せ敵としても認められていないのだから。
民主党政府にどれだけ、中国、ロシア、韓国と信頼の関係を持っている議員がいるのか、底が知れている。まして、拉致問題を抱える北朝鮮とのパイプは全くなし。こんな事で正常な外交ができるわけない。ロシアと言えば鈴木宗男、この人物を政治的に葬っておいて、現実外交はお寒い限り。国内向けに「国益、領土、拉致」を叫んでいれば気のすむ単純・まっすぐ、困った君議員ばかりではお先真っ暗。親分アメリカに一層強く抱きつくのだけは勘弁して欲しい。
 この辺で本物の政治を目指す機運が芽生えるはずだ。新自由主義的な相手の感情すら排して、単なる目先の利益と効率だけでは、国内政治も国際政治も立ち行かないことを自覚することから始めるしかない。真の人間外交だ。これが面白い。

2010年9月25日土曜日

玉村町第4保育園運動会・日中領土問題


1週間でこんなに気温が違うのかと誰もが感じるほど、先週の小学校運動会の暑さとうって変わり肌寒い朝だった。雨が降らなければいいがと心配したが次第に薄日が差しやがて太陽が顔を出し、また暑い昼間時となった。
 子ども達は無邪気で元気そのもの。子どもの人数に比して見物人の多さも保育園運動会の特徴、親が若いから祖父母もまだ若く見物、応援に来る。楽しい一日でした。

 子どもは無邪気だが大人の世界はそうはいかない。尖閣列島(中国名釣魚島)での事件では、前原外相は「日本には領土問題は存在しない」などと強気に船長の刑事被告人としての取り調べをしたが、対する中国はこれでもかと言うほど経済的政治的圧力をかけてきた。
日常は周辺のことなどお構いなしの政府もこんな時だけ「領土、領土」と叫ぶ。両国とも島周辺の地下資源が目当てなのだから、共存共栄の試みをするしかないだろうに。帝国主義的対立で泣きをみるのはいつも庶民だ。領土、愛国心にだまされてはならない。
しかし、中国も度を越した対応をしている。東シナ海だけでなく南シナ海でも領海を巡り、フィリピン、ベトナムでもいさかいを起こしているらしい。いつから覇権主義に路線転換したのか、こんな外交をしていたら周恩来が泣くぜ。今の中国にこそ周恩来が必要だ。日本の政治家も歴史と他国の文化とのつながりを理解する人がいない。官政権は全く駄目だ。薄っぺらな理念保守に外交などできるはずがない。石橋湛山レベルの人物が欲しい。
「戦略的互恵関係」などと平気で言い合う関係を脱しなければならない。これは互いには嫌いだが、利益のためにおつきあいしましょう、という程度のもの。
真の「互敬関係」にならなければならない。これを日中外交の基本に据えるべきだ。両国の石頭の理念保守派の言うなりになれば戦争になってしまう。やはり日本には憲法9条が必要だ。

2010年9月24日金曜日

仕事のついでに大戸の関所へ立ち寄る



突然JAあがつま坂上支店へ行く用事ができ、車を走らせたところ、大戸の関所の近くではないか、加部性も多い。加部安の酒屋もこの辺にあったのだろう。八ツ場ダムで沈む予定の川原湯温泉にも近い。曇り空だったが稲刈りをしている人もいる。黄金色の稲が気持ちを安らげる。秋だ。
 大戸の関所と関所破りをした忠治が1850年12月21日に処刑された場所へ行った。今は亡き茂木正男さんの言葉を思い出す。「忠治が大戸の関所を通らずに川原湯温泉まで行った道がだいたい分かったのでそのうち歩こうよ」その約束も果たせず、深くため息をついた。


もう一度行かなくてはならないので、今度は時間に余裕を持ち、川原湯温泉につかってこよう。政治にもてあそばれている状況の八ツ場ダム問題はなんとか本体工事ストップで終わらせたい。そこに住んでいる人たちの生活保障、再建を早くしろ。
 

2010年9月22日水曜日

玉村中学体育祭



今日は玉村中学体育祭、同時に南中学でも開催された。暑いことは暑いが秋の空のもとみんな元気に跳んだり駆けたりしていた。走りなどは小学校の運動会とは迫力が違う。この時期の体の成長の早いことを痛感する。
平日とあってか、保護者などの見物が小学校運動会と比較し極端に少ない。これらの光景は映画「チルソクの夏」を連想させる。つまり青春なんだよ。
今の教育の中で成長する子ども達が大人になり、体制順応型の単なるお利口さんにならない事を願う。行き詰まった社会に疑問をもつことは若者として大事なことのはずだが、そうなっていない現実がある。教員自身が追い込まれている状況は何とか変えていかなければと考えている。
 そして25日は保育園運動会、これがまた賑やかで楽しい。人生で一番悩みの少ない時期なのだろうか。


