みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2013年1月23日水曜日

龍山墓地墓参団佐藤知也団長に聞く

 日本人にとって、戦争は遠い過去の話、と思いがちだが、そうではないことをこの記事により知ることができるだろう。
 当時、日本は、中国、朝鮮をはじめアジアの広範な地域で侵略戦争を展開していた。
敗戦の結果、彼の地に置いてきぼりにされた多くの日本人やそのまま眠っている遺骨もたくさんある。
 昨年、日本の墓地墓参団の入国が許された。その墓参団長の話が記事になり、私の元に届いたので、そのまま掲載する。
 歴史の事実を知り、現在の両国の敵対関係が緩和されることを望んでいるからだ。


【“平壌は第2の故郷実に67年ぶりの墓参/龍山墓地墓参団佐藤知也団長に聞く】という記事が友人から送られてきた。

 
日本敗戦直後の混乱で病気や飢えなどにより朝鮮半島北部で亡くなった日本人の遺骨問題で、神奈川県川崎市高津区在住の佐藤知也さん(81)を団長とする計16人の遺族らが昨年929日~104日まで訪朝。
101日には日本人2421人を埋葬したとされる朝鮮・平壌郊外の龍山墓地を訪れた。朝鮮には71カ所の日本人墓地があるといわれているが、遺族が墓参するのは戦後初めて。佐藤さんに話を聞いた。
  佐藤さんは技術者の父を持ち、1936年から敗戦後の1947年まで朝鮮に滞在、解放された朝鮮の変貌を見た貴重な証人でもある。特に、解放後の朝鮮の臨時政府が在留日本人学校に寄せた数々の支援について語りながら、、日本政府が今も、朝鮮高級学校生徒を「高校無償化」の適用からも除外している現状を批判し、「国連からも差別するなと勧告を受けているようだが、朝鮮政府が日本敗戦直後に、日本人や日本人学校にしてくれたことと比較しても全く恥ずかしい限りである」と語る。
朝鮮の人道的計らい
 龍山墓地は平壌郊外の再開発で戦後、2度移設されたという。一行は最初、龍山墓地が元あった場所を訪れた。現地に墓はなく、雑木林になっていたが、全員で黙祷(もくとう)した。この後、一行は北西に数キロ離れた現在の龍山墓地に移動。約500並んだ盛り土の墓の一つに、「龍山墓地諸精霊位 龍山墓地墓参団」と書かれた木製の墓標を立て、線香をあげて手を合わせた。団長の佐藤さんは墓に向かい、「皆様とお別れしてから67年。祖国を遠く離れた地で、さぞ寂しい思いをされていたことでしょう。心からおわびします」と話しかけ、言葉を何度も詰まらせた。居並ぶ朝鮮側の人々もハンカチに目を当てている人がいて、人の気持ちの優しさに触れたと佐藤さんは語る。この墓参団には佐藤さんの妻の和子さん(82)、兄の公也さん(83)も参加した。龍山墓地に埋葬された2421人の名簿を引き揚げの時持ち帰ったのは佐藤さんの父・信重さんだった。その後、この名簿をもとに佐藤さんは遺族探しをはじめたが、それが大手紙に報じられた結果、2006年に14件の遺族が判明した。そして、朝鮮民主主義人民共和国の人道的な計らいによって、昨年9月に戦後初めての龍山墓地への墓参団の訪問と繋がったのである。
佐藤さんは父・信重さんの赴任先朝鮮に、1936年、4歳のとき移住。家族とともに19487月に引き揚げるまで実に12年間を過ごした。信重さん(1902年~1981)は山形県生まれ。蔵前工高採鉱冶金科に学んだ。東京で自動車工場勤めなどをしていたが、30年代の大恐慌のあおりで勤務先が倒産、失業苦の後、朝鮮・平安北道の寧辺鉱山の開発事業に当るために、妻と21女の家族5人を連れ平壌に渡った。


12年過ごした平壌
佐藤さんは引き揚げから実に52年ぶりの20007月、妻と兄夫婦4人で訪朝。2002年に2回目、昨年が3回目の旅となった。とりわけ、00年の初訪朝についてはその著書「平壌で過ごした12年の日々」(光陽出版社)で、「北朝鮮の陸地が見えるころから、私の興奮はいやがうえにも増してきて、それが一気に爆発したかたちだ。『ここが平壌だ、ここが平壌だ』と、なかばうわ言のようにつぶやきながら、私は窓の外の景色を食い入るように見つめた。私は飛行機のタラップを降りたところで、誰も見ていなければ大地に口づけをしたい、とそんな映画のシーンのようなことも真剣に考えた」と興奮を隠し切れないほどの感動を綴った。00年の時に比べても昨年9月に見た平壌は、高層マンションが建ち並び、車の数も圧倒的に増えたと目を見張る変貌ぶりに驚く。妻の和子さんは「ごみ一つ落ちていない街の美しさにびっくり」と感想を語りながら、墓参団が滞在したのが、秋夕(930日、中秋の名月)のお祝いの日だったことに触れ、先祖のお墓参り、家族や親戚と食事したりして平壌市民が伝統を守りながら過ごしていることに感銘を受けたと述べた。


佐藤さんによれば、1945815日の日本敗戦時、平壌には旧満州や朝鮮北東部から逃れてきた日本人避難民で溢れ、その数は34万人ほど。「劣悪な生活環境の中で飢えと寒さ、伝染病、発疹チフスによって、多くの人々が亡くなった」と指摘し、死亡者の埋葬に困っていた日本人会の要請に応えて朝鮮当局は、大同郡龍山面の朝鮮人墓地を提供したという。ここに2400余人の日本人死亡者が埋葬された。多くがか弱い乳幼児、子ども、年寄り、女性だった。佐藤さんは「これが国策によって、大陸に送り出された私たち日本人の末路だった。この人たちは普通の生活をしていれば命を落とすことはなかった。日本の戦争の犠牲者だといって間違いない」と語る。
815日の一週間前後は、まだ、鉄道のダイヤが以前と同じように動いていたため、高級将校や幹部たちの家族がいっせいにソウルに向かって列車で南下していった。その後、北側に入ったソ連軍と南側に進駐した米軍の間で38度線を境界線にすることを決めたため、南北間の往来ができなくなった。満州から着の身着のままで避難してきた人々は、平壌や元山で足止めされていたと、当時を振り返る。「われわれ、もともと平壌で住んでいた日本人の家は、朝鮮当局に接収されることになった。比較的大きな家で何世帯かが集まって暮らすようになった。我が家が812日に受け入れた満州避難民の山本さん一家も、夫が関東軍の将校ということであった。敗戦後、山本さんの家族は24日にわが家を出て、帰国する集団とともに南下していった」と当時のできごとを鮮明に思い出す。
「それにしても、関東軍の上層部や将校たちは、敗戦とともに一般の日本人を保護するのではなく、自分たちの家族や知己を真っ先に逃したといって非難されているが、この事例もまさにその一つだ」と佐藤さん。
「オエライさんたちの家族はうまく逃げて、下っ端の連中は生きるが死ぬかのひどい目にあう。避難民の人たちはその年の冬を越すのが苦しかった。ソ連の民生部が食料の手配をしていたようだが、朝夕にコーリャンのおかゆを一杯ずつ。避難民たちは朝鮮には生活の基盤がもともとない満州からの引き揚げ者だから」


主席よりも高かった父の給料
日本敗戦から一年ほど経った頃、佐藤さんの父をはじめ高級技術者ら900人が、金日成北朝鮮臨時人民委員会委員長の要請で、主要の工場、企業所、つまり元の職場に残って、建て直しを図ろうと務めていた。その家族を合わせると2千人はいたという。技術者たちがなぜ、朝鮮に残ることになったのかその事情はこうだ。
日本の植民地統治時代は、朝鮮のあらゆる産業の基幹は統治者である日本人が握っていた。もし、その引継ぎを朝鮮側にせず日本人技術者が去ってしまえば、朝鮮の産業は打撃を受けざるを得ない。解放後、朝鮮のトップは、「当面、日本の技術者の力を借りよう」と政治的に判断したものだと佐藤さんは推察している。194681日、北朝鮮臨時人民委員会の金日成委員長署名の「北朝鮮技術者徴用令」が出され、つづいて臨時人民委員会から「日本人技術者確保令」が公布された。そのため、父・信重さんも炭鉱冶金の技術者として、残ることになった。その後、101日には日本人技術者たちは「工業技術総連盟日本人部」として事務所を構えることになった。場所は今の労働新聞社の裏手の辺りだった。本部長は常塚秀次・朝鮮火薬平壌支店長、信重さんは次長に就任した。兄・公也さんは事務職員に採用された。

