みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2010年7月3日土曜日

忙中閑あり「川の底からこんにちは」

7月に入り選挙戦もいよいよ中盤、仕事の区切りもついてはいないが、富岡ゆきおの追い込みをかけるか、と思い、藤岡方面へ足を運ぶ。しかし、思ったようには事は運ばす、行った老人施設では、前日の雷雨による被害で一部施設が水浸しとなり職員はその対応で大忙し。選挙どころの話ではない。鬼石で秋山君と食事をした後、高崎で知り合いを回る。ビラの印刷時間、そして夕方7時の吉井町での角倉県議の開く「富岡、小寺」集会まで時間があったのでシネマテーク高崎へ。狙っていた「川の底からこんにちは」の最終日に間にあった。

途中10分ほど眠ったが、面白い映画だった。「どうせ私は中の下よ。」彼氏と駆け落ち上京して5年、仕事は5つ目、彼氏も5人目、ダラダラとした日々が続く日常を破ったのが、病に倒れた父親にかわり、水辺の町に戻り、倒産寸前の「シジミ工場」の跡継ぎをする羽目になる佐和子。その会社の従業員がこれまたすごい女性の面々で佐和子を圧倒するが、追いつめられた佐和子は、人生の中で初めて奮起する。
終盤のシーンも面白い。「今日から私たちのことをお母さんと思っていいのよ」と佐和子にいう女性従業員達。「お父さんとみんな肉体関係があったんですか」と佐和子。「私は違うわ。もう一人の人も違う。でも他の人たちはみんな肉体関係があったわ。それくらいあなたのお父さんは好かれたの」うなずく女性従業員一同。無表情の佐和子。
 社会なんて、人生なんてこんなもの、これでいいし、これだからいい、お利口さんだけで生きていくことはできないことを、ユーモアたっぷりに描いた名作だねえ。居眠りしないでもう一度観たい。

2010年7月2日金曜日

忠治生誕200年記念特別企画の打ち合わせ


大塚政義先生の国定の忠治の講演はすでに4回聞いた。水戸天狗党に関しては1度、甘楽町で聞いた。
その時代の様子が生き生きと分かって大変勉強になる。
「幕府が藩や民衆を支配するために、一番恐れていたことは、民衆が団結して支配体制に立ち向かってくることだ。そこで民衆をバラバラにするために考えたのが、身分制度、5人組制度、分国支配等である。」こんな調子で講演は始まる。
 二足の草鞋をはかない反権力のヤクザ・忠治の素顔にせまる講演会を9月12日に開催することになり、その打ち合わせ会議を昨日、玉村八幡宮で開いた。3年前の講演会はちょうど参議院選挙投票日で、玉村ふるさと祭りの当日、そして大雨だったことを思い出した。
 今回の打ち合わせには「朝日ぐんま」記者の中島美江子さんも参加した。中島さんは、昨日は朝から、大塚先生と忠治のゆかりの場所7ヶ所を取材で回り帰ってきたところでの打ち合わせ会議参加ということになった。その取材記事は9日の「ぐんま朝日」の折り込みに大きく掲載される予定とか。





【上州の風土と人間―国定忠治の史跡と伝説を訪ねて】
例幣使街道と玉村宿の栄華を今によみがえらせる語り部。










講師 《大塚政義先生》






友情出演歌手《榛名 友里》「忠治一代」
○ 日時:9月12日(日)
午後2時~2時間程度
○ 場所:玉村八幡宮 
○ 入場料:無料(定員100名 )「忠治一代」の
テープ販売にご協力下さい。


主催:玉村八幡宮 
呼びかけ人
 石川眞男、笠原則孝
   連絡先 0270.65.2305

2010年6月28日月曜日

自主憲法制定し徴兵制を書き込もうとする自民党でいいのか。


参院選中、富岡ゆきおの宣伝カーが玉村町に入るのは2日だけ、その一日が27日の午前中だった。
とにかく群馬は広いので、どこに宣伝カーがいるのか皆目見当もつかない。だから大事な3時間だ。
本人は来られないので、石川が宣伝カーの本人席に座り、ウグイスさんと代わる代わるマイクを握った。動いてる車でのマイクでは長話はできない。
しかし、車を止めていたときは思い切り短時間だが、自民党批判をした。

