みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2014年4月14日月曜日

南京歴史散策(前)

南京での最後の周恩来記者会見の像
奥が周恩来執務室、横の家の2階から国民党兵士が監視していた。

周恩来が乗った車






気持ちが落ち着く梧桐樹の街路樹
ここを中心に歴史は動いた
孫文の執務室

「革命未だ成らず、同士須く努力せよ」

 歴史散策はやはり南京、10数年前にも一度行ったが、もう忘れかけているので、まして、日本の今の政治があまりにつたないので、確乎とした近代中国の歩みの一部を改めて体感しようと出かけた。
 南京市の中心部に宿を取れば、歩いて15分くらいの所に、孫文が政治を指揮した総統府があり、ここで太平天国の乱から辛亥革命、蒋介石の国民党、日本の侵略、中国共産党の台頭などを学べる。
 学ぶと言っても現地の人にとっては、日本の侵略はとんでもない話であることに違いない。学ぶという言葉を使ってしまう余りの軽さに自分の無学を恥じ入る。
 時間軸をキチンと整理すると、近代中国にとり、日本の侵略は本当に不幸なことだったことがわかる。日本人の私にとっても、なんという過ちをしてしまったのか、歴史を戻すことができれば、戻したい思いになる。
 それほど中国侵略、その象徴としての南京大虐殺事件はすさまじいもので、全く恥ずべき大事件だった。
 その話は次回にするとして、この総統府から歩いてほどない距離に、1946年5月から47年3月まで、国民党政府との交渉を行った周恩来の事務所がある。「梅園新村記念館」だ。
 南京大虐殺のことばかりでは本当に気が滅入ってしまうので、国共内戦、日本の侵略から不屈に中国革命を指導した人間・周恩来の生きた軌跡を知ることで、少しは気持ちを中和しようという思いがあった。
 革命中国の偉大な指導者達は毛沢東を筆頭にたくさんいる。しかし、暴虐の限りを尽くした日本軍兵士を思想改造し、戦犯1000人を無罪とした「撫順の奇跡」を指導し、怒る中国人民を説得したのは周恩来だ。
 彼のことを考えると、涙が出てしまう。本当に尊敬している。
 
 南京博物館での1光景を紹介する。おそらく休暇なのだろう。人民解放軍の若い3人の兵士が、館内で横に一列にすわり、脇目も振らず自分のスマートフォンを指ではじく姿、それが少なくとも1時間以上続いていた。若者はどこも同じだ。
 

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