竹原阿久根市長が議会にさえ出席せず、課長にも答弁を禁じているという。マスコミの傍聴を嫌ってのことらしいがマスコミの傍聴、議会の公開は当たり前だろうに。市長という権力者の意にそわない者は排除するというファシストだねえ。
そもそもこんなに高い給料を職員はもらっていていいのか、と言わんばかりに職員の給料を張り出し、それに抵抗した職員を懲戒免職にした。裁判の結果、職権乱用で解雇無効が確定したにもかかわらず、今度は最高裁判所の裁判官の給料をブログに乗せ、「こんなに恵まれている裁判官に正しい判決は出せない。」という意味のコメントをしているという。なんというアナーキー、これは市長としての発言ではない。
一般公務員の待遇を問題にするのではなく、むしろこの経済下、全く生活できない膨大な人々が生み出されていることを問題にすべきだ。公務員がワーキングプアになり、国民みんながかつかつにしか生きていけない状況が公平で理想とでも言いたいのだろうか。世界は2割の人々が8割の富を分捕り、残り2割の富を8割の人々が分捕りあっているという事実に目を向けなければならない。そして極端な新自由主義の結果、1割の人々が9割の富を分捕り、残り1割の富の分捕り合いを9割の人々がさせられているという現状をこそ問題にしなければ何にも解決しない。株主配当で大資本家がどれほど膨大な金額を労せずして得ているか、大企業の役員配当がどれだけべらぼうに高いかを問題にすべきだ。
労働することなしに生きていけない膨大な労働者を、恵まれている公務員労働者と恵まれていない民間労働者に分け、むやみに対立させ、問題の本質から目をそらせるやり口にこれ以上だまされてはいけない。
この市長、一度議会から不信任され、失職後再度市長に当選した上での今回のご乱交。こういう人物を市長に押し上げる背景が実は怖いのだ。荒んだ社会が見えてくる。
第一次世界大戦の戦争賠償の重圧の中で、インフレにあえいだドイツ国民は、選挙で排外主義を煽るヒトラーに政権を託し、極めて残虐な戦争犯罪を犯した歴史を想起すべきだ。日本でも保守的路線の新党ができてきた。差別排外主義路線に乗ってはいけない。まさに今は時代の転換期だと言うことがよくわかる。
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