自民党のマニフェストの一番に書いてあるのが「自主憲法制定」、その中に書いてはないが、徴兵制を書き込もうと目論んでいることをどれほどの人が知っているだろうか。戦後65年の平和の果実を食い尽くし100年前の戦前の国家を目指すかのような政策を公約の第一に据える自民党を支持できるのか、多くの人々に問いたい。価値観を同一化させ、規律と礼節を必要以上に強調するその先には、国家のために尽くす人材育成があり、そこまで行けば「国のためには死さえ受けいれる人間づくり」はそう難しくない。非常に危険な地点に我々はいる。
 侵略戦争の反省から始まった日教組のスローガンは「教え子を二度と戦場に送るな」だ。日教組が不屈に闘い続けていればこんなことにはならなかった。右翼から「戦後教育は日教組がだめにした」と声高に攻撃されているが、戦後教育を主導してきたのは自民党・文部省だったのであり、批判されるのは自民党・文部省のはずだ。日教組が批判されるとしたら、自民党・文部省の攻撃に屈してしまったことだ。

犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。(憲法第18条)
 徴兵制はこの条項により憲法違反となる。自民党の自主憲法はこれさえ突き破り、声も出せない暗黒の戦前社会を現代に甦らせる極めて危険なものと断じざるを得ない。
「自民党候補者の人柄がいい」などとのんきなことを言っている場合ではない。「地獄への道は善意で敷き詰められている」「戦争は微笑みながらやってくる」のだ。「ならず者の最後の拠り所は愛国心」という言葉も思い出して欲しい。

2010年6月23日水曜日

芝根小学校地区懇談会


年に一度開催される地区懇談会、芝根小学校の保護者を中心に芝根地区の区長、民生委員、議員が参加して、それぞれの地区の学校に関する課題の提起と解決を探る懇談会だ。世代を超えた連携でコミュニテイーを強めようとする試みでもあり、地区の小学校を地区の見守りの中で守り育てるための意欲的な催しだ。

2010年6月22日火曜日

「働く俺たちの世の中」を作ろうぜ


昨日、社民党群馬県連からビラのFAXが送られ、今日の「福島みずほの決起集会」に行ってきた。来賓で富岡ゆきおさんも来ていた。「あれ石川さん、社民党?」などと言いながら会場に入った。
公示まであと2日となった参議院選挙は群馬にとり、とても厳しい状況が続いている。復古調丸出しの自民党を勝たせてはいけない。戦前のような軍国調一色にさえなりかねない恐ろしい潜在的要素をちりばめた政策を進めようとしている。
それにしても自民党、いきなり「自主憲法制定」はないでしょう。苦し紛れに、昔を懐かしんで叫んでいるのだろうが、そんなに「自主憲法」にこだわるのなら、アメリカのいいなりの日米同盟に異議申立の一度もしたことがあるのかい。鬼畜米英で対米戦争に挑んだ東条英機が怒りまくっているんじゃないのか。
 極端な格差社会をつくり、勝ち組、負け組などという言葉に踊らされ、できた社会はなにもかもが荒んだ自殺社会、不安社会、この状況を打開できる政治勢力を登場させる必要がある。
 群馬からは富岡ゆきおを勝たせること、比例は、新自由主義に異を唱える政党の議席を伸ばすこと。

 岡林信康の山谷ブルースの一節を思い出す。
「工事終わればそれっきり、お払い箱の俺たちさ
 いいさいいさ山谷の立ちん坊 世間うらんでなんになる

 だけど俺たちゃ泣かないぜ、働く俺たちの世の中が きっときっと来るさそのうちに
その日は泣こうぜ、うれし泣き」

40年前の歌がそのまま当てはまる時代に生きているかと思うと情けないがこれが現実。待っているだけじゃ「俺たちの世の中」は決してこない。それに向かって突き進め。

2010年6月20日日曜日

いよいよ選挙戦間近、草とのたたかいは戦線離脱



24日からいよいよ参議院選挙が始まる。今日一日、選挙はがき書きで疲れた。とは言っても午前中、台湾映画「海角7号 君想う、国境の南」をシネマテーク高崎で観る。
時間と人とが絡み合いながら、時に無自覚に生きてゆくそれぞれの人生を考えさせられた。誰もがなにかの中心にいるのだけれど、誰もがそれに気づかないで、さまざまな葛藤の中での焦燥感で消耗しているのが世の中かもしれない。自分を必要とする人は必ずいるのだけれど、時空の広大さの中ではなかなか届き合わない。

