もう50年は経っているのだろうか。
母親宅の出入り口の真ん中に位置してしまったヒマラヤ杉を切り倒すことを母親をはじめ圧倒的多数の親族(何人もいないが)が主張していた。
守旧派の私は、父親の植えたものでもあり、出入りに注意をすることになるので、むしろそのままにしておいた方がいいと主張していたが、とうとう母親の死去を期に切ることになった。
依頼した五料産業の土田社長が「お払いをした方がいいですよ」と言い出した。何かあると困るから、ということだが、普段は無神論者然とした彼が言うのだから何か思いがあるのだろうと、いざ玉村八幡宮の宮司にお払いを頼むに至った。
確かに50年もおつきあいしてきた大杉の命を絶えさせるのだがら、惜別の思いを大杉に伝えたい、というわけで気心の知れた梅林宮司の登場となった。
午前8時から、かしこみ、かしこみ、と懇ろにお払いを頂き、我が家と五料産業の無事を祈って頂いた。
もうすぐあのヒマラヤ杉の姿がなくなると思うと寂しい思いだ。
一方、出入りの際、この杉の木に車を接触させた人が結構いたことも事実だ。
最後の被害者が神主さんになるとは、神も仏もありゃしねえ。一寸先は闇だねえ。
吉田拓郎の曲の一節を思い出す。
「これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか、信じるものがあったとしても信じないそぶり」
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