時間があったので、昨年暮れ、大塚正義先生から送られてきた水戸史学第71号を読んだ。
「上州路を駆け抜けた水戸天狗党」という論文だ。太田宿から藤岡宿、吉井宿そして貫前神社から小坂坂峠を越えて下仁田戦争までを書いている。
大塚先生は国定忠治研究を専門としているのかと思えば、実は水戸天狗党の研究者という。忠治研究はまだ20年にならないので駆け出しだそうだ。それ以前から天狗党の研究をして、「下仁田戦争」を歴史的に明らかにした功績で水戸史学会の会員になれた。「水戸人より天狗党のことは知っています」と内容豊でその話ぶりも面白いのでつい深みにはまってしまう。確かにこういう人ってどこか変わっている面はある。その先生から親しくしていただけるのだから嬉しい。
一昨年、下仁田戦争の現場を小半日かけて案内していただいたときも、そのマメさには感心するばかりだ。
こんな関係になるには、伏線があった。私自身、幕末の水戸藩にかなり興味があり、桜田門外の変に関する本を読んでいるうちに、開国と尊皇攘夷のせめぎ合いの中で権力闘争が行われていた時代背景に突き当たった。薩長は攘夷の困難さを身をもって体験し、倒幕に走っていた。しかし、天狗党は攘夷をあくまで敢行していた。水戸学という非常に保守的右翼的学問のためか、考えることに幅がなく、勝ち目がなくてもとことん突き進むという典型が天狗党。その天狗党にどこか同情している自分がいることに気づいた。
天狗争乱(吉川昭)、天狗党血風録(杉田幸三)、天狗党が往く(光武敏郎),幕末の水戸藩(山川菊江著)などを読み、大塚先生にそのメモなどを読んでいただいたら、私以上の筆まめの先生からの手紙の攻勢となった次第。
先生もそうだが、私も天狗党が押し込められたニシン倉や墓を尋ね敦賀まで行ったことがあり、その時役立ったのは、「天狗党が往く」という本。そして封建制度なんてこの程度のものと徹底暴露しているのが、「幕末の水戸藩」。
今この時間、我が友が、水戸市内の民宿でアンコウ鍋を囲んでいることを想いながら書いた。
とにかく当時は熱い時代だったことは確か。今も熱い時代のはずなのだがねえ。
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