慰霊塔に手を合せ犠牲者の冥福を祈る
日朝友好連帯群馬県民会議主催による関東大震災朝鮮人犠牲者91周年慰霊祭が藤岡市の成道寺で開かれた。
1923年9月5日、6日にわたり、藤岡警察署に保護されていた朝鮮人17人が、地元自警団により虐殺されたことを知る人がどれほどいるだろうか。
〈震災時のデマにより、9月5日、怒った民衆数千人が警察前に集まり、留置所を破壊し、16人を引き出し、門前にて撲殺し警察の前に並べて死の山とした。6日の夜、民衆、残りの朝鮮人1人を留置所より引き出し、殺し、警察を破壊し、8時から11時頃まで無警察状態となった〉以上は過去帳より。
このような悲惨な過ちを繰り返さないためにも毎年開いている「慰霊祭」だ。
あいさつの中で、群馬の森にある「朝鮮人追悼碑撤去」に対して裁判闘争を闘うことも報告された。
歴史改ざんのこれ以上の動きを許さない決意と行動が必要だろう。
現在、北朝鮮との間で交渉が行われている日本人問題に関して言えば、日本政府は拉致問題ばかり主張するが、朝鮮残留日本人や朝鮮で亡くなった日本人遺骨収集問題などもあるはず。
いつも思うことだが、関東大震災時の朝鮮人大虐殺に対して全く真相解明しようとしない日本政府の対応の悪さ、加害の歴史がスッポリ抜け落ち、拉致被害ばかりを声高に主張するその外交姿勢では、被害国・朝鮮の理解を得るにはほど遠いことを自覚しなければならない。
相手の北朝鮮政府はアメリカをヘトヘト、辟易させるほどの水際外交をやってのけ、中国のいいなりにさえならない筋金入りの外交手腕を持っている。
「日本は今も昔も悪いことをしない誇り高い国だ」などと、島国・日本国内の右翼人士だけにかろうじて通用する単純、薄っぺら、困った外交では、簡単に一蹴されることは明らか。
歴史は長く広く深くそして複雑だ。
日朝外交を進展させる鍵は何のことはない。
明治以降の対朝鮮政策、朝鮮植民地政策のなかで起きたさまざまな事件に向き合い、朝鮮の立場を理解し、対応をとることに尽きる。
その立場から慰霊祭への毎年の参加を心がけている。
昼は、玉村町烏川沿いの水辺の森公園で開かれた「水辺の森フェスタ」へ。
晴天の中、大勢の参加者を得て、手作りの祭りも盛り上がっていた。恒例化し、今後の推移が楽しみだ。
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