何、主任検事が証拠の変造していたと。とんでもないことがやっと明らかになった。みんな驚いたふりをしているが、警察や検事の「取り調べ」により、どれだけ多くの人々がえん罪に陥れられてきたか考えて見た方がいい。松本サリン事件、免田事件、足利事件、袴田事件、狭山事件にしても数えればきりがない。公安事件のほとんどはこの類と言っていい。正義を掲げて権力を民衆制圧のために行使する。これを腐敗と言わず何という。

シネマまえばしが面白い。サスペンス映画の神髄「フリッツ・ラング特集」をしている。私はもちろん、そんな監督を知らないが、「M」を見たら腰が向けるほど驚いた。ベルリンの少女連続殺人事件を捜査する警察がどうしても犯人が分からないので、暗黒社会に毎日手入れをする。暗黒社会としては、毎日、手入れがあっては博打、売春等「生業」ができなくなる。そこで暗黒世界の面々が犯人探しを始める。会議の中での猛烈なタバコの煙が笑える。やっと捕まえた犯人をボスが裁判官役を演じ、弁護人までつけての「人民裁判」はその流れが現代にもそのまま通じる議論を経る。1931年の作品という。レベルの高さに腰が抜けた。
「死刑執行人もまた死す」もすごい。反ナチレジスタンスを描いた最高傑作。
他に「暗黒街の弾痕」「恐怖省」「「マン・ハント」「ビッグ・ヒート」が上映されている。全部観れるかなあ。

2010年9月18日土曜日

午前・芝根小学校運動会 午後 「拉致問題」蓮池透講演会



16日で9月議会は終わり、21年度決算は承認されたが、町執行部に対し因縁をつけるような形での反対討論があり、それは違うでしょうと言う形で反論しておいた。2年後の町長選へ向けた動きだろう。


小学校運動会が町の5つの小学校でそれぞれ開催され、母校の芝根小学校へ来賓として参加した。まだ暑いが、1週間前の猛暑とはうって変わり、秋の気配が感じられるなかでの元気のいい運動会だった。空は青く、小学生の元気な声と勢いのいい音楽で賑やかなひとときだった。子どもの成長を楽しみにする親御さんたちが懸命にビデオを回す姿があちこちにある。秋の始まりだ。しかし、この時期の運動会は少し早すぎるのではないだろうか。これも二学期制の影響だ。

午後は前橋市内で、蓮池透さんの「拉致問題」についての講演会。家族会を除名された経緯や拉致問題解決に向けた彼の考え方を話した。「家族会が感情的になるのは理解するが、政府までが一緒になっていては問題は解決しない。北朝鮮批判をすれば国内受けする事態をつくったのはマスコミの責任でもある。今となってはなんのパイプもなくなってしまった。制裁路線からの転換、対話路線の模索はどうしても必要。過去の清算を含めた具体的な動きを堂々と提示しなければならない。」
弟薫さんとの会話も紹介しながらの話は、当事者しか知らない事なので興味深く聞くことができた。拉致問題を北朝鮮批判のための政治道具にしている政府の対応にこそ問題があることに気づくべきだ。

2010年9月13日月曜日

忠治の生きた時代の玉村町 大塚政義講演会



玉村町で3度目の講演会となった大塚政義講演会が八幡宮で開かれた。同時刻、文化センターでの橋幸夫、島倉千代子のコンサートが満員の盛況の中、対抗する形での開催となった。私にとっては5度目の話だが、先生の熱心さもあり、70人程の参加者は結構満足の様子だった。榛名由里の「忠治一代」はやはりプロは違うという圧巻さがある。なかなかいいよ。
 二足のわらじをはかず、反権力で生ききった忠治人気が、どの辺にあるのかをいろんなエピソードを交えての話は相変わらず楽しい。
 大塚先生は水戸天狗党を研究して40年、高崎藩との下仁田戦争を世に明らかにするなど水戸史学の第一人者でもある。忠治研究は15年程という。まあ、人好きで楽観的なひとですよ。「またいつでも講演にきますよ」とにこやかに言う。ありがとうございます。