常塚本部長が金日成委員長に会って、日本人技術者たちの処遇について要請をしたり、金日成委員長からは「よろしく頼む」とのあいさつがあったという。日本人技術者たちも、戦争の反省もあり、朝鮮の産業復興と朝鮮人の技術教育に一生懸命あたろうと情熱を抱く者もいた。その理想を抱いて残留した人がかなりいたとのも事実であった。日本人技術者に対する待遇も破格の扱いであった。最高位の金日成委員長の給与が4千円なのに常塚本部長と父は6千円というからどれだけ優遇を受けたかわかる。人民委員会の課長クラスが千500円なのに、16歳の代用教員の佐藤さんの給与は2千円。月給のほかに白米が一人147勺、家族は一人12合の配給、酒、たばこなどの嗜好品や調味料、石鹸、衣類などの生活必需品の支給、さらに住宅が提供されて、朝鮮最高の待遇を与えられたのだ。また、日本人学校に通う児童・生徒たちの交通費も全額、朝鮮側が負担してくれたという。
さらに、「日本人部」結成半年後の1947428日、平壌では「日本人技術者家族慰安会」が平壌で開かれた。主催は「日本人部」で、後援は「北朝鮮工業技術総連盟」と北朝鮮劇場委員会。さらに北朝鮮臨時人民委員会宣伝部も賛同するなど、まさに臨時政府機関が総力あげてバックアップしてくれたという。
当時の記録を詳細に残していた兄・公也さんの記録によれば、この年に北朝鮮臨時人民委員会が「日本人部」に支出した財政は、産業局から230万円、財政局から子弟教育費として200万円になり、これは、「日本人部」が属している「北朝鮮工業技術総連盟」の年間予算30万円に比べるとまさに破格の扱いであったことが分かる。北朝鮮側が、日本人技術者をいかに重要視していたかということでもある。
まだ、朝鮮にとっては解放間もない時期であり、決して食糧事情もよくはなかった。日本人技術者があるときに、「こんなに優遇されていいのか」と聞いたら、朝鮮当局からは「私たちは、あの難事業の土地改革もやり遂げた。産業部門はさらに建国のために大事な部門で、そこには日本人技術者の力がどうしても必要だ。このことは一般大衆もみんな知っている」と明快に答えた。その言葉通り、街の人々はみな日本人技術者、家族たちに親切で、敗戦前のように日本人を刺すような冷たい目で見るのではなく、温かく接してくれるようになっていたと振り返る。
佐藤さんは、日本政府が今も、朝鮮高級学校生徒を「高校無償化」の適用からも除外している現状を批判しながら、「国連からも差別するなと勧告を受けているようだが、朝鮮臨時政府が日本敗戦直後に、日本人や日本人学校にしてくれたことと比較しても全く恥ずかしい限りである」と語る。
「日本の植民地時代に日本に痛めつけられて、憎悪や反感もあったはずなのに、軍国主義は憎むが一般の人々には分けてみるとおっしゃられた。戦争直後にあれだけのことを言えるところが立派だと、当時も思っていた。お国の場合は基本が違う。平壌では人民委員会の選挙もあったが、私たちは民主主義のみの字も知らないから、人々が楽しそうに選挙に行く様子を見て、本当に驚いたものだ」


半世紀経っても読める朝鮮語
  佐藤さんは「朝鮮の人たちとの関わり方が一番心に残っている」と述べながら、「日本の敗戦までは朝鮮人と交流したり話したりという記憶がない。それほど意識はしなかったが、私も植民地支配者の立場に立っていて、優越感を抱いていたかもしれない。敗戦後は立場が逆転したが、一時の混乱期を除き、私たちは朝鮮人から報復とか差別扱いを受けることはなかった」と述べた。また、当時の印象深いできごととして佐藤さんは、朝鮮語を習ったことをあげた。
「朝鮮語は今ではすっかり忘れてしまったが、1947年の後半から約半年間、金日成総合大学の学生たちを講師として、朝鮮語を習ったことがあった。『アーヤー、オーヨー』から始まって、ハングルの読み書きを習った。近所のオモニたちとの会話の過程で、ムル()、トウンムル(温水)、チャンムル(冷水)、スル()、サル()などの、日常用語は使っていたが、流暢に会話までするまではいかなかった。50年経ってもハングル文字を読めるが意味が分からない」
「朝鮮民主女性同盟という言葉も、労働党の関係者から教えてもらった。47年に結成大会が平壌で開かれた。『なんですか、女性同盟』って聞いたら、これからは解放された朝鮮の主人公として、新しい社会建設のために活動するんだよ、と教えてくれた。その翌年にわれわれ中学生も民青同盟を作った。あちこちで女性同盟や職業同盟などができた、それでよし、われわれもと言って作った記憶がある。もしかしたら、臨時人民委員会の教育局からサジェッションを受けたかもしれない。それで、兄・公也が初代委員長になった。あれは、歴史的なこと。兄貴はもう忘れているが」
「平壌で幼少期、少年期を過ごしたので、当時の遊び場であった大同江の川辺、牡丹峰辺りを歩くと懐かしい。今は大同江は水害を防ぐために西海閘門ができて、川幅が昔の倍になった。われわれが住んでいた頃は、チュチェ思想塔のある東大院区域、船橋区域の側が白い砂浜だった。私たちはそこで相撲とったり、シジミを取ったりした。もちろん泳いだりもして。今は幾重にも遊歩道が美しく造られているが、当時は土手があって、それを越えて川に下りて遊んだ。パンツ一枚で下駄を白浜に置いて泳いだ。ところが、干満の差が大きくで砂浜に置いていたパンツや下駄が流された思い出がある。牡丹峰の玄武門や乙密台は復元されたと聞いた。米軍の爆撃で破壊されたのだろう。牡丹峰の麓にある金日成競技場は昔は陸上総合競技場。戦時中はその場所で学校対抗の競技をやっていたので、よく覚えている。日本敗戦直後、金日成将軍が乗られた車列を見送ったことはある。道の端っこで人々が将軍は地方に行かれると噂していた」
「懐かしい大同橋は米軍の爆撃で落とされたと聞いたが、元の形で復元したと聞いた。昔の記憶によれば、大同橋は幅が1213mはあったと思う。両端に歩道があり、胸くらいの高さの欄干がずっとついていた。橋の中央部は市電のレールと車道がしめていた。長さは600m。アーチ型の橋梁が10個、波形に橋上に並んでいた。橋の欄干は真鍮の細い棒が10cm幅くらいについていたので、棒切れをそれに当てて歩くと、カラン、カランとじつにリズミカルな乾いた音がして、愉快な気持ちになったものだ。平壌第一中学校へ通うようになると朝晩、必ずここを歩いた。時々棒切れでカランカランと音をたてながら、眼下の流れを見つめて歩くのが当時の日課であった」
1943年に入ると、太平洋戦争は次第に戦況が傾いてきて、軍部は、飛行機や軍艦を造るためだといって、各家庭から金属製品を供出させた。それこそ、鍋、釜の類が隣組単位で山のように集められた。それから間もなく大同橋の真鍮の欄干も全部撤去されて、木製のものに替えられてしまった。しかし、この木製の欄干は傷みがひどくなり、欠けたりした。電車に乗れない貧しい朝鮮人やわれわれは、朝夕、この大同橋の狭い歩道を一緒になって歩いたが、欄干の壊れたところにさしかかると車道側に身を寄せて、恐る恐るという感じで歩を速めた。橋の高さは10m以上あったから、水面に落ちても、川原におちても、命を落とす危険性があった。実際、欄干欠落による事故の被害者は朝鮮人ばかりであった」
佐藤さんは今から考えてみると各家庭で使っている鍋、釜、人が使っている橋の欄干まで壊して軍に供出させていたこと自体、日本の敗戦は決定的であったことの証だったと指摘する。だが、軍国教育で、大本営発表ばかりの戦勝情報一色の中では、そんなことを想像する術もなかったと嘆く。
いまだに、多くの遺族の墓参りが実現していない現状について、佐藤さんは「今回、朝鮮政府の人道的な計らいで墓参りができたことに心から感謝している」と何度も口にしながら、日朝関係が1日も早く正常化してほしいと述べ、平壌は「懐かしい第二の故郷、機会があれば何度でも平壌に足を運んでみたいし、その土地の空間に身を置いてみたい」 との願いを語った。
                         (朴日粉)

