みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2012年8月29日水曜日

9月定例会に向けての準備

 9月4日から始まる玉村町9月定例議会は決算議会でもある。
分厚い決算書を読み、昨年度の実績と成果を議論する。
 合併しないからこそ細かいところにも目が届くのだが、それでも、人口37000人規模で一般会計100億円超、結構な規模の財政だ。
 じっくり資料に目を通そう。

 9月12日午後6時30分からの伊勢崎市文化会館での「一粒の麦、地に落ちなば」上映会のチケットもだいぶ売れてきた。
当日までの完売目指して奮闘中。

また朝鮮高級学校生徒への「高校無償化」適用を求める署名も集めている。

 高齢化の波が高まっているのだろう。後見人選任の相談がこのところ多い。
本人でもできますよ、とは言いながら、なかなか進みそうもないので、申請書つくりを手伝う。
そうするうち、現在の施設は年金だけでは間に合わないので、もっと安い施設はないだろうか、と聞かれ、そちらへの対応も的確にやっている。
 いづれは我が身だから。
しかし、連日の猛暑には弱りました。

2012年8月26日日曜日

どこの誰だか知らないけれど。涼感あふれる「釣り名人・巡査部長」の記事・・・

 酷暑の毎日、領土問題で軋轢を増す近隣諸国との関係、庶民の願いとは裏腹な政治状況に、不満は溜まる一方だ。
 領土問題などで熱くなったらろくなことはない。ましてや無人島の話。
 普段から周辺部を大切にする政治をしているならともかく、東京(都市部)中心主義、市場主義のなかで地方、ましてや行政効率の悪い離島、無人島は置いてきぼりにされてきた。
  この辺の人々の生活の安定保証こそが最初になければならないはずが、それをせずこんな時だけ脚光を浴び、都市部の勇ましい議員連中が日の丸をあげて乗り込む
 国家に踊らされるな。中国や韓国と敵対関係になっていいことは何もない。
 しかし、この政府、中国、韓国にはモノを言えても、アメリカにはおとなしく服従するクセが身に付いてしまったようだ。
 オスプレイの沖縄配備に異議すら申し立てられない、そのことの方が問題だ。

 少し遠くから地球を見ろ。月から、宇宙から見たら、地球なんて小さな球体に過ぎない。
 人間はその奇跡の惑星に短期間、棲息している生物にすぎない。
 誰も親を選べないのと同じに基本的に国も選べない。
生まれた所の国にその国民として生きているにすぎない。
ひとりひとりの人間は敵対する理由など何もない。
国家にだまされるな。
今は冷静になることが一番大事だ。

 
 
 今朝の新聞に「釣り名人・巡査部長処分」という記事があった。
釣り専門誌に原稿を執筆し報酬を受け取ったというもの。
報酬は一本につき10000円程度で、この6年間で約30本書いていたという。
 処分内容は本部長訓戒。そして巡査部長は依願退職した。
釣り専門のテレビなどにも出演し、釣り師としても腕前は相当らしい。
 最近目につく警察官の犯罪は、わいせつ、秘密漏洩、収賄などと目を覆うものばかりだが、この巡査部長の一件、涼感あふれるほのぼのとしたもので、おそらく休みは釣り三昧だったろうことが推測できる。
 どこの誰だか知らないけれど、彼は自然の醍醐味を知ってしまったのだろう。
 綱紀粛正もほどほどにしないと、人間的にまともな感性を持つ警察官がいなくなってしまう。
 
 この場合の訓戒はむしろ「励まし」と受け止め、退職などして欲しくなかった。
 

 
 
 
 

2012年8月25日土曜日

明日は前橋市内で宗教者平和行進



 前橋市内での〈連合群馬2012年県民調査集計結果報告会〉の後、事務所に帰ると、宗教者平和行進のチラシが入っていた。
明日です。
どなた様も参加ください。





2012年8月23日木曜日

ジャーナリスト山本美香さんの死を悼む

 内戦状態のシリアの北部都市アレッポで日本人ジャーナリストの山本美香さんが銃撃されて死亡した。
 数年前ビルマでのデモ取材中に射殺された長井健司さんを思い出す。
 紛争地の苦しみは「遠い国の出来事」ではなく、日本の私たちにもつながっている。そのことを日本の若い人たちが実感として持てなくなっていることへの危機感を彼女は持っていた。
 紛争地を取材し、そこで生きる人びと、特に女性や子供たちの生の姿を世界に送り、戦争を押しとどめる力になれば、と考えていた山本さんの死を心から悼む。

