土曜日の雷による停電のためか、インターネットが使えなくなり、身近な知り合いに直せるか見てもらったがやはり無理そうなので、プロに依頼するとさすがにすっきりと修復してくれた。
とにかく、コンピュータというものに対して根底的に腰の引けているところがあり、基本もわからず、しかし、ある程度使えないと、仕事にも何にもならないので使用しているにすぎない。
それはそれで便利だが、自分にとって必要な範囲しか使えないというのが実情。
しかし、そこはよくできたもので、「わかんない、教えてくれえ」と言える仲間を何人も持っている強みがある。
平気でどんどん聞いてしまうのだ。こうした楽な関係の友人を複数持っていると非常にいい。
「アンタが頼りだよ」と持ち上げながら楽に生きられる。
そしてオリンピック、鍛え上げたその道のトップクラスの競技だから、見ていてその迫力に心を揺さぶられる。それはスポーツの祭典とはいえ国際政治が色濃く反映していることはある程度わかる。
しかしこの酷暑の毎日、テレビで競技を楽しんで見られるだけでうれしい。水泳はいいね。
そういえば、イタリアやフランスの競泳選手には入れ墨している人もいた。橋下徹はどのような思いで見ていたろうか。
世界はひろいのだ。
銅メダルに終わり悔しがって見せる選手より、順位はともかく「思いっきり泳げた」と笑顔の選手の方がいい。
期待される選手との差かもしれないが、メダル、メダルと煽るテレビにはひんしゅくだ。
孫基禎という選手を知っているだろうか。朝鮮植民地時代の1936年、ベルリンオリンピックの日本代表として金メダルを獲得した人だ。
「マラソン世界制覇ー孫選手の力走」(朝日新聞)などと号外を出したが、「東亜日報」はユニフォームの日章旗を塗りつぶした写真を掲載して無期発行停止に処せられた。
朝鮮独立の象徴となることを恐れた官憲は彼を監視下に置き、公の場で二度と走らないことを条件に明治大学留学を許した。
「国がない状況で走ることは、孫さんにとりどういう意味があったのか」、という質問に対し、83歳の彼は「日本人の皆さんのお耳に障ることをいう必要はない。マラソンの金メダルをとったなかでは世界で一番苦労した男だよ」と答えた。
2002年11月13日、孫基禎は亡くなった。
日本は今でも孫基禎の金メダルを日本のものとしてカウントしている。
日本の慣例では、金メダリストが亡くなった場合、JOCや日本体育協会から表彰や顕彰があるそうだが、彼の死に際しては、表彰や顕彰はおろか、弔電や供花すらなかったという。
今年はその「孫基禎」の生誕100年。
こういうこと知っておいた方がいいと思う。
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