玉村側を歩くひ人々
8月31日玉村と伊勢崎を結ぶ橋が完成し、玉村工区の道路部分と合せて開通式が行われた。これで高崎から板倉町までの約60キロが直通で結ばれる。
この道路の使用度は高く、既に渋滞状態になることさえある。多くの人が待ち望んだ橋だ。
自宅から五料橋を経て新橋を巡る散歩コースは10000歩でまた新しい楽しみが増えた。
散歩中、見知らぬ夫婦が話をしていた。「この道路、高盛式にならなくてよかった」と。
そう、玉村通過部分だけそれも町の中央部分を高盛土方式の道路で建設することに決まり、事実、文化センター北側は高盛道路となっている。
町の分断を許す訳にはいかない、とその建設し始めた高盛方式の道路を平面化するために、星野繁さんを代表にして〈広幹道を考える会〉を結成、南玉地区をはじめ沿線住民に平面化を求める署名を8600人ほど集め、県と交渉した。
町議会への請願は不採択となり、当時の井田町長も議会も取り合おうとしない態度に、怒りで腹を固め、角田義一さん、伊藤基隆さんを通しての知事談判もした。
その後、町庁舎で、県伊勢崎土木所長をはじめとする県側と住民側(星野繁、新井猛郎、月田均、石川眞男が固定メンバー)
が確か5回ほど折衝したがなかなか話が進まない。
最後に高規格道路ではなく、地域形成型道路であることを指摘し、問答無用の道路建設は止めるようにと説得したあたりから事態は動いてきた。
時期は町議選も近く、ここへ来ても全く動かない議会に殴り込みをかける思いで、町議会選に挑戦したというわけ。
その後の経過を少し言うと、議員になってまもなく、伊藤基隆さんから国会へ呼び出しがあり、いわゆる道路族の田村公平氏を紹介され、国会内で田村さんが354バイパスの担当者を呼び出し、玉村の部分は高盛り式にしないといけないのか確認した。
私は、担当者の「そういうことはありません」という一言を聞いて帰って来た。この辺が決定的だったのだろう。
そんな経過のなかで、現在の平面道路としての完成を見た。
でっかい闘いをしたと今更ながら思う。その仲間たちが今も後援会の要衝にいて支えてくれている。感謝、感謝。
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