 この時期は草が伸びるので、草退治が大仕事、83才の母親に、「眞男は草むしりすらまともにできないでこの年になっちゃったなあ」と嘆かれた。事務所の南の駐車場の草を母親が畔かきで丁寧にけづってくれていた。感謝。
自宅の庭は、時々、藤岡から84才の義父が来てきれいにしてくれている。「あまりにひどいので見ていられない」そうだ。これにも感謝。

 夏の暑い季節は水まきくらいはする。すると、自宅の木のなかに、一匹の蜂が巣を造りだしているのを発見、今はそっと観察中。巣も次第に大きくなってくる。先日、他に一匹の蜂が飛んでいた。いつまで共存できるかなあ。また事務所近くの畑のヤギに子どもが2匹生まれ、元気に遊んでいる。こちらは楽しいよ。ヤギに草退治でもしてもらおうか。
 誰もが持つ少年時代の原風景は気持ちの中にも、現実のなかにもまだまだある。それを発見し、味合い深く生きる余裕が今を生きる世代に求められている。
茂木正男さんとの農業を巡る会話が思い出される。

2010年6月16日水曜日

区長会・議会合同研修会

昨日、本年度の区長会・議会合同研修会が開かれた。
主に、議会の活動内容の概略をそれぞれの常任委員会ごとに説明し、その後、意見交換をしあうもので毎年この時期に行われている。8年ほど前までは、伊香保温泉で一泊の懇親会だったが、財政的配慮から今の形に変更された。25区の区長と16人の議員の参加で行われたが、合併せずにいるためこのようなきめ細かい研修会も開かれるのではないかと思う。
 町長、副町長、教育長の参加もあり、県議の県政報告もあった。今年は口蹄疫の問題が誰もが心配する問題で、去年のインフルエンザ流行が嘘のようだった。そのように口蹄疫問題も解決することを祈るのみだ。
 全地区の区長の意見は地域の声でもあり、こちらとしても非常に勉強になることが多い。議会もしっかりやっていると感じて頂けたかはわからないが、こちらとしてもいつも通りの姿勢で研修会にのぞむことができた。

2010年6月12日土曜日

「所信表明}神野直彦先生の出番かな

菅新首相の所信表明演説の一部をラジオで聞いていた。「強い経済、強い財政、強い社会保障」という言葉を聞いて、もしや、神野直彦さんがかかわっているのかな、と直感的に感じた。今朝、新聞をみると、やはりそうだった。
 群馬県議長会の講師として2年前に神野先生の講演を聴いていた。私が講師接待役だったので20分ほどだが、2人で話す時間があった。自民党政権の最中だったが、先生は明確に小泉、竹中路線を批判し、高額所得者の税率を引き上げることを主張していた。政府税制調査会専門家委員なので、委員にもまともな人がいるものだと思っていた。
北欧社会のような「高福祉・高負担」の国もちゃんと経済成長しているとし、経済成長や雇用対策の一方の軸に社会的正義、言い換えれば、格差是正や所得の平等の分配の観点を主張していた。
 このような観点から政権運営すれば、経済政策は劇的に変わるはず。しかし取り巻きの閣僚には新自由主義の信奉者も多いので、どれだけ神野路線で進められるかということが課題だろう。
 
それにしても、安倍元首相は「菅内閣は社会主義政権のようだ」といい、群馬県の中曽根議員は「菅首相は左翼的」と批判しているらしい。菅直人が左翼で社会主義者だとしたら左翼が大泣きし怒りまくるよ。こんなデマしか言えなくなった自民党は歴史のくず箱行きだね。