 11日の大泉町でのサンバの余韻が文教委員会のメンバーにはまだあるようで、玉村町でもやりたいねえ、という声しきり。

2010年9月12日日曜日

平居照朗先生を偲ぶ会を開く


 5月に亡くなった在野の経済学者「平居先生を忍ぶ会」が鬼石町で開かれた。何せ平居さんの奥さん秀子さんと事務局の都合だけで決めた日程なので、日程調整がつかず出席できない人が多かったのは残念ではあるが、参加者はそれぞれ平居先生とのつながりを語り、資本論学習でできた人のつながりを今後も維持したいという共通の思いがあった。
 小林悟先生84才、「敗戦時、大量の日本兵をシベリアに収容し、強制労働をさせるなどした社会主義国ソ連とは一体何なのだろうかと考えていたが、〈武装せる予言者・トロツキー〉のなかでその答えは書かれていた。その本を平居先生は病床でも長女に読んでもらっていた。先生はそのことを理解していたのだろう。トロツキーの思想が今後の革命運動の鍵だ。」と鋭く語る。
 医療器関係器具の製造会社勤務の関さんは、「フィリピンにある工場の中の様子は、まるで女工哀史、時計の針を10分遅らせているのではないかと思えるほどの過酷さ。私は自分の権限で時計を5分進めている。それが資本論学習の成果かなと思う」と述べた。
 さすがひとりひとりがさまざま形で資本論の世界を実践し始めている様子がうかがわれた。女子大の馬場先生も学生時代の登山の様子を、息子さんと参加した山歩きが趣味の秀子さんと語り合うなど、短時間ではあったが非常に濃いひとときとなった。
 最後に秀子さんから、心温まるあいさつをいただき、ひとまず座を閉じた。

 夕方からは、文教常任委員会の5人のメンバーで大泉町の祭りに参加し、サンバの醍醐味を満喫した。ある委員はいう。「玉村町もだんべえ踊りじゃなくてサンバとラップで盛り上げようか」。誰も反対しなかった。

2010年9月8日水曜日

民主党代表選が過熱しているが、そんな脳天気でいいのかい

総理大臣を決める代表選だから、過熱するのは当然だろう。
しかし、どちらにしても展望のない政権とならざるをえない。「資本主義は行き着いてしまった」なかですべてのことは起きている。
 国鉄分割民営化から25年、何が起きているか。「日本航空の再建」の次に来るのは、JR北海道、九州、四国、貨物会社へのテコ入れだ。これらの会社は経営が成り立たないところまで追い込まれてしまった現実がある。国民の足を分割民営化したことで、地域による経営内容の格差が結局、弱いところからつぶれていくという事態を生み出した。利益の上がっている東日本会社が手助けするという発想が出てこない。国民の足を守ると言うところでの支え合いができない体質になってしまったのだ。。
 今度は道州制なるものを導入すれば、結局、国鉄と同じ道を歩むことになる。今言う無縁社会が拡散し、社会は崩壊する。

「資本主義は行き着いてしまった」とは、昨日、一般質問に答えた町長の言葉だが、ああ、そこまで気づいているのか、と思った。

菅も小沢も道州制推進論者、究極の民営化としてすべての労働者を非正規職に置き換えた行政に何を想像できるか。失礼だがコンビニ勤務感覚での対応では、たまりません。

行き着いた資本主義の後にどんな社会を求めるのか、今はそれを考え、実践することだろう。それにしても、ソ連スターリン主義の過ちは大きい。社会主義という言葉が言い出せないほど人々に悪い影響を与えている。

2010年9月6日月曜日

姿勢を正して,中国物産館を久しぶりに訪ねる

明日から9月議会が始まるので、気持ちを落ち着けるためにもと、久しぶりに新町の中国物産館に坂本敬四郎さんを訪ねた。仕事の手を休めていただき、扇風機にあたり、快痩茶をごちそうになりながら、1時間ほど話をした。何せ中国の長ーく濃いエキスをそのまま全身に取り込んでいる人なので、内容は深いものがある。対米関係から対中関係、東洋における日本の位置など、さまざまな観点から繰り広げる内容には、一夜漬けの政治論ではとても太刀打ちできない。
 昨年暮れ、小沢一郎が大訪中団を組織した事を、そのとき知っていれば、「1万人規模の訪中団を提言したのに」と悔やんでいた。「民主党代表戦は小沢一郎でいきましょう。2年くらい総理大臣をしてもらって日本の政治をぶんまわした方がいい。政治の仕組みを変えられるのは小沢です。力ある政治家には金は集まるもの、世論、マスコミの偏った批判はおかしい」とのこと。さすが腹が据わっていらっしゃる坂本先生です。


 事務所に帰ると、逆に「菅さんに変えました。小沢さんでは駄目です」というメールも届く。これも熱い思いで語っているのだ。自宅には、一新会会長平野貞夫からの小沢推薦の文書類が届く。どちらも熱くなってるねえ。
 投票権を持たない連合群馬の知り合いが、「菅なんてなにもできない。小沢しかいない。投票用紙が来たら、俺が小沢と書くから持ってきて」という熱い奴もいる。
 回りの雰囲気は、最初は菅の声が断然多かったが、余りにもつまらない内容なので、ゴジラ小沢に期待すると変わってきているのではないか。普天間基地の辺野古移転を小沢なら転換できるのではないか、アメリカにモノを言えるのではないか、裁判員制度に異議申立するのではないかと、リスクを承知で小沢支持が増えてきているような気がする。現状突破力でいえばそれは小沢だ。