 新自由主義のなかで、自分さえ良ければ他人のことは関心さえない、という風潮が特に最近は目立つ。
彼女の死にさえ「自己責任」などと言う人もいるだろう。
 しかし、山本さんのような若いジャーナリストが世界中に飛び出し、戦争の悲惨な事実を世界中に発信し、世界はつながっていると訴え続けていることは極めて重要なことだ。

 自国の領土を守れ、と「日の丸」を打ち振りながら、尖閣列島に上陸する愛国者や橋下維新の人気に乗って国会議員になろうとする輩より断然、国際派ジャーナリストの姿勢の方がいい。
 もう周りは愛国保守派だらけで息も詰まりそうだが、どっこいまだまだ生きている。
 本来、人間にとり国境などないはずだ。
 
 

2012年8月21日火曜日

ぐんま「まちづくり」ビジョンの勉強会

県議会庁舎内で〈ぐんま「まちづくり」ビジョンの勉強会〉があった。
県内人口減少傾向のなかでの効率的な都市構造への転換を目指す必要があるというもの。
それはそうだろう。人口増加時代のまちづくりからの発想の転換は急務だ。
 人口減少、産業の分布、急速な高齢化、平坦地あり山間部ありという群馬の地形、自然環境を見据えた上でのまちづくりを望みたい。
 しかも、効率一辺倒では存続できない、都市部には組み込むことのできない山間地域での住みよい地域づくりは、山守りという意味でも必要と考える。
 人間らしく生きることを基本に据えたまちづくり、これは一見非効率に見えるが長いスパンで考えると全体としてよほど効率のよい、特に災害に際して効果的な地域づくりとなることを銘記して欲しい。
 うまれたての子どもから高齢者までの県民が生き生き重層的に暮らせる群馬の環境づくり、やりがいがあると思う。


 今日は文教常任委員会で埼玉県白岡町への行政視察、総合運動公園の説明を受けた。
町の面積は玉村町と同じくらい、人口は玉村町の37000人に比べて50000人と多い。
東京から40キロほどの距離にあり東武鉄道、JR線がとおり駅も複数あれば通勤、通学にも便利な環境も手伝っているのだろう。
梨という特産物もある。
そして白岡町、この10月1日から白岡市となる。
 

2012年8月19日日曜日

よしい星空の映画祭

角倉県議と三木代表

野外上映の醍醐味
 鏑川への平和灯籠流しの後、よしい運動公園体育館広場で夜7時から上映された「オカンの嫁入り」は面白かった。
 毎年どの一作品を上映するか相当迷っているだろうが、時期にあった良作を選んでいるので参加する者としても安心して楽しめる。
 しかし、舞台裏は大変忙しく多くの人たちが暑い時間帯から準備に大汗をかいていたようだ。
 私が到着した6時30分ころには角倉県議もいて三木さんと談笑、栗原君も準備の手伝いで活躍したようだ。
 この時間帯さすがに暑さも和らいだが、座り込んだコンクリートの上はまだ熱く、立ったり座ったりしながら観ていた。
 風もなくこの時期の野外上映としては好条件だったと思う。
 平和を願う星空の映画祭、今後も続けて欲しいもの。

 帰りがけ、吉井町での楽しみのひとつ、豚カツの店「みつ味」でヒレカツ定食と冷たいビールを一杯。これが実にうまいのだ。

2012年8月18日土曜日

毎週金曜日の高崎駅西口広場デモに初参加

 高崎に夕方用事があったこともあり、昨日が3回目の高崎駅西口での脱原発金曜日デモに初参加した。
 雨模様だったが7時時点で50人ほどが参加していた。
知り合いより全く知らない人の方が多かったので、運動の広がりがここでも確認できる。
 仕事が終わって「帰宅の途中デモ」もいいだろう。こういう表現方法はこれまでなかったことだ。
 政治の貧困により脱原発路線に転換できないなら、主権者のひとりひとりの出番という訳だ。
 首相官邸前デモの模様もパソコンが流していた。