2013年1月22日火曜日

寒中見舞い申し上げます。

さまざまな作業をしている浦部農園
古代米を前にした浦部夫妻


寒中見舞い①
雨の中、古代米浦部農園を訪ねた。
大規模農家でもあり農業に熱意ある若者を研修生として雇い入れ独立させていく。今後は、藤岡市内の大規模非耕作地の農地としての再生に取り組むという。
その意気込みを聞きに訪問したという訳。
浦部さんの見識と熱意、行動力が周囲に伝播していくのがよくわかる。
〈私は食べ物でできているたべもののおばけ
食べ物は大地が生み出す大地のおばけ
大地は地球の皮膚 絶え間なく呼吸し いのちを養う
だから私は地球のおばけ 地球そのもの〉
 この感覚で激動の現代を未来を見据えながら、地に足を着け生き抜いているのだから、迷いはない。
 藤岡市鮎川337番地((有)古代米浦部農園
                    0274.23.8770

寒中見舞い②

曲がろうか直になろうか胡瓜たち 考えながら 育ちくるらし

紅梅のあとに見たれば白梅は 黄色に見ゆる曇天の下

乙女らは薄き緑を身に着けて 森の夜明けにひっそりとたつ

遠くでも近くでもなく 未来でも過去でもなくて 何を見る眼ぞ

いにしえの本読み足れば男たち 貴族も武士もよく涙垂る

 これが歌人門倉まさるさんからの今日届いた寒中見舞いだ。
相変わらず冴えた歌を詠んでいる。
 玉村町上之手にあったプールで一緒に泳いでいたのは6年程前の事。
今は、岩鼻の群馬の森を散策しながら歌を詠んでいると思う。
 また会いたくなった。

 
雪一輪(撮影 田中正巳の兄)






2013年1月20日日曜日

朝焼けの白鳥の写真

見事な着水 (撮影 田中正巳の兄)

白鳥の湖(撮影 田中正巳の兄)
 玉村町の烏川に今年も白鳥がたくさん訪れ、多くの人たちが観察に来ている。
 この写真は、友人の田中正巳の兄が埼玉県の白鳥の休息地で撮影したもの。朝露の中で悠々と過ごす様子が見て取れる。
しかし、彼らとて決してのんびり生きているわけではない。
 命を未来に託すため、一時的に、これらの地域で羽を休めているにすぎない。いずれ旅立つ。
 それまでの期間、自然界に生きるものとして交流できることを喜びとしたい。
 


2013年1月13日日曜日

成人式/映画「漂泊」/「死刑弁護人」

彼女達の3倍生きてます
若さ爆発の成人衆
映画製作への参加を訴える町田さん

 成人式は今年も賑わった。平成生まれの人たちが胸を張って大人の仲間入りをする。
 昭和は遠くなりにけり、かなあ。
社会は老若男女で成立するもの、時間の経過が子供を大人に、青年を老年にするだけのこと。
時間と折り合いをつけながら生きてゆくとしよう。
 映画「漂泊」のオーデイションン参加を求め、町田プロデューサーが奮闘していた。町内40カ所に映画宣伝のステカンも張り出されている。来週から賛同金集めも始めよう。
 
 午後は伊勢崎市議補欠選挙に立候補した藤生(ふじう)浩二事務所に顔を出し、本人を激励、その足で高崎に行き、「死刑弁護人」を観る。
 さすがこの映画は注目の作品とみえ、満員とまではいかないがたくさんの人が観ていた。
 
《マスコミや検察の情報を鵜呑みにし、自分たちは絶対的な正義なのだと思い込み、被疑者へのバッシングを繰り返す私達に、なぜ、いつも自分たちが正しいのか、と本作は投げかける》
 
 安田好弘弁護士の弁護活動を捉えたドキュメンタリー映画だが、今こそ安田弁護士のような活動をする弁護士が多く求められる時代はないだろう。
 個人的にも、「和歌山カレー事件判決」は相当おかしいと思っている。
証拠がなく、状況証拠の積み上げだけで有罪とし、死刑判決を下してしまった。
 保険金詐欺を繰り返していた事実があったとしても、林眞須美にはカレーに毒をいれて人を殺す動機が全くない。
 はっきり言えば、金欲しさ故の保険金詐欺だったのであり、金にもならないことをする女性ではない。
 この映画で知ったことだが、ヒ素を入れたとする青色の紙コップは実は白だった。
 安田弁護士はこの当たりから「証拠ねつ造」の線で再審闘争をするのだろう。大いに期待したい。
 
 「光市母子殺人事件」の元少年の判決についても納得できない。
 一審、2審は無期懲役だったが、被害者の夫がマスコミにたびたび登場し、死刑を求める会見を行い、世論もそれに扇動される形で、「無期は軽い」となり、最高裁は遺族感情を考慮し、広島高裁に審理を差し戻した。
 その弁護活動をしたことで21人の弁護団は「鬼畜を弁護する鬼畜弁護士」と世間の標的となった。
 当時、「行列のできる・・・」というテレビ番組で橋下徹が弁護士のなんたるかをわきまえず、弁護団に対し懲戒請求の要求をと呼びかけた、アノ事件がこれだ。
 
 すべてに冷静に対応する安田弁護士の存在が、カッカしている今の世情にはいかに必要なのかと言うことが理解できる映画で是非観て欲しい。
特に成人を迎えた若い人たちに観てもらいたい映画だ。
シネマテークたかさきで1月18日(金)まで上映中。
 
 会場で支配人の志尾さんに会った。「先日、町田さんが漂泊の資料を持ってきてくれました。いい映画ができるといいですね」
 勿論、高崎映画祭で上映できる内容の作品をつくるつもりですよ。
 
 
 
 
 
 

2013年1月9日水曜日

平成25年度賀詞交歓会 玉村町

タママtン登場
竜舞衆の舞でヘビ年は始まる










 

玉村町新年賀詞交歓会が行われた。多くの町民が参加し、町長の意気込みをうかがわせる新年のあいさつもあった。
昨年デビューしたユルキャラ・アイドル「タマタン」も登場し場内を沸かせた。 式典後は龍舞衆の舞で場内もキリリと締まった。
 行政的にはやはり、ここから始まるのだろう。しかし、娑婆の実際は一日またいだだけで何もかも新年リセットというわけにはいかない。
 と言うわけで難問抱えながら角田義一弁護士事務所に新年のご挨拶。その後、県教組委員長と懇談。

2013年1月7日月曜日

幕末を違う視点から見る。そして今は。


 

幕末の読み方は色々あるから面白い。

私は、「清水次郎長」「忠治を男にした女狭」「幕末狂乱・コレラがやってきた」どれも高橋敏著、大塚政義著「水戸天狗党と下仁田戦争150話」「国定忠治とその外伝130話」、吉村昭著「桜田門外の変」、山川菊江著「幕末の水戸藩」の延長線に杉浦日向子著「一日江戸人」、羽仁五郎著「維持維新」が加われば、かなり幕末から明治への転換の意味を深読みできると考える。

 明治維新を年表に残る一部権力者の側の視点だけで見ていると、それはやはり一面的になってしまう。その時代に生きた市井の人々の生活や思いがどのように時代の変革に対応していったのかを見ていくと、当時の社会の底の部分からの変革気分に気づくことができる。