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2010年6月9日水曜日

2010年非核平和行進


非核平和行進群馬県実行委員会主催の自治体要請行動が本日、玉村町で行われた。私も議長時代の4年間立ち会ってきたが今年はオブザーバーとして交渉に臨んだ。町からは貫井町長、新井教育長、宇津木議長が対応した。鳩山政権が普天間問題で辞任に追い込まれたこともあり、沖縄の基地も話題になった。
この平和行進が町へ来ると、今年も夏になるなあ、という感じになる。行進に参加する顔ぶれも知り合いが多く、今年も元気でやってるなあ、と思う。何事もこつこつ継続することが大事だ。
平和の問題は私にとり、議員としても個人としても第1級の課題、世界から貧困と収奪、抑圧と戦争を解消することが究極の目標だ。じっくり行こう。それしかない。

2010年6月6日日曜日

「ヒーローショー」は相当いける映画だ

井筒和幸監督作品「ヒーローショー」をムービックス伊勢崎で観た。暴力シーンが壮絶でなかなか評価が難しいという話を聞いていたので、腰が引けていた面はあったが、久しぶりの我が井筒監督作品とあって足を運んだ。最後の時間帯のためか、観客は自分を入れて3人。しかし映画の内容は相当いいね。1970年代を描いたパッチギと違い「ヒーローショー」はまさに現代を描いている。
閉塞感一杯の社会で夢も持てずに生きている若者達の行き場のない状況をまっすぐ描く手法は井筒監督らしい。暴行をこのくらいで止めようかと思っても誰も止めてくれない。相手に憎しみすらないのに死ぬまで殴ってしまう。

 そんな事件がいろんなところで起きている現代社会を作ったのは、他でもない大人達だということを監督自身感じている。個人がバラバラにされ孤独の中で生きるしかないたてまえ社会を突き破れとの強い思いを感じさせる作品で相当いいと思う。この手の映画は観客動員となると難しいかもしれない。採算割れだがそれも監督らしい。監督をそのうち土田君が呼んでくるだろう。その時、じっくり制作の意図などを聞けると思う。

2010年6月5日土曜日

長田書記長と懇親を深める


群馬に夏の物資販売のオルグに入っていた長田動労千葉書記長と一席設け有意義なひとときをすごした。
日本で最左派の労働組合の書記長はどれほどの人かと思えば、まあ一般人とどこも変わらない人間くさい人だ。さまざまな問題を抱え、悩みながら生きていることを吐露し、だからこそ現場労働者と一緒にいられるし、自身も現場で働きながら組合運動をしている。仲間を信頼し決して裏切らない強固な団結体としての組合を作り得た。
 ほとんどの政治勢力が資本主義体制内改革派だが、動労千葉は確かな時代認識に裏打ちされた労働組合で、新自由主義を批判し資本主義社会後の、人間が人間として生きられる社会を見据えている。

2010年6月3日木曜日

逆境を跳ね返せ 富岡ゆきお



1日の玉村町での集会は意外なところで注目された。TBSテレビの2局が取材に入りたいとのことで、急きょ、私の事務所で待ち合わせた中沢経吉さんにテレビ出演を頼んだ。新井猛朗先生宅、石川自動車、下茂木の新井さん宅、中野自動車へ何の事前連絡もなく飛び込み取材となった。一般の人が民主党政権に何を感じているかを取材し、テレビ放映するためという。富岡議員本人も中沢さんの強い叱咤につられてか、鳩山、小沢批判を強めていた。暑い中、自転車で走り回る姿は若さを象徴していて好感が持てる。
 小寺弘之さんを加えての夕方の集会でも、集まった人数(70人程度)の割に迫力と緊張感あふれ、内容も豊かな集会となり、1時間30分を越えたにもかかわらず参加者全員が集中したいい集会だった。
新聞社も5社が入るなど、注目の一日となった。結構、この町には役者がいることの認識を一層深めた。
 そして、翌日、鳩山首相、小沢幹事長辞任のニュースで日本は沸き返った。それにしても、鳩山、麻生、福田、安倍と1年も持たない政権が続いているようでは、本当に情けない。背景には、小選挙区制度があると考える。死票が多すぎる制度で裏を返せば、自民党、民主党それぞれの実力以上の大幅な議席が獲得できるため、国会審議の議席にものをいわせる強行採決が目に余る。実力以上の議席を獲得してしまった政党は本当のところ余裕がないので、まともに野党に対応できず、力尽くの政権運営となり、次の選挙では逆に大負けする。こんなことを繰り返していたら国民大衆はたまったものではない。小選挙区制の廃止を。