 しかし、不肖石川、党籍があっても投票用紙がこないという妙な状況の我が身とあってはいかんともしがたい。どちらがなっても混乱は動乱に発展するとみる。自民党を使った政治支配が終わり、変わった民主党政権も財政破綻を前にあえぐ姿しか見えない。政界再編への一里塚と読んだほうがいいでしょう。政治を民の手に。

2010年9月4日土曜日

玉村町小中学生 夏季研修報告会

4日午後2時から文化センター小ホールで「小中学生夏季研修報告会」が開かれた。今年から始まった広島体験研修は8月6日の広島平和記念式典に参加することを主な課題とし、原爆の実体験を語り部の高齢者から実際に聞くなどし、玉村町に住んでいてはわからない原爆の実感を参加者は感じたらしい。戦争のむごさを小さいときに知ることは大切なことと思う。引率の二人の先生方にとっても初めての生徒達を連れての研修だが、かなりの収穫があったのではないだろうか。
 未来に平和をつなぐため、このような企画は継続していけるよう町にもお願いしたい。

また、玉村中学3年生女生徒の須藤さんの「少年の主張」は内容といい、話し方といい、聞く人を圧倒する迫力で、こんな生徒がいるのかと、感心させられた。

中学生海外派遣団のエレンズバーグでの様子も楽しく報告された。


夕方5時半からは前橋市内で連合群馬結成20周年記念レセプションが行われ、大澤知事も出席し、大勢参加のなかにぎやかな催しとなった。連合は労使協調路線でこの間歩んできた。今日、民主党政権の与党労働組合ともいえるなかで、逆に相当なジレンマを抱えてしまったことは間違いない。「国民の生活が第一」とはなっていない現実をいかに突破し、格差なき社会を作り出すかが今後の課題だ。

そして、民主党代表選挙の真っ最中、菅か小沢かの真剣勝負だが、世間はしらけてるよ。菅はまだ3ヶ月しか経っていないのだから、もう少し様子を見た方がいい、と言う声はたくさん聞く。小沢はとにかくあらゆる意味で危ないから駄目だ。しかし、前原、野田グループの保守路線を唯々諾々と進めているだけでは、NO WE 菅だ.

2010年9月1日水曜日

ビルマ ビデオジャーナリスト

「あなたの持っている自由を持たない人のために用いてください。」ーアゥンサンスーチーー
誰もが覚えているだろう。軍政の敷かれているビルマで巨万の僧侶と大衆がデモを繰り広げた2007年のデモの様子を。そして日本人ジャーナリスト長井健司さんが射殺された瞬間を。
軍によるカメラを持つ人に対しての弾圧は苛烈を極める。そこでは意を決した人たちが連携してハンデイカメラやビデオで身の危険を賭して秘密に撮影し、密かに国外に持ち出され、無償で国際的なメデイアに送信され、私たちの目に届く。その記録の集大成がこの映画といえる。
 厳しい弾圧下、不屈に闘うビルマの人々に連帯する事が求められる。それが「あなたの持っている自由を持たない人のために用いてください」だ。
 この映画を観て森達也は彼らに言う。「死ぬな」と。10日までシネマテーク高崎で。


26日夜は、密照政彦飯倉区長の呼びかけで、飯倉在住の新井健司さん(勢多農林高校教諭)の報告講演会が開かれた。彼は2年間、青年海外協力隊の一員としてアフリカのマラウイで主に農業、灌漑、測量指導などの実習を指導してきた。その体験話が中心だったが、話は実に面白かった。アフリカの暮らしぶりが紹介されたが、新井さん自身の感じたままの話なので、余計な尾ひれもなく逆にわかりやすい。

1.日本の良いところとして、時間を守る、礼儀正しい、あいさつができ計画的なところ。悪いところとして、働き過ぎ、ゆとりがない、人間関係で疲れることが多い、細かすぎる。

2.物がそろい過ぎていると、子育て、教育、大人が生きるうえでも便利さはあるもののかえって大変と感じる。アフリカのマラウイでは学校がない、当然、机、椅子が無いのナイナイ尽くしだったが、一番大切なもの、学ぶことに感謝する、聞く態度、姿勢はすばらしかった。
という。

こういうタフでラフでしかも繊細な教師が求められていると思う。教育指導要領にがんじがらめになって目先しか見えない教員が山ほどいるのが現状ではないのか。教師こそ外へ飛び出し感性を豊かにして欲しい。