 〈1853年(嘉永6年)鎖国の建前を崩壊させた黒船の耳をつんざくような砲声に始まり、日本の神々の怒りとも感じられた天地動転の大地震(1854年、嘉永7年)と大津波により、人々はいやが上にも世直しの感を強くしていった。
 夷狄とされ、見てはならなかった「異」が公然と神仏の国日本に土足のまま上がり込み、国土は地震と津波、そして火災でこの世とも思えぬ焦土と化した。両者は習合し、末法の世界、世紀末の社会を現出して恐怖をあおり、世は根底からひっくり返るのではないかと思われた。
 そこに1858年(安政5年)コレラが襲いかかったのである。
 コレラはガンジス川流域の下ベンガル地域に盤踞する一種の風土病だった。流行してもインド国内で止まるのが通例だった。
 このインドの風土病が世界を席巻し地球規模で人々を死の恐怖に駆り立てるに至ったのは、イギリスのインド植民地化に始まる欧米列強のアジア・アフリカ侵略の歴史があった。  文明の東漸をもって啓蒙の善として語られようが、欧米の国々が引き起こした人とモノの大移動は、一方でインドの小地域に潜み平和に暮らしていたコレラ菌にも、世界制覇の野望を実現させることになったのである。〉(幕末狂乱)

開国要求と商人経済の発展に対応できなくなっていった時代遅れの徳川幕府支配体制のほころびやら、任侠ヤクザ群に治安の維持を頼らなくてはならないほど力を落としていく幕府の姿を見落とすことはできない。

その任侠ヤクザ群の一部が明治維新の時、その功績により、下級武士として遇された時期もあった。さぞかし有頂天だったろう。
しかし、廃藩置県に伴い、その処遇を廃され、我慢できない部分は自由民権運動に走って行った。
任侠ヤクザが自由を語り、正義や道義を主張するのだから、人間いつの時代も勘違いはつきもののようだ。
そして権力者はその時々、必要なら、例えヤクザでも正当化して民衆支配の道具として使い、ご用済みになれば、お役御免で切り捨てる。
これは古今東西の歴史が教えるところだ。

この一連の流れを羽仁五郎の人民史観で読み解くと、また違ったものが見えてくる。

 かくして、天皇を中心に据える尊皇派の復古調の「明治維新」となり、―近現代・中略―を経て今、再び「日本維新の会」なる政治勢力が現れた。

 資本主義経済の最後の過程としての新自由主義の生き詰まりの現在を、復古調の「日本維新」で対応できようはずがない。体制内改良でしのげるほど時代の要請は甘くない。

 しかし、昨年12月の総選挙結果をみると、本当のところ日本人の多くは、「変わりたくない。未来への責任を任されたくない」のではないかとさえ思えてくる。
本当の真実の危機に目を背けているとしか思えない。

「資本主義後」を視野に入れた政治潮流の登場が求められる。
未来を見据えた時代認識、歴史認識が求められる時代に入った事は間違いない。

頭脳警察の「歴史から飛び出せ」を聞こうか。



彼岸花に合掌 撮影 田中正巳
 

 

2013年1月6日日曜日

俺たちの「二十四の瞳」還暦同窓会

あの人は誰だっけという様子が面白い
次第に集まりだした
始まる前に集合写真
それぞれの近況を語る
2次会はカラオケで賑やかに
まだまだ色っぽい喜江ちゃんとチャボ
 
 中学校を卒業して以来、初めて会う人もいた。富山をはじめ遠くからも同級生が集まってきた。
 20年ぶりの人もいれば45年ぶりの人もいる。それぞれの人生を生き抜いて、今集った同級生24人の同窓会。
芝根中学校最後の卒業生という意識もみんなもっているようで、
それは圧巻だった。
 80才を過ぎた恩師も最初はその子が誰だかわからなかったが、話せばすぐ思い出す。
 大墳淑子先生は、新任だった頃のことを話し、1945年8月14日の空襲の怖さを語り、「とにかく平和は守って欲しい」と結ぶあいさつをしたが、ひとりひとりの教え子との対面の様子は、さながら映画「二十四の瞳」の一場面を彷彿させた。
 さまざまな地域に散り、生活を送っている仲間達が古里にもどった瞬間だ。
 聞いてみれば、建設現場で多くの男達に混じって工事用ヘルメットをかぶり、4トントラックのロングを転がして、女手ひとりで娘を育てきった人もいる。
 総じてまだまだやるぜ、の気迫に満ちた貴重な同窓会だった。
事情があり参加できない友もいたが、彼ら、彼女らの分まで楽しんでおいた。

〈風の散策(写真)〉という田中正巳のブログを知った。
彼の撮った写真がアップされている。
若い頃、京都に行ったり、またスキーにも行ったりと、青春期を共有した友だが、謙虚さなのか、写真を載せておくだけで何の説明もない。本人の名前すらない。
あいつらしいが、簡単な写真の説明書きくらいしてくれ、と強く注文しておいた。
たまにはのぞいて欲しい写真集だ。下はその1枚、岩宿カタクリの里で撮ったカタクリの花

 

 

2013年1月5日土曜日

新年早々の仕事は栃木市へ

遊覧船が待つ蔵の街うずま川
聞いてるおじさん、人形とは思えなかった
 新年の予定もいろいろと入ってきているので、初日は遠いところからと、前橋法務局から栃木市の家庭裁判所へと行くことにした。
 10時過ぎに伊勢崎市を出発したが、予定より1時間ほど早く栃木市に着き、午前中に予定の仕事は終わってしまった。
高速道路が整備され、驚くほどの時間短縮だ。
 こういうときは地元に敬意を表し観光、と言うわけで、久しぶりの「蔵の街」散策、風が強いため船に乗る人はいないが、寒空の中、カモが群れをなしてゆっくり水面を渡っている。
 塚田歴史伝説館では龍と少女の伝説を聞く。
龍伝説は日本中至る所にあるようだ。
 帰り際、うずま川を右に眺めながら歩いていると、かなり昔、彼女と来たことを思い出した。
 昔といっても100年前のことではない。わずか数十年前のことにすぎないのだが、誰だったのか思い出せない。
 若かりし日々、伝説になるような清い一途な関係ばかりでなく、欲望と打算もからめ、手広く交際していたので相手が誰だか混乱してしまう。(忘却能力が人の迷惑にならないように適正に働いているらしい)
 龍と結婚した少女のように美しい女性(これは完全に主観)だったことは確かだが、今はもう昔話。

詩の一節を思い出す。

〈年老いた男が川面を見つめて

時の流れを知る日が来るだろうか〉吉田拓郎・マークⅡ 









2013年1月3日木曜日

今年初映画は「情熱のピアニズム」シネマテークたかさき

 もう二日間、比較的静かにしていたのでぼちぼち、ということで、シネマテークたかさきで「情熱のピアニズム」(マイケル・ラドフォード監督)。
 これがすごい映画だ。
すさまじい障害を抱えながらも,桁外れの音楽的才能で世界中を圧倒させフランス最高のピアニストと讃えられたミシェル・ペトルチアーニの生涯を描いたドキュメンタリー映画。
 ヨーロッパで最初の名門ブルーノート・レコードと契約、多数の女性との悩ましい程の関係、世界中を飛び回った演奏旅行など、36才で夭折するまでを劇的に抜き取った作品で、今でも、彼のピアノの軽やかな音が響くほどだ。
 シネマテークたかさきで1月4日(金)まで上映。
 
 

2013年1月1日火曜日

謹賀新年

新年おめでとうございます。
本年も相変わらずよろしくお願いします。

箱石地区の新年会の後、仏壇に手を合わせ
穏やかに今年も過ごせるよう祈った。

元日くらいは家にいて、上毛新聞、朝日新聞、読売新聞そして東京新聞をじっくり読もうと思う。
昨日、届いた「再生の大地」(撫順戦犯刑務所)のDVDを観よう。

2012年12月30日日曜日

瞬悠庵で後援会忘年会

ツッキーと中沢さん
来年も元気に行きましょう
小川さんとご機嫌な西園先輩の高笑い

中沢さんの厳しい総括から忘年会は始まった
岡田さん(右から2人目)のうどん無くして忘年会は盛り上がらない

 とにかく今年も幕を落とそうとしている。
全く展望の見えない国政だが、そんなことにひるんでいられない。
 良き仲間をつくり、年末に集い語り合えば、展望は見えてくる。
 