 今日から玉村町議会始まる。10日までの予定だ。私は、「滞納処理を巡る裁判の顛末とそれに関連しての行政運営を問う」と題し一般質問をした。

2010年5月29日土曜日

もう25年が過ぎたのか

 今日、群馬司法書士会総会が開かれ、いわゆる「25年表彰」を受けることとなった。同期が13人いた。伊勢崎支部は私と木村康弘、小茂田浩一郎、小林晃の4人の会員、前橋支部は大澤正光さんだ。みんな元気だしまだまだ仕事もできる。しかし、25年という年月の過ぎてみれば早いこと、私も50代半ばを過ぎてしまった。特に大澤さんとは、前橋市立図書館で受験勉強をした縁もあり、また真面目で強欲のない性格も幸いして今だに互いに仕事の相談をしあっている。一緒に勉強をしたといっても、同じ部屋の別の机でそれぞれ本に向かっていただけのことだが、あの時間、あの期間を共有したことの意味は大きいと感じる。当時、一緒にいたのは他に坂内さんもいた。そして今、弁護士として活躍している人もいる。
 当時、朝9時から夜7時までの間、実質8時間は本を読んでいた。100円のボールペンのインクが1週間ほどでなくなるほどノートに書き手で覚えた。とにかく、あの当時の集中力を思うと我ながら感心する。
 開業当時はまだ申請書もタイプライターの縦書き、数字は漢数字だった。登記簿もブック方式で1筆の閲覧申請で何筆かの登記簿をのぞいていた。今は電子申請と隔世の感がある。

 これからどんな社会がくるのか予想することはなかなか難しい。地球の存命時間はまだまだ長いのだから、後先を考えず、未来を食いつぶすような競争の中に埋没することなく、ゆっくり味わい深い人生を送れるような文化社会、経済社会を築き上げるべきとつくづく思う。
 誰もがそうだが、同時代の人の生きている現在は未来との関係では過渡期ということ。様々な事象と格闘し合いながら時代は動いていく。だから複雑で面白い、決してデジタル社会などではない。

2010年5月24日月曜日

韓国哨戒艦沈没は本当に北朝鮮の仕業?

天安沈没事件に関し、北朝鮮の犯行として日、米、韓合同で制裁を検討しているという。
 北朝鮮の犯行という前に、この事実を検証しなければならないのではないか。

以下は「河信基の深読み」から

[それは、天安沈没と同時間帯に指呼の海域で米軍潜水艦が沈没し、密かに引き上げられていた事実だ。
米潜水艦沈没を報じたのは、韓国kBSテレビ。事件から間もない4月7日9時からの「ニュース9」特集「謎の第3ブイなぜ?」で米軍ヘリコプターが米兵の遺体を運び去る映像などを流した。
ネットでは、天安と米潜水艦との衝突説が飛び交ったが、韓国政府当局が「誤報」として名誉毀損で告訴し、KBSのウェブサイトから削除された。韓国のテレビは過去の放送もすべてVODで視聴できるが、同特集だけは「法廷闘争のため映像サービスは中断します」となっている。
その後、北朝鮮関与説が堰を切ったように流され、米潜水艦関与説は脇に押しやられていった。]等々と続く訳だが、同地域で演習していた原潜コロンビアの行方が分からなくなっているという。この辺から探していったらいい。
 天安の切断面が、強烈なせん断破壊面であり、水中爆発によるバブルジェットによるものと思えない。むしろ潜水艦急浮上による衝突ではないか、と河信基は推測する。
 もし米潜水艦による衝突事故だとすると、これも一大事だが、少なくとも、この事件に関し、北朝鮮には「動機がまるでない」のだ。なんでも都合の悪いことは北朝鮮で、その脅威から日本を守るために、普天間基地の移設先を辺野古じゃたまらない。もし米潜水艦による事故だとしたら、やはり沖縄に米軍基地はいらない。

 (デビ夫人のブログにも書かれているので参照のこと。彼女のような一見妖しい人は意外に真実を語るのです。)

