今年も1番お気に入りの桜(東部スポーツ広場)
6日は、故大塚政義先生の一周忌ということで下仁田町の清泉寺での供養に参加させて頂き、早くも亡くなって1年経ってしまったか、という感慨に耽った。
ご家族はそれぞれ元気なので心配はないが、形見を整理しているうちに、武田信玄、清水次郎長に関し書き留めた長い文書が出てきた、と奥さんが話されていた。
その道に詳しい人がいれば、遺作として本にすることが出来るかもしれない。
とにかく好奇心と調査能力、記憶力、行動力で、例えば、下仁田戦争の史実を天下に明らかにしたのだがら、ただの歴史家ではなかった。そして、それを支えた家族の存在の大きさも、このような法事に参加させて頂いて心底わかる。
妙義町グリーンホテルで食事をしながらの話も故人の人となりを忍ぶ有意義な時間だった。
中国にいる娘さんが今回は来れなかったのが残念だった。
というのは、私自身、中国へ今週、旅行に行くので、中国国内の様子を聞いておきたかった。まあ、又会えるでしょう。
法事が終わってから、高崎映画祭の最終上映作品インド映画「きっと、うまくいく」を観る予定だったが、なぜか非常に疲れて、眠くなり、無理すれば会場に行けないことはなかったが、家に帰り仮眠した。
少し寝て、夕食後9時過ぎには本格的に寝た。
朝までに3回ほど起きたが、その2回に、今は亡き両親が夢に現れた。
1度目は、家の中に入り、妻の机に向かい何か書いている父親と離れてそれを見ている母親、父親の姿を寝ながら私は見ていたが、父親はやがて外へ出て行った。
妻を呼んでも、私の声が出ないらしく、全く反応はない。声を枯らして呼んでも反応はなくひとりもがいていた。
2度目は、雨上がりの畑を30センチ程のふたりの人形らしきものが自宅の庭に向かって歩いてきた。透けて背景が見えている。自宅の庭に来たとき男が水たまりで足下が悪いせいか、ゆっくり転びそうになり、女はそのまま前に進んで歩いた。
私が手を差し伸べると男も手を差し出し、ゆっくり立ち上がった。顔は元気な時の父親で、握った手の感触があることを夢のなかでも不思議に思った。視線も合ったような気がする。
今度も妻を呼んだ、2度目か3度目で聞こえたらしく、2階から顔を出したそこへ前を歩いていた母親が帰ってきて「お便所に行けば」と一言、ふたりは離れて行った。ふたりが歩く方向には昔使っていた外便所がある。
母は父に向かって言ったのだと思う。しかし、トイレに行きたいのは私も同じでいつも起き際に夢を見る。
親の夢を見ることはあるが、ふたりそろって一晩に二度というのは初めてのこと。ハテ、と考えてしまう。
ここで、精神分析すれば、私の精神的混乱がそこにはあるのだと思う。
高崎映画祭で観た映画だけでもその内容はスゴすぎる。
「旅芸人の記録」(3時間52分)、「アレクサンダー大王」(3時間28分)、「霧の中の風景」(2時間5分)、「狩人」(2時間52分)、
これらの監督テオ・アンゲロプロスの映画はどれも極めて政治的で、戦争、革命、内乱と死地をさまようものばかり。その中での男女の愛憎まで描く。
それを居眠りもせず見れば、それでもストーリーは把握しきれず、かえって混乱する。
アメリカ映画「天国の門」(3時間36分)は移民襲撃の話、移民国家アメリカで最初の移民が権力を持ってのさばり、後続の移民を排除しようとした時代を描いたものでこの戦闘シーンがスゴイのなんの。
その上、「太陽に灼かれて」(2時間16分)、「戦果のナージャ」(2時間30分)、「遙かなる勝利へ」(2時間30分)のロシアの戦争映画3本立てを観りゃ頭もおかしくもなる。
ロシア革命とスターリン主義反革命による粛正、秘密警察の暗躍、忠誠と裏切り、処刑と名誉回復、果てしなく続く戦争の惨禍を見続ければ、それらの映画がよく出来ているだけに精神的にストレスがたまり混乱しない方がおかしい。
インド映画「きっと、うまくいく」を観て中和した方がよかったかもしれないがもう遅い。
国境、国籍は軽々越えるつもりだが、この世とあの世の自由往来はまだチト早い。そして南京大虐殺記念館訪問ともなれば、
「落ち着けよ」、と両親が言いに来たのかもしれない。
釈迦の誕生日の8日、桜の花とビールをもって久しぶりにお墓に行くよ。
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