山田行雄さんの応援を受けてたたかった町議選(2009年10月2日)
友人山田行雄高崎市議(59才)の葬儀が昨日行われた。
3年4ヶ月に及ぶガンとのたたかいだった。
彼に初めて会ったのは山田さんが国労高崎支部書記長をしていた頃だった。
玉村町文化センターでの何らかの催しの会場の後ろの方にひとり座っていた。
髭ずらで大柄、野太い声とあの顔で話しかけられれば、気の小さい人はすくんでしまう。私も例外ではなかったが、いつのまにか、無理なくつきあいは進み、今日に至ったのは、彼の一途さ、シャイな面、気配りがそうさせたのだろう。
外注化、民営化が極端なまでに労働者を犠牲にし、日本社会がここまで荒んだその出発点としての国鉄分割民営化という国策に彼はハッキリ反対し、行動し、誰が味方で誰が裏切り者かハッキリさせてきた。
11月中旬に自宅を訪ねた時も、「組織拡大で運動を展開し、反動を跳ね返そう」とその展望を語っていた。
3期目の玉村町議選(2009年)をその山田行雄さんに支援していただいたことは忘れられない。
こちらがシッカリ立っていないと脇に追いやられそうになるほどの風圧と存在感だった。
井筒和幸監督が「黄金を抱いて翔べ」を製作する過程で、労働組合運動の経験者の話を聞きたい、ということを土田君から聞き、山田さんに連絡すると、闘病中にもかかわらず、玉村町にまで来てくれた。
ホルモン屋で、井筒監督と山田行雄、酒も飲まずに3時間以上話し込んでいたこともあった。
完成後、「役にたったよ。山田さんによろしく」とは井筒監督の言葉。
土田君を通じ井筒監督にも山田さんの訃報を知らせなければならない。
彼が関与した高崎映画祭関係者は、これで茂木正男さん、常見次郎さんに続いて山田行雄さんを見送ることになってしまった。
また、彼が若き日にたたかった成田闘争でも、萩原進事務局次長(69歳)が亡くなり、期せずして同じ日の葬儀となった。
自治体議員としても、初めての選挙以来、大変お世話になった元伊勢崎市議の堀込忠三さん(85歳)もこの暮れに亡くなった。
それぞれの思いを引受け、生き続けることが、生き残った者の責任だろう。
合掌
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