 安倍政権の2%のインフレ目標など無責任の限りだ。
新政権が何もしないうちから、株価高(期待含み)になること自体異常なこと。庶民生活はまるで変化なし。
 輪転機での札の印刷と国債の際限ない発行という自民党の体質は変わらないらしい。
 所詮、消費増税の要件としての対前年GDP比2%増のための大仕掛けにすぎない。
 その後は日本版「財政の崖」に直面するだけのこと。
「この程度の国民にこの程度の政府」では困るの事よ。
 来年は覚醒と希望の年にしたいものだ。
 
 
今年最後の映画は園子温監督作品「希望の国」。
 ささやかながらも満ち足りた生活を送っていた家族に襲いかかる原発事故を通して、生や生きる尊厳を鮮やかに描き、原発政策を徹底批判する。
「冷たい熱帯魚」「恋の罪」も観たが、この作品もいい。
 シネマテークたかさきで1月11日(金)まで上映。
12日(土)からはいよいよ「死刑弁護人」が始まる。
主演は安田好弘弁護士。
 
 
 

2012年12月27日木曜日

社会が見えていない安倍内閣の危険な船出

 原子力規制委員会専門家チームが東北電力東通原発の敷地内の断層が活断層の可能性が高いと判断した。
 東北電力はか弱く反論するが、否定する明確な証拠がない限り、再稼働の可能性はなくなる。
 他の原発直下の活断層も判明するなど、これまでの原発建設のいい加減さが暴かれつつあるなか安倍内閣が発足した。
 その布陣を見ると「脱原発」の司令塔はいない。経済効率優先の財界1%側の代弁者であることがよくわかる。 
 また極端な極右議員を登用し、閉塞感一杯の現代社会の間違ったはけ口にしようとしていることも重大問題だ。
 安倍首相本人も「ネット右翼に支持」されていることをいいことに何を勘違いしたのか、勇ましい極右路線に突き進もうとしている。
 社会はネット右翼の言論が通用することなどまるでないことがわからない人物が首相になったのだから穏やかではない。
 ネット右翼の人々は、グローバリズムと小泉構造改革路線のなかで不安定状況に追いやられた労働者群であり、元々は99%の側にいる人たちだ。
 彼らがブルジョワの側に立つ安倍と組むこと自体が本来異常なことなのに、熱くなっているので気づこうともしない不幸な現象が起きている。
 彼らがとるべき行動は、人間を人間扱いしない新自由主義とのたたかいのはずだ。
 1%の側の権力者と組み、より弱い者を攻撃することがいかに恥ずべきことか理解できないほどになってしまった。
 「脳内愛国者」は「領土を守るためには武力行使もありえる」などと意気込み、見栄を張るが、それこそ「平和ボケ」ではないか。
 現実の戦争が、どれほどの流血と破壊をもたらし大規模地域を焦土と化してしまうかという感覚がまるでないこの不幸。
 社会が見えていない安倍内閣の危険な船出だ。

 

2012年12月23日日曜日

まつろわぬ人々のクリスマスデモ

ドラム部隊の練習

「南條倖司&まあ」のコンサート
謎の忍者カメラマンの登場
黒田節子さん(右)のコールでデモも締まる
先頭はだるま委員長
まつろわぬ人々とサンタの乱
不揃いの役者たち
李政美さんのミニコンサート

【ふくしまで暮らすということ】
〈ある福島在住の一女性(吉田麻里香さん)によるノート〉
ふくしまで暮らすということ。
わたしがふくしまで暮らすということ。
わたしにとってふくしまで暮らすということ。
 
例えば、朝起きて窓を開けて深呼吸する習慣がなくなったこと。
例えば、洗濯物を外に干せないこと。
例えば、庭の畑で採れた野菜を捨てるということ。
例えば、私が何も言わなくても、線量計とマスクを身につけて外   出する娘の姿に胸がチクッと痛むということ。
例えば、この真っ白な雪に触れられないこと。
例えば、「がんばろう福島」のスローガンに時々わずかな苛立ちを感じること。
例えば、いつのまにか呼吸が浅くなっていること。
例えば、福島に住んでいることを誰かに話すとき、「でもうちは線量が低いから・・・」と聞かれてもいないのに説明してしまうこと。
例えば、ふくしまには福島とフクシマがあると、感じること。
例えば、ふくしまに「とどまれ」と言われると、「人の命をなんだと思っているんだ」と言いたくなり、「避難しろ」と言われると「そう簡単に言うな。こっちにも事情があるんだ」と言いたくなること。
例えば、6歳の娘が将来結婚できるかが今から心配になってしまうこと。
例えば、ふくしまに住んでいるという選択の責任を放棄したくなること。
例えば、わたしたちの日常が誰かの犠牲と努力によって保たれている薄氷のような「安全」の上に成り立っているという当たり前の現実を、毎朝腹の底から理解するということ。
例えば、明日にはこの家を遠く離れるかもしれない、と毎晩考えること。
例えば、それでも明日もこの家で暮らせますように、と毎晩祈ること。とにかく、娘の健康と幸せを祈ること。
あの黒煙が脳裏から離れないこと。
それでも、毎日をそれなりに楽しく暮らしていること、誰かにわかってほしいということ。
毎日、怒ること。
毎日、祈ること。
 
 黒田節子さんに紹介された詩だ。
選挙結果など吹き飛ばしてしまうほど重い現実のなかで生きている福島の人たちを思えば、自公政権の反動政策などに屈するはずがない。
その意気の人たちが勝ち取った尊いクリスマスデモと講演会だった。

2012年12月21日金曜日

映画「漂泊」製作発表記者会見

左から貫井町長、浜口学長


インタビューを受ける藤橋誠監督
ホルモン屋で夜は賑やかに忘年会

 19日玉村町の住民交流センター「パル」で映画「漂泊」の製作発表記者会見を行った。
群馬テレビも含めて7社ほどの記者に来ていただいた。
4時前に町長室で貫井町長、濱口県立女子大学長と簡単に打ち合わせ、記者会見に望んだ。
小林日出幸会長が療養中なので、町田さんに立ち会ってもらい、私が司会で会見を進めた。
 地元女子大がその中心となることもあり、また映像製作を通じての大学教育にも意義をもたせたいという立場からも、濱口学長からは大いに期待し、また協力していただける旨のあいさつを受けた。
 ともすると、女子大ということで住民からは敷居が高く感じられる大学だが、入ってみると、結構、自由な空間が確保されていているように私は感じている。
この感覚を多くの住民が共有できる機会にもなるだろうことを期待している。
 玉村町と女子大は協力連携協定を結んでいるので、そのつながりを一層深めるにもいい機会と考える。
 とにかく、興味ある人がそれぞれの立場から映画製作いうひとつの事業に関与し、つながっていければ、それだけで豊かな人間関係がつくられていくだろう。

 単なる町紹介ではなく内容豊かな全国にも通用する映画に作り上げたい。
 
 夜はホルモン屋で忘年会、前橋から小川晶さんにも来てもらい、現在の政治状況から今後の反転攻勢の展望まで、少しだけ語りあった。
 映画の中で音楽を担当する小林頼司さんも遅れて参加、いろんなことが混ざり合いながら、映画つくりがいよいよ本格的に動き出す。

 今朝、高崎映画祭で井筒和幸監督が「黄金を抱いて翔べ」で最優秀監督に選ばれたとの記事があった。
今夜また会うのだけど土田君、さぞかしご機嫌でしょう。






2012年12月18日火曜日

怒りを込めてクリスマスデモ・エエジャナイカ大行進 in高崎

 あきれた総選挙の結果など吹き飛ばせ。
 大自民党に対する民主党が割れれば勝てるはずがないのが小選挙区制。
そんなことはわかりきっているはずなのに、12政党が乱立した結果、圧倒的な議席数での自公政権復活、横で維新勢力が支える構造だ。
 小選挙区の自民党は4割の得票で8割の議席を獲得した。
これが小選挙区制の怖さ、いい加減に止めなければいけない。
 憲法改正への動きも加速するだろう。原発も止まらなくなるのは目に見えている。
 しかしだ。我々の意思表示は投票行動だけではない。
死票と化した我々の思いは、選挙の結果に「ハイ、さようですか」と従順に付き従うほど軽くはない。
 国会外で政治的意思表示をして、反動国会に立ち向かうことができる。
 それにより、原発からの脱却を実現し、改憲も阻止する。
 その1弾として【クリスマスデモ・原発なくてもエエジャナイカ大行進】を高崎で敢行する。
 