 このような国際問題は、事実と違うことから戦争すら始まることを認識しなければならない。湾岸戦争の発端は、イラクがクウエ-トに侵攻したことから始まった。事実は、イラクの地下油田がクウエートにより浸食されていることに再三抗議していたフセインがクウエートに侵攻し、地下油田の浸食を止めさせようとしたことによるものだが、クウエートのアメリカ大使はその旨了解していた。しかし、実際に侵攻すると、イラクのクウエート侵略と非難し戦争を仕掛けていった。
ベトナム戦争の発端のトンキン湾事件だってそうだ。戦争を起こす口実はどうにでもなるのが現実の国際政治だ。しかし、それを許していいのか、と言うのが私の考え方だ。

2010年5月23日日曜日

流動化する政治状況の中で

政治が流動化化してきた。普天間問題で鳩山首相は、ついにというか結局というか、辺野古にそれも埋め立て方式で新基地を建設することを日米合意するという。自民党案に戻ったということ。日米合意を地元や沖縄県民の合意なしにアメリカと合意するなどというやり方は本末転倒であり、民主党が一番嫌っていたことではないのか。
 何度も言うが、小選挙区制度で生まれる二大政党は似たもの政党になることははじめから分かっていた。マスコミも小選挙区推進論者も言わなかっただけのこと。支配階級にとって、国民を支配する幅がむしろ広がったという意味では、しばらく安泰と言うこと。しかし、そうはならないのが政治の世界。経済活動を実質担っているのは労働者であり、その暮らしを保証できない事態がさまざまな面で現れている。「国民の生活が第一」という言葉で、小泉政権の新自由主義路線を批判したのはそういう意味だったはず。しかし、政権を担ったとたん、自民党との違いを見つけるのが大変なほど似たような政策になっている。これが現在の民主党の限界だろう。今後、リベラル政党に飛躍できなければ後はない。

 しかし、出てくる新党はどれもこれも復古調の国家主義政党ばかり。時代錯誤と簡単に言ってしまえばそのとおりだが、実はそれほど単純ではないと見る。グローバル社会の現代は、経済も情報も国境を越えて複合的に機能するため、国家というものさえ時には無用ないしは障害となって立ち現れる。それぞれの国々の人々が国家という求心力から解放されたときどんな世界が訪れるのかは、単純な話ではないのでここではすすめないが、一面極端に無秩序な世界が訪れる。世界の現秩序を維持しようとする現在の支配層はそれぞれの国家秩序を維持するため、保守主義に走り国民を国家に縛り付けようとする。
 例として、アメリカはグローバルな新自由主義(ネオリベラリズム)と新保守主義の路線のもとでイラク戦争を起こしたことを忘れてはならない。
 不可逆的な国際化と保守主義のバランスで何とか国家運営を乗り切ろうとしているのが現在の状況だが、この保守主義は独善的な愛国主義、差別排外主義となって思わぬ不幸を国民や周辺国に及ぼす危険性があることを、歴史からも教訓化する必要がある。
 この辺から今後の流動化する政治を見ていった方がいい。

2010年5月15日土曜日

辻元清美、保坂のぶとと語る会


11時から高崎音楽センター会議室で夏の参議院選挙に向け、辻元清美と保坂のぶとを招いての集会が開かれた。辻元は政府中枢に入っているのでそれなりの情報を持っているが、それでも保坂の情報はどうしても必要なものだという。
 確かに、八ツ場ダムを中心とした公共事業に関しては保坂は1級の情報を持っている。しかし、それにはそれだけの力を注いでいることも事実。
中学卒業時の内申書に「政治活動を行っていた」と書かれたことで高校進学を拒否され、「内申書裁判」を16年間たたかい抜いた。社会の底辺で仕事を転々としながら、独学でジャーナリストになった経歴は大いに評価したい。

辻元は、子どもの頃、親子4人で、店の2階ひと部屋に住んでいた。風呂もトイレもない部屋にだ。友達の誕生会には行けても、自分の誕生会に友達を呼べない。これが今もヒガミになっている、と告白する。今、政府中枢で、住宅政策の抜本的変革に取り組んでいる。
 こういうタイプの人間が社民主義政党の社民党で活躍することは大変貴重なこと、組織ではなく、多くの市民の思いを受けて、新自由主義と対決してもらうことを心から願う。

