うどんづくりを楽しむ日出幸さん(中央)(2009年忘年会)
8月31日、小林日出幸さんが亡くなったことは言葉が出ないほど悲しい。
映画「漂泊」の撮影が終了した翌日の8月6日、病院に見舞った時は、まだ比較的元気で、今後の治療を楽観的に見通していた。
「シナリオが変更され相当いい青春映画ができそうですよ」と言うと、それは楽しみだね、と喜んでいた日出幸さん。
「9月23日の息子のコンサートに行ければいいんだけど」
「石川さんの選挙の応援もしなくちゃね。リーフレットを何枚か置いていって。見舞客に入会申し込みしてもらうから」
闘病中の日出幸さんの一言一言に泣かせられた。
11月頃には完成する予定の「漂泊」も映画製作委員長に小林日出幸さんが昨年就任して初めて動き出した。
全体がなかなか最初の一歩を踏み出せないなか、「面白くなりそうだから映画づくりやろうよ」の一声で、映画製作を担う人が広範になり、勢いがついた。
「体調がそれほどよくないので激務のプロデユーサーは無理だから、町田さんに頼んでおいたけどいいよね」
良いも悪いもない、この一言で町田昌美プロデユサー誕生、そして曲者面々の登場となり、初めての映画づくりの現場をこの激暑の夏に初体験した。
撮影時や打上げの時の写真を何枚か病室でいっしょに見たときの「いい映画になりそうだねえ」の言葉は忘れられない。
書き出せば切りがないが、好奇心の赴くまま生きた自由人、歌い、走り、飲み、学びもシッカリする。
政治的傍観者かと思えばとんでもない。貫井町長の後援会長もやり抜き、その神髄は性善説。
今は亡き大塚政義先生の玉村町八幡宮での国定忠治の講演を聞き、しきりに感心していたこともある。
人間が好きだったんだ、日出幸さんは。今日の葬儀の規模と参列者の表情を見ればそのことがわかる。
そんな日出幸さんが好きだった。
小林日出幸は生きている。疑う者は「漂泊」をみよ。良寛君を見よ。信君を見よ。
日出幸さんにもう読まれることのないブログを記す(瞬悠庵はお気に入りに入っていたという)
涙ながらに合掌
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