みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2013年1月7日月曜日

幕末を違う視点から見る。そして今は。


 

幕末の読み方は色々あるから面白い。

私は、「清水次郎長」「忠治を男にした女狭」「幕末狂乱・コレラがやってきた」どれも高橋敏著、大塚政義著「水戸天狗党と下仁田戦争150話」「国定忠治とその外伝130話」、吉村昭著「桜田門外の変」、山川菊江著「幕末の水戸藩」の延長線に杉浦日向子著「一日江戸人」、羽仁五郎著「維持維新」が加われば、かなり幕末から明治への転換の意味を深読みできると考える。

 明治維新を年表に残る一部権力者の側の視点だけで見ていると、それはやはり一面的になってしまう。その時代に生きた市井の人々の生活や思いがどのように時代の変革に対応していったのかを見ていくと、当時の社会の底の部分からの変革気分に気づくことができる。

 〈1853年(嘉永6年)鎖国の建前を崩壊させた黒船の耳をつんざくような砲声に始まり、日本の神々の怒りとも感じられた天地動転の大地震(1854年、嘉永7年)と大津波により、人々はいやが上にも世直しの感を強くしていった。
 夷狄とされ、見てはならなかった「異」が公然と神仏の国日本に土足のまま上がり込み、国土は地震と津波、そして火災でこの世とも思えぬ焦土と化した。両者は習合し、末法の世界、世紀末の社会を現出して恐怖をあおり、世は根底からひっくり返るのではないかと思われた。
 そこに1858年(安政5年)コレラが襲いかかったのである。
 コレラはガンジス川流域の下ベンガル地域に盤踞する一種の風土病だった。流行してもインド国内で止まるのが通例だった。
 このインドの風土病が世界を席巻し地球規模で人々を死の恐怖に駆り立てるに至ったのは、イギリスのインド植民地化に始まる欧米列強のアジア・アフリカ侵略の歴史があった。  文明の東漸をもって啓蒙の善として語られようが、欧米の国々が引き起こした人とモノの大移動は、一方でインドの小地域に潜み平和に暮らしていたコレラ菌にも、世界制覇の野望を実現させることになったのである。〉(幕末狂乱)

開国要求と商人経済の発展に対応できなくなっていった時代遅れの徳川幕府支配体制のほころびやら、任侠ヤクザ群に治安の維持を頼らなくてはならないほど力を落としていく幕府の姿を見落とすことはできない。

その任侠ヤクザ群の一部が明治維新の時、その功績により、下級武士として遇された時期もあった。さぞかし有頂天だったろう。
しかし、廃藩置県に伴い、その処遇を廃され、我慢できない部分は自由民権運動に走って行った。
任侠ヤクザが自由を語り、正義や道義を主張するのだから、人間いつの時代も勘違いはつきもののようだ。
そして権力者はその時々、必要なら、例えヤクザでも正当化して民衆支配の道具として使い、ご用済みになれば、お役御免で切り捨てる。
これは古今東西の歴史が教えるところだ。

この一連の流れを羽仁五郎の人民史観で読み解くと、また違ったものが見えてくる。

 かくして、天皇を中心に据える尊皇派の復古調の「明治維新」となり、―近現代・中略―を経て今、再び「日本維新の会」なる政治勢力が現れた。

 資本主義経済の最後の過程としての新自由主義の生き詰まりの現在を、復古調の「日本維新」で対応できようはずがない。体制内改良でしのげるほど時代の要請は甘くない。

 しかし、昨年12月の総選挙結果をみると、本当のところ日本人の多くは、「変わりたくない。未来への責任を任されたくない」のではないかとさえ思えてくる。
本当の真実の危機に目を背けているとしか思えない。

「資本主義後」を視野に入れた政治潮流の登場が求められる。
未来を見据えた時代認識、歴史認識が求められる時代に入った事は間違いない。

頭脳警察の「歴史から飛び出せ」を聞こうか。



彼岸花に合掌 撮影 田中正巳
 

 

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