2010年5月14日金曜日

平居照朗先生の死を心から悼む

 ついに10日、平居照朗先生が逝去された。とにかく並の人物ではないので表現に困ってしまうが、資本論を学問としてあそこまで深く理解していた人がこんな身近にいることに驚いた。勉強会を続けてもっと多くの人に学んでもらおうという意欲満々だった。中国語、韓国語、そして歴史に通じ教養も豊かで、俗っぽさも持ち合わせている。人の名前をよく覚えているのには驚いた。その人が鬼石町で儲かりそうもないガソリンスタンドを経営しているのだから面白い。私は先生の愚痴を聞いたことがない。資本主義の原理を知っていたから、愚痴なぞ言ってもなんの役にも立たないと思っていたのだろう。亡くなってからその評価が高まる人であることには間違いない。

 資本論がどれほど難しいか。資本論のフランス語版にたいする序文と後書で、カール・マルクスは言う。「学問には坦々なる大道はありません。そしてただ、学問の急峻な山路をよじ登るのに疲労困憊をいとわない者だけが、輝かしい絶頂をきわめる希望をもつのです。」と。

生前、先生から「死んたときは弔辞を頼むよ」と言われていたので思いを込めて読ませていただいた。マルクスが亡くなったときエンゲルスが悼んだ言葉を援用しようかとも思ったが、いきなりは見つからないし、そこまですると、真の意味での平居照朗先生への追悼から外れてしまうので止めた。ご冥福を祈るばかりだ。塾生同士の関係も継続し「しのぶ会」を落ちついたら企画したい。


               弔 辞
薫風香る5月、今は亡き平居照朗先生の御霊前に謹んで哀悼の言葉を捧げます。
7日にお見舞いしたときは、元気な様子で、短時間ではありますが、私たちとお話していただき安心していたところ、11日の朝、このような悲しいお知らせを受け、驚きとともに深い悲しみに沈んでいます。
今日は、平居塾で共に学んだ84才の小林悟さんをはじめ多くの塾生が参列していることをご報告します。

先生との出会いは、平成17年にさかのぼります。私の大学時代の友人を通じて「鬼石に経済学を講義できる先生がいるので、勉強会を企画しないか」と誘われたことからでした。どんな経済学かと尋ねると「マルクスの資本論」と言います。
私自身、若い頃から幾度となく挑戦した資本論は、あまりにも難解でそのすそ野にも入り込めない状況でした。マニフェスト(共産党宣言)すら理解したとは言えません。

半信半疑で平成18年1月から、月1回のペースで藤岡公民館を拠点にして始まった平居先生による「資本論講座」は驚きと新鮮さの連続でした。
最初は日高晋著「経済学」から経済学の考え方を学び、宇野弘藏著「経済原論」と資本論を並行学習する形での勉強会でした。そしてなんと4年間で資本論全三巻の通読解説を終えてしまったのです。参加者は当初、10人程度でしたが、その解説の分かり易さと先生の奥深いさまざまな分野に及ぶ知識の支えもあり、参加者は減るどころか、次第に増え最後には30人にも達しました。年齢も20代から80代までと全世代を縦断しています。

「この困難な時代だからこそ、資本論を学ばなければいけない」と言う平居照朗先生は、高崎経済大学から法政大学大学院を終了した宇野弘藏経済学派に属する在野の経済学者です。

先生は自由、自主を信条とし、参加者の思想・信条は全く意に介さない公平感覚あふれた人でした。勉強会の後は近くのラーメン店で、復習やら社会情勢を語り合い、夏と冬は居酒屋で酒と料理を囲んでの熱い語らいのひとときを持ちました。塾生一同、年齢も職業も信条さえも違う者同士でしたが、平居先生を中心にした4年間の学びの時間を共有した今は不思議な信頼感で結ばれるようになっています。

先生は事業経営をしながらも、時間があれば、読書、読書で、新聞はスポーツ紙も含め全紙を読み、さまざまな知識に富み、中国語、韓国語にも堪能でした。そのような人が自信を持って語る資本論は迫力があり、説得力がありました。この間の講義に対する報酬も一切拒否するなど、私たちには申し訳ない限りでした。

資本論は、資本主義社会においては、人間が資本の利益を生み出すための道具でしかないことを、一昨年秋、資本の暴走という形で起きた米国発の「リーマン・ショック」で証明しました。社会の主体が資本ではなく、人間が主体の社会に変えていかなければいけない。そのことを理解する上にも資本論学習は必要だと、みんなで議論したことを思い出します。

