当時の飯場が保存されている |
韓国・民主労総がこの像を持ってきて据えた。 |
メットをかぶって 坑内見学 |
民主労総、ここでもたたかってます。 |
記念館内もジックリ見学 |
記念館を守っているオモニの表情は柔らかい
秋の栗原企画は京都のマンガン記念館から。
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敷地入り口の小屋でチケット売りの女性が待つ。
広場の奥には当時を偲ばせる古びた飯場が1棟建っている。
山側の坑口までの通路に、今年8月韓国から民主労総等が飛行機で運び込んだ労働者像が建つ。
1895年頃から1983年頃までの90年程マンガンの採掘が続いた。アジア・太平洋戦争から1970年頃までは最盛期で、約500の鉱床があり300カ所もの鉱山が活況を呈していた。
大砲などに使う鋼鉄の材料でもあったので、戦争中は特に多くの労働者を必要とし、朝鮮人、中国人、被差別部落の人々が主にその労働を担った。
その記憶を残そうと記念館を建設し、今日に至っている。
構内はきれいに清掃され、当時の労働の厳しさを教えるとともに、忘れてはならない歴史として多くの人に見て欲しい、と踏ん張って記念館運営をしているのだろう。
8月に労働者像を建てた時は、韓国からたくさんの人が来てくれたという。
日本人も見学に行くというが、歴史的遺物を在日の家族が自己努力だけで守っている姿は頼もしくも痛々しくもある。愚痴を言わないオモニの笑顔がいい。
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