 福島原発事故の教訓は、原発なしの社会、原発を必要としない社会をつくりあげることだろう。
 すべての生き物、万物は大自然の絶妙なバランスの中で生き死にを繰り返して今日まできた。
 ところが科(化)学の進歩が「科(化)学万能神話」を生み出し、自然界のシステム以上のことが人間にはできる、などと過信する風潮が出てきた。
 「原発万能神話」もその流れだ。
現実は「単細胞生物」すら科学は生み出せていない。
目を醒まそう。

 今日も暑いが夕方から、吉井町で行われる〈よしい星空の映画祭〉に行く。上映映画は「オカンの嫁入り」。

2012年8月15日水曜日

騒がしくなりそうな総選挙

 新盆で3日間、家で来客の対応しているが、外出できないことは結構疲れる。
 普段家にいないので、新盆は覚悟をきめていたが、日中、座り込み来客の対応、規則通りの食事をしていたら明らかに運動不足なのがわかった。
今日はこれからプールに行って発散させよう。

 13日、角田義一さんに来ていただいた。前回選挙の時撮った母と角田さんのツーショットは、母にとり文字通りの記念写真、冥土の土産だ。その一枚の写真から話は進んだ。

  9月12日の〈一粒の麦、地に落ちなば〉の伊勢崎上映会を多くの人の参加を得て成功させたい、と話し込んでいたところへ、飛んで火にいる土田君、「その映画もう一度見たからいいでしょう」とはいかなくなり、勢いで10枚買わせられる羽目に。
 話は橋下大阪市長率いる大阪維新の会と群馬2区の石関たかし、みんなの党の上野宏史が合流に向け協議したというニュースに進んだ。

 民主党では分が悪いとみた、石関流身の処し方が始まったということだが、彼のような不埒な人物を2区から国会議員としてこれ以上送り出すわけにはいかない。厳正に対処したい。

 角田さんが帰って15分後に桑原さんも宮川さんと来てくれた。国会の模様を聞いたが、もうすさまじいメチャクチャな状況らしい。

 井田県議からも2区の情勢を聞いたが、「井野で頑張るしかない」とか。本当に大丈夫かいな。

 続いて後藤あらたさん、1区での出馬はどの政党からと聞いたが検討中とのこと。自民、民主ではない。かといって公明でもないでしょう。社民、共産でなければ、いったいどこの党だろうか。
今、はやりの維新?
一応、そこで私の考え方を話しておいた。
 維新代表の橋下徹は全く無責任な人物で信頼できない。極めて保守的で戦後的価値観を右側から破壊し、国民生活を崩壊される要素をもった最も危険な政治団体だと。
 新自由主義を標榜する政党は支持できない。
少なくとも、社民主義を掲げた政党を選択した方がいい、と。

 今日は終戦記念日、あの侵略戦争の本質と無残な実態をまっすぐ見据えることのできる政治家、政党が本当に欲しい。

 


 

 

2012年8月12日日曜日

世界の名犬牧場から見る前橋花火

   前橋富士見町にある世界の名犬牧場でのサマーウオーターズの「サマーナイト・ライブ」を楽しんだ。
  小林日出幸さんに誘われたもので5人で参加した。
6時過ぎから降り出した雨により、芝生から建物の軒下に避難していたが、コンサートが始まる7時頃には小雨となり、夜のコンサートを楽しめた。
 眼下遠くには前橋花火大会で打ち上げられた花火も見える。
バンドの演奏と花火見物も夏の一夜の楽しみだ。
 虎舞士の舞踊を見た後、玉村町のほるもん屋で下山祝い。
夏のビールは一杯目がうまい。

2012年8月11日土曜日

信もなく德もない野田政権に今度は領土問題の洗礼

 国民との意識の乖離が甚だしい野田政権は自民党、公明党と組み、昨日、消費増税法案を成立させた。
 そこに韓国大統領の竹島(韓国名・独島)上陸というニュースが飛び込んだ。
 北方領土といい、尖閣列島(中国名・釣魚島)といい、日本政治の足下を見られた結果だろう。
 昨夜のテレビで思い出したのは、李大統領就任時、日本は福田総理だった。
 あれから、麻生、鳩山、菅、そして野田と毎年変わってきた。これじゃ生徒会レベルだ。
 これでは外交的にも信頼感は醸成されない。本当に約束守れるのかい、となるだろう。
 

