朝日新聞の争論「カジノを日本に」を読む。建設省退官後国会議員になった民主党衆院議員古賀一成(賛成派)とパチスロライター大崎一万発(反対派)の争論だ。
本気で「カジノを日本に」などと考えている議員連中のなんと単細胞なことか。
「アフターエイトを過ごす空間、大人の社交場」といい、「カジノの売り上げは富裕層からのもの。今は熱中できるものがない世の中、高齢者を含め、遊びと社交のメニューが増える。ギャンブル依存症の増加に対しては、収益の一部を依存症対策の基金にすればいい。」ときた。脳天気も甚だしい。何の生産性もないことに全く気づこうともしない。駄目です。
一方の大崎一万発、ふざけた名前の通りのギャンブラー、その道の達人がカジノ批判をする。「
大勝ちを夢見て、結局はスッテンテンになるギャンブル産業は人間の弱さを含めたところで成り立っている。カジノもつまりは賭博場、社交場などというきれいごとにならない」と徹底批判、怪しげな人物の方が本質を見、正論を吐くという一つの実例だろう。「清く正しく美しくカジノを」なんてあり得ません。
そして「新聞研究がボツにした原発報道批判記事㊤」という週間金曜日の記事、明石昇二郎の記事が依頼先の「新聞研究」からの「修正」要請に応じたにもかかわらず、編集長から「ボツにしたい」と掲載を断られた。広く読まれるべきと考える「金曜日」が全文掲載を始めた。読んでみると、何の問題もない、ジャーナリストはこうでなくてはならない。大手新聞は何を恐れている。民衆の新聞になれ。
30日、玉村町歴史資料館企画展「国境河川地域、玉村町の戦国時代」に際し、県立歴史博物館の簗瀬大輔先生の講演を聴いた。この手の歴史講座はいつも満員の盛況、我がふるさとの歴史を知りたい、という気持ちの強さだろう。
今年は戦国末期に玉村町に拠点を持った小領主・宇津木氏を巡る話、現に「宇津木姓」の人はたくさんいる事もあり、「子孫」の人たちも多く参加していたようだ。
当時、玉村は交通の要衝であり、利根川の福島渡河点左岸に構築された軍事施設(北玉村寄合)での「渡守」が宇津木氏の本来的家職ではないかと読み解く。時代に翻弄されていく民衆が背景にあることも見逃せない、興味深い内容だった。
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