最終講義はどこかの大学の教室を借り「市民講座」として多くの人が参加できる企画をし、何らかの区切りにしようと考えていましたが、実現することなく、先生は私たちの元を離れてしまいました。
それは形式を嫌う平居先生の私たちに対する思いやりであり、4年間の学習をそれぞれの人生のなかで、区切りなどつけず継続して活かして生きよ、という叱咤激励と思えてなりません。

平居照朗先生、本当にお世話になりました。あなたの知識と理解度には及ぶべくもありませんが、これからも学習を続けることを御霊前にお誓い申し上げます。どうか私たちを忘れないで下さい。残されたご家族の方々をお守り下さい。そして安らかにお眠り下さい。
 平成22年5月14日
             資本論講座平居塾一同
             代表して玉村町議会議員 石川眞男

2010年5月8日土曜日

大いなる一日、再度の竹の子狩り



晴天の朝9時過ぎから富岡市内の山に入りこんだ。伊勢崎の堀込清孝さんを含め総勢8人。前回と違い竹の子がそこにもここにも顔を出している。慣れてくると掘り出すのはなんとかできたが、今度は車まで運び出すのが重労働で大汗の連続、午前中で作業を終えたときには、軽トラックは竹の子で一杯、昼食の後、ただちに帰り、適当に分け、それぞれどこかへ分配したみたい。
 竹の子狩りはもちろんそのものが楽しいが、晴れた日の竹藪は空気がほんとに気持ち良く、その中での作業は自然環境の偉大さを否応なく教えてくれる。疲れ果て車に帰ったところにある浄水場の冷たい水がうまいことこの上ない。大いなる一日だった。

2010年5月7日金曜日

結局、辺野古への移設はないでしょう。

鳩山首相、育ちも人柄もよく、真面目そうなのも理解するが、普天間問題で結局は辺野古はないでしょう。「勉強したら海兵隊の抑止力の必要性を理解した」とか。海兵隊はイラクやアフガンに真っ先に行き、突撃するもっとも危険で暴力的な部隊なのに、その暴力性を「抑止力」としてそれにすがる防衛とは何だ。日米安保はいつか日米同盟と化し、アメリカの世界戦略に深く取り込まれてきた自民党の「安全保障体制」を変えるのが政権交代だろう。日本はあくまで、専守防衛の範囲でのアメリカとのつきあいだけにすべきで、中東にまでその範囲を広げるアメリカに対し、そこまではできません、と言うのが新政権の役割のはず。「普天間基地閉鎖、撤去」でいいんだ。「軍事による安全保障」を「人間と環境の安全保障」に少しずつ変えていく外交力が決定的に求められている。
 一方、我々もすっかり舐められていることに気づく必要がある。ハーバーマスの「晩期資本主義における正当化の問題」で、科学技術は進展し、識字率が高くなっているのに、何でそんな事信じちゃうのという場面がしばしばある。それは「順応性の気構え」ということ。ある情報について一つ一つ検証していけば、全部検証する基礎的な学力、能力はあるが、情報量が膨大である場合、一つ一つ検証していたら時間もかかるし疲れてしまう。とりあえず、メデイアに出る知識人の発言を正しいと受け止める気構えのこと。ワイドショウのコメンテイターの発言をとりあえず確かだろうと受け入れる。これが「順応性の気構え」、ほとんどの発言は、中国や北朝鮮の危険性を声高に叫び米軍の役割を不可欠のものとしての発言がほとんど。これでは、「普天間基地は危険だけど、どこかに移設場所を確保しないと国が守れない」などという予断が確立してしまう。反対側からの発言、検証姿勢がない中で、我々は本当の所を理解することから遠ざけられている。
 本当のところ、基地を減らしながら様々な安全保障の組み合わせで近隣諸国との善隣関係を強化する道を探った方が後々いいと断言できる。


 昨日、再入院した藤岡の平居先生を秋山、岩城さんと一緒に見舞った。夕暮れ時の訪問にも関わらず先生は喜んで迎えてくれた。4度目の見舞いになるが、少しやせた様子だった。