 会場は高崎城址公園
 正午から「南條倖司&まあ」他によるライブコンサート
 13時からデモ出発(高崎労使会館まで)
 15時から黒田節子さんの講演会 会場費500円
(黒田さんは「原発いらない福島の女たち」の中心を担っている人で、福島の今、と題して、19ケ月のたたかいを報告する)
 
 今、山本太郎の選挙期間中の演説を聴いている。
すごい内容だ。原発だけでなく、TPP、消費税を語り、世界を語り憲法を語る。
こういう若者が出てきた事、彼を包み込む大きな渦ができてきたことは、未来に希望が持てる
 
 
 
 
 

2012年12月16日日曜日

山本太郎で突き抜けよう

15日夜の高円寺駅北口
14日荻窪駅北口での太郎と沢田研二
 今回の総選挙は右翼的潮流が一気に跋扈する非常に危険な状況になっている。
小選挙区制がその原因であることは間違いない。
 小泉の「郵政改革」で大きく自民党に振れ、新自由主義政策による極端な格差社会の到来に危機感を持った有権者が民主党に投票し、新自由主義からの脱却を求めた。しかし、その民主党がまともに機能せず小沢一郎との内部対立に終始したような状況になってしまった。
 代表になった野田は自民党と見まがうばかりの政策(消費増税、TPP推進、原発再稼働等)を打ち出し、多くの民意を裏切ってきた。
 自民党にすれば自民党みたいな野田民主党と違うと言わんばかりに持ち出してきたのが、国家主義丸出しの安倍カラー。
 
 今や憲法が危ない。憲法は権力者をしばるもの、権力の暴走に歯止めをかけるものとして存在する意味がある。それが憲法だ。
「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」「国民の思想、良心、表現の自由は保障する」等々として、戦争行為を手段としない国際紛争の解決を権力者に命令しているのだ。基本的人権を踏みつぶすな、と権力者に命令しているのだ。
 壊憲論者たちは憲法立憲主義の意味を意図的に無視し、憲法を権力者の民衆支配の道具に変えてしまおうとしている。
 
 今回の選挙の本質はここにある。改憲などしていいことなど何もない。思想、表現行為、信仰の自由すら制約され、国家主義が全面に踊り出す全体主義の戦前社会がもう一度再現されてしまう。
 マスコミ報道や社会の一面的な気分に騙されてはいけない。自民や維新を蹴散らす勢いを持とう。
 
 東京8区で孤軍奮闘している山本太郎に注目したい。
社会のあらゆる理不尽さに絶えかねた38才の山本太郎の決起に多くの民衆の支持が広がっている。このうねりの中に新しい潮流があるだろう。
 ヒトラー・ナチスが選挙で権力を握ったことも忘れてはならない。民衆が手を貸してしまったのだ。
しかし、社会は選挙だけで動くものでもない。それに抗う民衆運動が権力の暴走の歯止めとしてキチンと機能することを銘記したい。
 戦前の歴史に学ぶ必要性が今こそありそうだ。


