元日の箱石貫前神社 |
鬼石町浄法寺にある永源寺で新年供養の説明を受ける |
たった一日が過ぎただけで、人は「新年」と言い、気持ちを新たにこの一年を生きようと再確認する。
別に「新年」と言わなくてもいいのだろうが、人間様、時間の経過に何か区切りをつけないと、生きたうえでの、生きるうえでの自己点検ができないのだろう。
天体の動きに合わせての時間の区切りだから、それはそれで納得はできる。しかし、そこまで自然の理に沿った時間の区切りをするのなら、万物争わずといけないものか、ガツガツ争いながら生きようと、誰もがいずれ消えて行く身、無限の宇宙の中での奇跡ともいえる水の惑星・地球に生まれた意味を感ずる時だろう。
「元日」は早速、地元箱石区の新年の集いに参加、箱石貫前神社の灯籠番という役を1年間授かり、日本酒を頂き、その足で真言宗派養命寺へ「新年」のあいさつとなる。恒例の二股新年が始まった。このいい加減さが日本社会の特徴か。
妹の家族と「新年」の酒を交わし、連れ合いの家族宅でこの一年の健康を願いトランプ遊び、その後、鬼石町浄法寺にある永源寺に行き、空海と最澄の話を聞く。
元日に2日分の予定をこなしたので、明日は「「ヒトラー暗殺、13分の誤算」をシネマテークたかさきで観ることができる。
3日は、玉村町議会議員の補欠選についての具体的な動きをする。
自分の人生を生きるだけよ。本年もよろしくお願いします。
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