 森本防衛大臣が「他国の内政にとやかくコメントするのは控える」と発言し、袋だたきにあっている。
 おそらく友好関係にある日韓、そして李大統領の国内事情の厳しさに配慮しての発言だったのだろう。
 この人、味方側には配慮しすぎる性格らしい。
アメリカに配慮し、多くの国民が不安と怒りの頂点にあるオスプレイ沖縄配備には異議すら言わない。
一方〈仮想敵〉である中国や北朝鮮には容赦しない。
 こういう人を防衛大臣にしておいてはいけない。危ない。

 〈竹島は歴史的にも国際法上も我が国の領土である〉
これが日本政府の立場だ。
 国内ではすべてこの方針でいくのだから、それに異を唱える発言には容赦しない攻撃を集中する。

 〈尖閣諸島を巡っては解決しなければならない領土問題はない〉
 これが政府見解だから、尖閣買取りを批判した丹羽中国大使の現実的な発言も集中攻撃を受けた。
 しかし、領土問題が現実としてあるから、島の買い取りという話になってきたのだろうに。島の買取りをしても領土問題の解決などにはならないことを理解できない気分に社会がなりつつある。

 竹島(独島)にしても尖閣列島(釣魚島)にしても人間が住む環境にはない。
 豊富な漁場、地下資源の宝庫としての期待と思惑があるのなら、関係国でそのような対応をとったほうがずっと生産的だ。
 そのような議論さえ封殺される日本社会はやはり異常だ。
「毅然外交」だけでは何も進まないことは「拉致問題」を考えれば明らかだろう。
 国内の言論が自由にできない「自由主義国」がまともな外交なんてできようはずもない。外交こそ、信と徳なしには1ミリも進まない。
 
 領土問題となるとどこの国も熱くなり、排外主義が高まり戦争してでも解決しようという気運すら出てくる。
 まして国内的に閉塞感一杯の日本の現状、信も徳もない政治が国民をまとめ上げるには、外へ向かい差別・排外主義を煽るのが手っ取り早いことは歴史が示している。
 問われているのは、そのような排外主義キャンペーンを拒否する姿勢だ。
 

 
 
 
 
 

2012年8月9日木曜日

一粒の麦、地に落ちなば 伊勢崎上映会決定

求道の人・角田儀平治

 県内数か所での上映会がすでに行われた角田儀平治先生の生涯を社会とのかかわりのなかで描いた「一粒の麦・地に落ちなば」の伊勢崎上映会が決定した。
 塚越紀一県議を実行委員長、顧問に五十嵐伊勢崎市長、貫井玉村町長を顧問に据え、多彩な実行委員を構えた上映実行委員会が結成され、チケット、チラシの用意もできた。
 私自身、前橋での上映会で観賞したが、多くの人に観て欲しい映画だ。
 何故か。戦中の暗黒の時代に反戦運動を戦い権力の弾圧の中を生き抜き、戦後は民主主義の実現のため数々の住民運動、労働運動、反戦平和運動にキリスト者弁護士としてかかわり続けたその姿勢と当時の社会状況を現実のものとして知ることができるからだ。
 今の政治、労働運動の体たらくを見るにつけ、歯ぎしりする思いだが、だからこそこの映画を観る意味がある。
 
 私自身、まだ20代の頃、儀平治先生との会話の中で「明日、三里塚集会に行ってきます」と言うと、「そうか」と笑いながら1万円のカンパをいただいたことを昨日のように覚えている。
 映画は1回観ればそれでいいというのではなく、複数回観るとまた違った面が観えてくる。それがいいのだ。
「パッチギ」はいつの間にか8回観てしまった。