以下、山本太郎の演説を紹介する。
 
 
  こんばんわ、山本太郎です。今回、衆院選に杉並から立つことになりました。石原軍団と激突です。僕は兵庫県の出身なんですが、ここ杉並から立つ意味はすごく大きいんですよね。ここ杉並は反核運動が生まれた街なんです。1954年、一人の主婦から始まりました。お子さんを持った一人のお母さんが、署名を集め始めたんですね。ここから5分ぐらいの所にある中央図書館、公民館で原水爆の実験をやめてくれと言う内容でした。それが何千万人規模の運動になっていったんです。日本を変えた、世界を変えた。それが、なんと部分的核実験の禁止条約につながっていくんですね。すごいじゃないですか。それが杉並なんですよ。それぐらいのエネルギーを持った街なんです。杉並から山本太郎が立つ理由、その一つはそこです。
 もう一つ、3・11以降、原発事故がありました。その後、原発と放射能に対する不安を大きな声でいろんな人と話す空気じゃなかった。でも杉並、高円寺で行われた1万人以上のデモの中で、自分が思うことを素直に吐き出していいんだと。自分の思っていることも言えないような世の中なんて最悪ですよね。たとえ意見が違ったとしても、いろんな人の意見を混ぜ合わせて妥協点だったり、いろんな方向性が見い出せると思うんです。山本太郎が杉並から立つ理由、二つ目はそこです。
 そして最後に、山本太郎がどうして杉並から立ったのか、それは自民党です。原発の歴史をつくったのは自民党。もちろん3・11以降の原発事故による被害、放射能の拡散、それを隠し続けて事故を矮小化し、マスコミもぐるになって僕たち国民をだまし続けた民主党。3・11以降の地獄は民主党がつくりだしたものです。でも前の土台となる部分、それは自民党がつくり上げたものなんですよね。今の自民党の中枢にいる象徴的な人物といえば石原さん、石原ファミリーなんですよ。いま危機的なこの日本の状況を、大きな資金力や組織力はないけれども市民のみなさんとつながって、この大きな敵、日本を売り飛ばそうとする者たちと対決して突破すること、それは大きなエネルギーを日本中に送ることになると思うんです。日本が変わるきっかけは、ここ杉並からつくろう、杉並から変えられるんじゃないかと思ったんです。山本太郎が杉並から立候補しようとした理由はそれです。
 とにかく今、ひどすぎるんですよ、世の中があまりにも。いきなり衆議院解散してね。テレビの報道を見ても偏向報道だらけ。この国に存在する政党は自民、公明、民主、維新。ちょっとだけ、みんなの党。それぐらいしか報道されていない。いろんな党が乱立してとか。そうじゃないんですよ。今回の選挙の一番のテーマは、命を守れるかどうかなんです。命を守ろうとする者と、命を売り飛ばそうとする者、その2極の闘いなんですよね。その中で自分に何ができるのか。議席を取って、しがらみだらけの政治家たちがなかなか口にできないことをストレートのものを言う、自分にはその役目ができる。それだけじゃなくて、政党が乱立して、ものごとのフォーカスがずらされている事実をみなさんに伝えなきゃと思ったんです。命を守ろうとする者と、命を売り飛ばそうとする者、その2極の闘いなんだということを、日本全国のみなさんにお伝えしたかったんです。
 地震大国の日本は今、地震の活動期ですよね。先日マグニチュード7・3の地震があった。翌日はマグニチュード7・4と訂正された。専門家によると、この先マグニチュード8クラスのものがやってくる警告と受け取っていいと。そのような状況の中で原発が動き続けている。原発は止まっているだけじゃ安全じゃない。一刻も早く廃炉作業に入る手続きを踏まなければならない。
 そのような状況の中で、原発推進と言っている勢力もある。その一方で「脱原発」の皮をかぶりながら、段階的停止みたいな、2030年代までにみたいな、1日も長く原発を続けてお金を手にしようとする人たち。そういう大きな勢力がマスコミと一体となってわれわれに本当の情報を渡さないんですよね。
 本当に危険なんです。今は地震の活動期。福島の東電原発、本当に収束していますか。関西電力大飯原発3号機、4号機、その下には活断層が通っている。なのにまだまだ動かすか。増設までするか。どんどん再稼働して一体何がやりたいんだ。
 福島の事故、これは同心円の中に閉じ込められているんですよね。汚染は広がっていませんよというアピールだらけなんです。しかも同心円上、30キロ圏内だけじゃないですよね。でも福島のキーワードの中にしか汚染はないような工作がずっと続けられていますよね。福島差別をつくり出しているのは、政府であり、政治家であり、メディアなんです。
 今回の福島東電事故、それによって広がった放射能汚染、それは東日本一帯なんですよ。もちろんすべて均一ではない。ホットスポットとして点在しているんですよ。みなさん、放射能汚染は東京には汚染はないとお考えですか? とんでもない。福島東電原発が爆発して、その後、放射能雲になりました。放射能プルムは東京方面に進んできた、途中さえぎるものはなかった。新宿の高層ビル群にぶつかって、降り注いでいるんですよ。その放射線量、岩手県盛岡市に投下したものの100倍だと言われています。ここ杉並は大丈夫ですか? わからないですよね。東京もわからない、東日本もわからない。調べないからわからないんです。
 どうして調べようとしないんでしょうか。簡単なんです。原発からのうまみをあきらめられない企業、その利潤にしがみつく人々、1%の人々がコントロールしようとしているんです。放射能の拡散がばれてしまうと、原発によるリスクがみなさんに知れ渡ってしまう。だとしたら、原発がなくてもエネルギーが足りている状況の中で原発をやめろと言う声が大きくなってしまうんですね。
 そんな、テレビや新聞が本当のことを流さないないなんてとんでもないだろう。でも違うんですよ。テレビ、新聞はお金がもらえれば僕たちの命にかかわることでも売り飛ばすんです。情報を制限するんです。東京電力、1年間に260億円ものお金を使って、メディアに対して広告宣伝費を払っています。もちろんみなさんの電気料なんですね。260億円くれる人に文句が言えるか、260億円の口止め料をもらえれば、みなさんの命のかかわることでも本当の情報を流さないんです。
 事故はまだ終わっていない。収束の仕方さえもわからない。溶け落ちた燃料がどこにいっているのか確認することさえできない。近くに寄れば即死です。この燃料の在処が分かるまでに何十年かかるかわからない。収束ということで考えれば何百年単位かもしれない。
 チェルノブイリの事故、26年前にありました。僕、去年行って来ましたが、まだ収束作業が続いていますよ。野田総理は福島の事故を小さく見せるために、収束宣言なるものをしましたが、それによって危険な作業を安い労働で自分の命を削りながら、僕たちにチャンスを与えてくれている収束作業員のみなさんがいらっしゃるんですよね。1万円そこそこのお金で、自分で宿代も、ご飯代も払って、僕たちにチャンスを与えてくれているんですよ。その人たちがいなくなったら、僕たちもう命をつなげない。
 今僕たちがやることがあるんじゃないですか。メディアが垂れ流すうそを見極めて、これから先どういう世の中にしていくのか、一刻も早く方向転換していかないともたない。今、地震の活動期です。エネルギーは足りている。今年の3月26日から東京電力管内にお住まいのみなさんは、最後に止まった柏崎原発が止まってから、1ワットも原発電力に頼っていない。もちろん主力は火力発電ですが、天然ガスを使えば一度で2回発電できる。CO2の排出も抑えられ、環境への負荷も少ない。調達ももっと近場から入れられるんですよ。なのにどうしてテレビでもっと大きく宣伝されないのか。簡単なんです。原発にかかわるスポンサーからのお金に目をくらまされているんです。お金と僕たちの命がバーターにされている。こんなこと許せますか? 僕は許せないんです。
 3・11があるまでこんな世の中のことなんて何も知らなかったんです。情けない大人です。30代の後半に突入して、この大きな事故に目が覚めたんです。原発というものから少しづつ自分自身の目が開いてきて、社会にはいろんな問題があることに気づかされたんです。この原発も社会の弱い立場にある人たちにしわ寄せがどんどんいっている。事故がなくても日常的に被曝する仕事なんです。僕たちが使っていた電力は人の犠牲の上に成り立っている電力であったんです。今それを知ってしまった以上、そして別の方法があると知った以上、これを認めることはできない。今やめなければいつやめるんだ。
 自民、公明、維新、彼らが連立政権を組むような勢力になってしまったら、この国は恐ろしいことになってしまいます。原発は推進され、憲法9条は変えられ、国防軍と名乗り、そして軍備は増強され、核兵器は保持、その先に何があるでしょう。想像力を働かせればわかりますよね。徴兵制も可能性としてあると思います。すでに維新の石原さん、橋下さんはそれについてコメントしていますよね。
 あなたの一番大切な人を、あなたの子どもを、あなたの恋人を、あなたの兄弟を最前線に送り込めますか? 経済的に苦しくなれば何年間かに1回、戦争を繰り返すアメリカ。アメリカのために戦争に駆り出される、そのような現実が今迫ってきているんです。原発をあきらめきれないのもここなんですよね。アメリカ国内ではもうできない、だけど中国、ロシアと原発・核開発で負けたくない。だから変わりに日本が代理でやることになっているんです。そんなことありえますか! 僕たち一体どこの国に住んでいるんですか? どうして自国民に対してこんなに愛情がないんでしょうか。
 僕たちに与えられた食品の安全基準ご存じですか? みなさん、今日食べた朝ご飯、安全ですか? これから食べる晩ご飯、安全な食材ですか? この事故を矮小化するために、汚染された地域もごまかされている。そして本来ならば事業者である東電、それを後押しした国が補償・賠償すべきなのに、それをしたくないばっかりに、今回の事故における汚染は隠されています。それによって僕たちが食べているもの、全国に流通しているものに、汚染食品が混ざっています。国が認めた安全基準、1キロあたり100ベクレル。100ベクレルって何だ? よくわからないですよね。1キロあたり100ベクレルは、この事故が起こる前は、放射性廃棄物として黄色いドラム缶の中に入れて厳重に管理しなければならないものでした。そのことがまったく報道されていない。
 テレビ局のみなさん、新聞社のみなさん、お金のために僕たちを売り飛ばすんですか? 力貸してくださいよ。自分たちが書く記事、1行に僕たちに気づきを与えるような記事をくださいよ。僕たちがテレビで見る5秒間のコメントの間にだけでも、僕たちがみんな気づけるようにそんなコメントを差し込んでください。闘ってくださいよ。命を守ろうとする僕たちは、あなたたちの命も守りたいんですよ。全員でこのまま、日本全国中が内部被曝し続けて、この先に未来なんかありますか?
 放射性廃棄物と同等のものを食べて安全と言われる僕たちの国、一番最初に影響を受けるのは誰でしょう? 子どもです。若い人たちです。細胞分裂活発ですから。彼らが原子力に対して何か意見が言える立場だったでしょうか? 違いますよね。その子どもたちにしわよせを、僕たちが生み出したものをかぶせるのか。今変えなければ、いつ変えるんだって話なんです。事故前、僕たちはどのくらいの数値の食べ物を食べていたか、ご存知ですか? キログラム当たり0・1ベクレムから0・2ベクレムだったそうです。だとするなら、今この国が僕たちに与えた安全基準、僕たちが以前食べていたものの1000倍ですよ。安全基準を1000倍に引き上げられたとしても僕たちの体いきなり1000倍強くなりますか?
 どうしてこんなことを、本当のことをたくさんの人が知らないんですか? 原子力という名の既得権益のもとにコントロールされているからです。情報操作は当たり前。電力会社、電気メーカー、三菱、日立、東芝、その下に建設業界、そして銀行、保険。間に大手広告代理店をはさんで、同じ利権を守りたい、お金がほしいだけのメディアに僕たちはだまされつづけるんです。こんなことがあっていいですか? 今変えましょうよ。力貸してもらえないですか!
 山本太郎、お前目立ちたいだけだろうと。芸能界でこういうの悪目立ちっていうんです。こんなの何の得にもならない、自分の職業のこと考えたら。でもね、職業なんてどうでもいいんです。その前に自分自身が生きていたい。でも、世界中にひとりぼっちでは意味がない。みなさんが生きていてくれないと困るんですよ。他者が存在して始めてこの世界って成り立つじゃないですか。僕も生きてたい、みなさんにも生きていてもらいたい。
 そのために12月16日の衆議院選挙、変えたいんですよ。みなさん、力を貸してもらえませんか。このままじゃ終われない、悔しい、あまりにも。ここまでなめられて黙っていられるかって話なんです。これ以上なめられるってことは、自分たちの命、子どもたちの命、大切な人の命を奪われるってことなんです。そんなこと絶対に許さない、最後まで抗います。みなさん、力を貸してください。僕を国会に連れて行ってください。お願いします。杉並の汚染、東京の汚染、東日本の汚染、僕に調べさせてください。そして汚染食品を止めさせてください。
 みなさんの力が必要です。よろしくお願いします。ありがとうございました。

