懇親会は居眠りをしなかった笠原議員をはさんで賑やかに
玉村町にとり身近な町村は吉岡町と榛東村になってしまった。東は遠く大泉町、南は藤岡の南の神流町ということで、吉岡町、榛東村と中毛町村会をつくり、毎年交流をしている。
昨年は相馬が原の自衛隊の話、今年は県立女子大学文学部国文科准教授の新井小枝子さん、演題は「日本の言葉について」。
「絹の言葉」と群馬の春夏秋冬を重ねての話は方言の話でもあり、参加者も興味津々といったところ。
学生の頃から、山村地域に入り込んでの聴き取りを実践してきただけに、かなり深い知識と日本の庶民文化のしたたかさを実感しているようだ。
〈真綿色したシクラメンほど清しいものはない〉
歌、シクラメンの香りの最初の言葉、真綿を説明し、その言葉を使った小椋佳に驚嘆するなど、話もわかりやすく、眠狂四郎の笠原議員すら好奇心一杯で聞いていた。
方言はともすると「共通語」と比べ、田舎くさく自慢できるものではない、という意識が地方にはあるが、日本各地で生まれ、生き、死んでいった多くの人たちの長い生活の歴史であり、あったかいものであることの端緒を新井先生の話は教えてくれた。決して卑下するものではない。
「お蚕言葉」だけの話をしても尽きない。
(づ)になる、という言葉が、ほとんど養蚕がなくなってしまった今も生きている。桑くれ、ドドメ、ハルゴ、晩秋蚕なども知っている。実際、私自身、子どもの頃、「桑くれ」や「ず拾い」を手伝い、桑畑でドドメを食べていた。
養蚕こそ江戸時代以来の特に東日本での主要産業だったことの証左だろう。まさに「お蚕様」なのだ。
懇親会では、3町村の議員もそれぞれの生きてきた地域の歴史を楽しそうに話しこんでいた。方言学は心を豊かにする。
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