 上映日 9月12日 午後6時30分
 会 場  伊勢崎市文化会館小ホール
 チケットたくさんあります。1枚1000円

2012年8月8日水曜日

野田内閣は総辞職すべきだ


 財務省に洗脳された野田首相が「政治生命をかけて」自民党、公明党と組んでまで、そして自分の足場である民主党を解体的状況に落としいれても成し遂げようとしている消費税増税法案が最終局面で混沌としている。
それはそうだろう、民主党内で消費税増税を本気で今、必要と考えている議員がどれだけいるというのか。
 野田はその保守派ぶりを無様にさらけ出してしまったが、今、当てにしていた三党合意の当事者である自民党にいいようになぶられている。
「すぐ解散を約束しろ。さもなければ不信任だ」、などと脅しまくる自民党も自民党だ。
 公明党はいつもそうだが、はじめ反対、最後は少し意見を取り入れてもらって賛成に回るという、これまたこずるい対応の連続だから、私は全く評価していない。
 この際、不信任案を可決して、内閣総辞職を求めたい。

 近々の総選挙を見越しての動きが群馬でも聞こえてきた。
若い女性高崎市議が群馬4区から出馬するらしい。
今はやりの「維新の会」からという。「好きにすれば」の一言だ。
「維新の会」は薄っぺらな保守思考の集団で橋下大阪市長の倒錯した人気に乗じているにすぎない。
このような集団が政党を組み、全国を我がもの顔でのし歩くようなことを許してはならない。
 3年前、「夏の雪子が日本を変える」と言っていたが、彼女がどれだけのものだったか、誰でもわかるだろう。
 若さだけが売りの国会議員だけは勘弁してほしい。 
薄っぺらな現状批判しかできない潮流に、フワフワ、フラフラ迎合し、お付き合いするつもりはない。
 自然や人間、命に対する共感などしっかりした思想を持った人でないとダメだ。

 TPP反対、脱原発、消費増税反対、オスプレイ配備反対、総じて新自由主義に反対する思想と行動が欲しい。
 野田内閣はどこから見ても失格。
  

2012年8月5日日曜日

いじめ事件の遠因はどこに

滋賀県大津市内中学校での男子児童の自殺を巡り、またしても「いじめ論議」が活発化している。
 学校等への警察の強制捜査ということもあり、学校が悪い、家庭にも問題が、などとさまざまなことを主張したいのだろうが、その警察だって3回に及ぶ家族の相談に対して当初は動かなかった。
 いじめはあった。しかしなぜ彼を自殺にまで追い込んでしまったのかその原因を究明すべきだ。
 私は教育者ではないので、細かいことはわからないが、教育の現場が子供のために正しく機能していないことは想像できる。
 特に教育基本法が改悪されて以来、何かと、学校評価、教員評価、数値目標など管理と競争が一段と強化され寛容さが教育から失われているのではないだろうか。
 教師の日常は行政側から学校側へ下ろされてくる数値目標(学力テストの点数、有名校への進学者数、センター試験の得点率、生徒や保護者の授業評価や学校満足度調査)に翻弄され、それらの達成に貢献できなければ、その教師は勤務評価で高く評価されない。
 いじめなどへの地道な取り組みは数字に表せないので、教師にとり見栄えのしない仕事になってくる。
 教育は全人教育なのだから、いろんなタイプの教師が必要なのだが、数値で評価されるとなると、どうしても偏ってくる。
 教師集団が補完作用を働かすことのできる機能を再生する必要がある。職員組合の再生強化こそが急務だろう。

 うわべの道徳教育や武道選択、武道選択に至っては「何を今更武道?」とあきれてしまうが、保守派の考え方は至って単純、「形だけ整えればそれでいい」のだ。
 また武道の選択といっても子供たちが選択できるのではない。学校が武道を選択するのだ。それは子供にとり、「その意に反する苦役」になりかねないことだ。
 我が日本古来の国技たる相撲を選択した学校はほとんどない。中学生男女がマワシをつけてガチンコ相撲とる姿を想像すると、選択しづらいことは理解できる。選択したら親が文句を言うだろう。「なんでよりによってスモウ何ですか」って。
 結果、費用等の関係もあり柔道の選択が多いようだ。
しかし、今度は、事故やケガへの配慮から、投げは禁止で受け身の練習のみ。教える教師も不足。深みも何もないのが現状。
「あいさつができるようになればいい。それが日本の心だ」
 全く質は問わずうわべだけで、伝統と文化が理解できようはずもない。