2012年12月13日木曜日

談志のおもちゃ箱 シネマテークたかさき

 選挙戦も佳境の昨晩「談志のおもちゃ箱」を観る。
立川談志の弟子立川志らくが脚本、演出をしたものだが、時空を越えた見応えある内容だった。ただ複雑なので数回観ないとなかなか理解できないようだ。
談志もいいが、志らくも相当達者な芸人のようだ。

 家に帰れば、解体されつつあると報道されていた日本政府が「ミサイル」と称する人工衛星が朝鮮民主主義人民共和国により打ち上げられ衛星軌道に乗ったらしいというニュース、また尼崎事件の首謀者としての角田美代子が房内で自殺したというニュースが報道されていた。
そして自民党圧勝の情勢などと報道されると、世界が広いのだか狭いのだかわからなくなる。
それでもみんな生きていくのだから、誰もみな大したもんだ。

2012年12月11日火曜日

くわばら・伊勢崎集会が盛り上がる

意気軒昂な先輩方(中央が中沢さん)

角田節炸裂
 寒い中での伊勢崎集会だったが伊勢崎会場は立ち見もでる満席、くわばら勝利に向け大いに賑わった。
田辺誠さんは90才、角田義一さんも75才になったとか、玉村からは中沢さんも参加し、久しぶりの3人顔合わせ。
他にも、若い頃、労働運動で活動した人たちが多く参加し、この選挙に対する危機感を共有した。
「平和憲法が危ない」との共通認識で集会は終始した。
戦争体験者の危機感だけに会場にいた若い人たちも真剣に耳を傾けていた。
 1%の側の代弁者に成り下がった自民党や維新の会に対して99%の側の代表として桑原さんを押し出している意味を多くの人に考えて欲しい。

2012年12月10日月曜日

それぞれの選挙戦

 昨日、鬼石町での忘年会のため車を事務所に置いて帰ったので、散歩かたがた歩いて行くと、役場近くで共産党の関口さんの演説が聞こえてきた。通りがかりなので寄ってみると町議の宇津木さんが手を振っているではないか。
自民党を極端に勝たしてしまっていいのかという声が自民党を支持している人たちからも聞こえてるそうだ。
立ち止まって聴く人はいなかったが、宇津木さん、それでもめげないのが共産党。
 一方、井田酒店の庭で忙しそうに携帯電話をしていたのが浅見議長、「これから井田君が来るので、仲間を誘っているんです」
賑やかなこと大好き人間らしい選挙運動だ。保守系議員を束ねて、これだけ揃えました、と見せつけたいのだろう。
かく言う私、今日10時からヨークマート前で桑原さんの街宣応援、何人かの仲間にも参加願った。
民主党をリベラルに変える。原発推進、集団的自衛権容認でアメリカとの戦争行脚に道を開き、学校を教育から調教化の場へと変え、国防軍への若者の志願、挙げ句の果ての戦死で英霊となって靖国神社に合祀される、そんな時代錯誤の国の形を目指す自民、維新に議席を与えるな、と言っちゃいましたよ。
 それぞれの選挙戦だが議員同士、その違いを認め合っているから結構うまくやっていける。

2012年12月4日火曜日

選挙戦始まる。ポスターも午前中に貼りきる。

 桑原功さんのポスター約80枚を4人で貼り出し、午前中に何とか貼り終えた。なにせ町内のことは多少というか、かなり知っているので順調だった。
芝根地区では貼り出しが最初のところも3ヶ所ほどあったが、町中に入ると最後になった。
貼るのが最後になっても掲示板の順位は1位だからもう勝ったも同じ。
 午後、仕事の事務所でくつろいでいると浅見議長から「張り終えたようですね。心配していました」との電話。大きなお世話だ。
こういうところをよく見ているから油断も油断もすきもない。
「石関が比例単独2位なのでこれじゃ当選しちゃいますよ。」
今度は泣きが入る。カワイイ単純な奴よ。
 こちらのペースで石関は倒す・・・いつの日か、いやいや弱気は禁物、この選挙で打ち倒す。見てなさい。

 夕方、伊勢崎の選挙事務所で桑原候補に会った。
元気で初日をたたかっているという。

 明日から14日まで玉村町議会が開催される。
複雑な心模様の今年の師走だ。
 

2012年12月3日月曜日

明日から衆院選挙。桑原功さん当選に向けたたかいますよ。

 いよいよ明日から衆院選挙が始まる。
群馬2区も桑原功さんという候補者が見つかり、事務所態勢も整いつつある。前回選挙といい、泥縄の感は否めないが、当選目指してたたかいますよ。
「民主が桑原さんを立ててくれたので井野君は大助かりですよ」と正直に言う浅見議長はくわえたばこでいい気なもの。悪気はないのだがねえ。
 こちらはポスター貼りだって、一日がかりになりそうだ。人手が欲しい。

 
 石原・橋下の維新は原発推進、道州制推進、集団的自衛権を容認し防衛費の1%枠突破、憲法改悪、挙げ句の果てには、最低賃金制度の廃止まで言う。
 弱肉強食の極地を満展開させる1%のブルジョアジーの代弁者と成り下がった。
 非正規職という望みもしない労働環境に置かれて、年収200万円以下の労働者が1000万人を優に越えている中、最低賃金制度を撤廃したらどういうことになるか想像できないほどの頭の悪さだ。
 人間を虫けらほどにしか見ない日本維新の会に議席を与えてはならない。
 2区の石関たかしを落選させよう。
民主党からの惨めな逃亡過程で、銀行通帳を含む会計帳簿を持ち逃げし、居直るなどその性根から腐敗したファシストだ。
 維新人気にすがれば何とか国会議員でいられるなどという根性が許せない。
 安倍自民党もこれまたひどい。国防軍創設と憲法改悪。
教育改革で学校を「調教の場」と変え、ゆがんだ愛国心を植え付け、お国のために命を差し出す若者をつくりだし、国防軍に志願させ、果てはお決まりの靖国神社の英霊となるコースだ。
 明らかに歴史に逆行している倒錯の自民と維新に、群馬2区から比例も含め2議席を渡してはならない。
 リベラルな桑原さんをなんとしても押し込む。
この選挙の争点は新自由主義の是非だ。
 原発、消費税、TPP、非正規職の増加と格差社会、どれも新自由主義政策、1%の側の利益追求の政策だ。
 圧倒的多数の99%側の我々が自信と確信を持ち、維新や自民の危険性に気づき、新自由主義に反対する政党に投票することだ。
 明日は変えられる。
 
 
 
 
 

2012年12月1日土曜日

鬼石町でミカン狩り//群馬朝鮮学校

隠れんぼできそうな広いミカン畑
ミカンを選びながら自分の手で取るのはやはり楽しい

終わり頃、雨が降ってきたがな何とかセーフ


これから安全運転で帰ります
 久しぶりの鬼石町でのミカン狩りは、先生方含めて50人ほどの大人数でバス2台で現地に乗り込んだ。
 そんな大人数でも広いミカン畑に入ってしまうと、声は聞こえど姿は見えず、という感じ。やたらと子供たちのはしゃぎ声が聞こえるだけだが、それも楽しい。
 今年のミカンの出来はそれほどよくないのは見ただけでわかった。
 そんな中、毎回会っている踊りのうまい女の子に聞くと、中学3年生で、来年は高校に行くと言う。話しぶりも大人で、いつの間にこんなに成長したのかとの感慨もわく。
 高校に行った時、彼女は高校授業料無償化の適用除外が朝鮮高校だけという現実を知るのだろうか。
 この子供たちは大人になっても日本で暮らし続けるだろう。
本国・朝鮮との国交がないばかりに、不利な環境に置かれている在日朝鮮人の子供たち。
 もう少し日本人も関心を持たないとまずい。勿論、良識ある日本人もたくさんいるが、心ない人たちの存在が目につく。
 何も難しく考えることはない。同じ日本社会で生きる人間同士という感覚があればそれでいい。
小さな違いをことさら見つけ出し、あげつらっていても何も生まれはしない。日本人の狭量さが嘲笑を買うだけだ。
 世界の未来は今を生きる子供たちのものだ。子供たちはキチンと見ている。未来の担い手にふさわしい対応をしなければいけない。