 新自由主義的国家経済至上主義に基づく国策としての人材育成教育体制(国家目標を設定し、市場原理で競わせ、成果に応じて評価・分配・序列化し、効率よく国に役立つ人材を養成する制度)そのものがいじめを生み出し、恒常化させている。

 国連「子どもの権利委員会」が子どもの権利条約に基づいて以前から日本政府に勧告している。
「日本の高度に競争的な教育制度そのものが子どもたちに過度のストレスを醸成し、子どもたちの発達のゆがみを生み出している。」とし、「知的な人材教育に偏重するのではなく、子どもが人間として成長発達できるような制度にバランスを回復せよ」と。

 いじめはどこにでもある、自衛隊にも。
海上自衛隊の護衛艦「たちかぜ」の男性乗組員(当時21歳)が
2004年に自殺した事件で、自殺の前日に「いじめにより自殺する決心をした。」と同僚の1人に告白し、自殺直後、この同僚からその内容を聞き取り文書化したものを開示せず、「いじめが自殺の原因ではない」と自衛隊側は主張していた。
 自衛隊というと別の世界と考えがちだが、昨今の自衛隊の動きを見ると、やはり、本質として「軍隊」だということを見ておくべきだ。そこに供給される人間は我々の側、99㌫の側の仲間だ。
 旧軍がどのようなやり方で軍を統制してきたか、おだてと暴力、脅しによる統制・規律だ。
 天皇制の権威をもとに強烈な愛国心を叩き込み、国のための自己犠牲=死すら強要され、戦死すれば靖国神社へ英霊として祭られる。
 悲しみが喜びに転換する装置としての靖国神社まで用意されている。「死の錬金術」(高橋哲哉著・靖国問題参照)だ。
その体質は基本的には変わっていないだろう。
 自衛隊内のいじめは表に出るのは氷山の一角、閉鎖社会だからこそ、まだ若い隊員の人権や自由の保障を周囲が支援する必要がある。
 その意に反する理不尽な命令を拒否するためにも。
 これらの裁判にも注目していきたい。


 
 

2012年8月4日土曜日

第2回市町村議会議員特別セミナー・国際文化研修所


朝の琵琶湖

唐崎神社の松

夕暮れ時の八坂神社
真夏の議員研修先は真冬に来た琵琶湖湖畔にある全国市町村国際文化研修所。
玉村町議会文教福祉常任委員会のメンバーがうち揃っての参加だった。
 今回の講義は①「地方税財政の課題と方向性」(神野直彦東京大学名誉教授)
②「震災復興と地域の役割」(五百旗頭真熊本県立大学理事長)
③「これからの地方議員のあり方」(佐々木信夫中央大学大学院経済学研究科。経済学部教授)
④「支え合いの町づくり」中川智子宝塚市長
一日目は神野直彦さんと五百旗頭真さんの講義、2日目は佐々木さんと中川市長の講義だった。
 誰も時間をオーバーする勢いでの講義だったが、内容もそれぞれタイムリーなものでそれなりにうなずけるものはあった。
 特に神野先生の講演を聴くのは3度目だ。
新自由主義モデルに批判的な先生の講義は大いに勉強になる。
 政府が考えている消費増税分の使い方を考えると、今回はむしろ所得税の増税で賄うのが筋、という考え方に同調したい。
 現代を、「豊かさ」の追求から「幸福」の追求へと転換する歴史の「峠」に立ち至っていると表現する論文を10年ほど前、初めて読んだときはかなり新鮮だった。
 現実にどのような形で日本社会が峠越えをしようとするのか、今の政治が示せていないのが現状だ。
政権交代しても特に野田政権は自民党と同じ思考回路らしいから、神野先生は頭の痛いところだろう。

 2日目の中川市長の話はよかった。
善意と行動力いっぱいの無名の中川さんが阪神大震災を契機に、救援ボランテイアを全開で行っていく過程での出来事や考え方をわかりやすく話した。
 その後、社民党衆議院議員2期、そして宝塚市長へと進み、今回の東北大震災に生かされていく。
 善意と行動の女性パワーに圧倒された感じの90分だった。
変にしたり顔で難しいこという男より実行の伴う裏のない女性市長の方がいい。