みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2010年10月31日日曜日

桐生市新里小6年生の自殺に思う

実に悲惨と言うしかない。新聞報道でしか判断できないが、転校生としてなじめない中でのさまざまな出来事に彼女は耐えられなかったのだろう。子どもは可愛いが、一面実に怖い面も持ち合わせている。思ったことをそのまま言葉にしてしまうこともあり、他人が傷つくことも理解しない。それが子どもなのだと言うことを前提に教育現場はあるべきだろう。
この事件から教育現場は逃げてはいけない。担当教師の悩みを職員室での教員の総合力で対応、解決できなかったのだろうか。新米教員からベテラン教員までいるはずだから、その連携で問題に対する対応は十分できたはず、と思う。職員室機能が全く活かされていなかったと言うべきだろう。
 新自由主義政策の中で社会総体が荒み、みんながバラバラにされ、相互の信頼関係すら築き上げられていないのが現状なのだろう。子ども達こそ犠牲者だ。
 事件が起きると、マスコミも含めヒステリックになり、学校や教師に個人攻撃を仕掛ける。担任教員は、マスコミが自宅を取り巻いて、帰宅もままならないそうだ。そんなことでは何も解決しない。
 教職員組合への加入率低下が示すものは、教員同士の研修、さまざまな課題への取り組みなど横のつながり、仲間同士の団結・連携が極端に弱くなっている実態ではないか。教育委員会からの縦の関係ばかり優先し、上位の者には意見の言えない「物わかりのいい教員」がふえ、教室の実態に対応できない状況があるのではないか。
 昨日の連合群馬定期大会で会った群馬県教組書記長に、「教員を守れ、子ども達を守れ」と強く要請した。日教組の弱体化がこのような教育現場になってしまったことに一面つながっている。右翼が主張する「日教組解体」ではなく「日教組再生」こそが教育再生の道だ。
しかし、「友達が欲しい」という女性徒の切ない願いさえ叶えられない教育現場は日本中にあると考えなければいけないだろう。

奇しくも、「追い込まれた死をなくすために」という自殺予防のための冊子が群馬司法書士会から送られてきた。「気づき、つなぎ、見守り」をキーワードーとしている。年間自殺者3万人以上が12年連続している社会は根底から間違っている。倒錯の社会だ。

2010年10月29日金曜日

連合伊勢崎地協による町への政策提言、玉村町文化協会の総合芸術展



連合伊勢崎地協による町長への政策提言について、塚越紀一県議と一緒に立ち会った。内容は①雇用・労働問題の相談窓口の周知活動②子育て支援環境の強化③生涯学習の充実へ向けた取り組みの強化④ゴミの削減⑤防災訓練の実施⑥緊急警報情報の早期伝達への支援といったものだ。
懇談の中、政府の進めている公務員削減政策で本当にいいのか、日本を幾分割する形での道州制導入で日本社会は崩壊しないのか、検討して来年町に提言して欲しい、と私からお願いした。
終了後、塚越県議と三和食堂で会食、来年の県議選について対応を話し合った。「起つ」という。伊勢崎選挙区も世代交代の様相だが、ベテランがいなければやはり政治は進まない。

午後は、文化センターで開催中の作品展の見学。長寿会連合会、身体障害者連合会主催の作品展もあり、それは賑やかで、これほどの作品を町民が書いたり、作ったりしているのかと考えると、文化の力は想像を超えるものがあると実感した。思わぬ人の出品もあり、癒しの意味でも文化の香り豊かな町を感じた。

そして、歴史資料館、玉村町歴史Ⅲとして芝根地区編の展示が行われている。特に目に止まったのは木暮武申(弥市郎)、箱石生まれの和算家として18世紀に生まれた。蔵書には和算、測量、暦学の本もあった。コペルニクスの天体図もあり、写真を撮らせてもらった。オランダ医学等の流れが、18世紀の箱石にまで来ていたのかと、驚きの本も展示されている。(12月12日まで)

2010年10月28日木曜日

群馬町村議会議員研修会に議員全員参加

毎年この時期に開催される研修会だが、全県からの集合となると、吉岡町文化センターがその規模といい位置といい、最適なのでこの会場使用が通常化している。
 今年の講師は大森彌(わたる)東京大学名誉教授と西川孝純(さいかわ たかすみ)共同通信社特別編集委員のふたり。西川さんの話は、メデイアの世界にいたわりには保守的論調が多く、それほど刺激的な内容ではなかった。
 大森さんの話は、地方を理解し、理解しようとしている姿勢がうかがわれた。私が議長だった2年前、東京での研修でも講演を聴いたので2度目の聴講だった。当時から、地方分権推進委員会専門委員などをしていて、自民党の合併推進政策を厳しく批判していた。政権交代前の時期で自民党批判が世間にあふれていたが、「それでも自民党に投票します」と言っていたのが印象的だった。
そして今日は、阿久根市長、名古屋市長そして大阪府知事の3人の名前を挙げて批判していた。「この3人の手法はファシズムであり独裁だ。」農産物の自由化に関しても「アメリカは強行に出れば日本は折れると見ている。政府はなめられている。私の怒りは右翼ぎりぎりのところにある」「合併などしないほうがいい。単独でいてくれればまた講演に来たい」等々、大森さんの考え方に共感した参加者は多かったのではないか。

2010年10月24日日曜日

群馬朝鮮学校開校50周年記念



未来は子ども達のものだ。世界中の子ども達が例外なく、自由で平等で協調できる世界をつくる責任は大人達にある。日本社会で差別にあえぐ在日朝鮮人がつくった群馬朝鮮初中級学校の開設50周年が盛大に催された。桑原功衆院議員や多数の県議、市議が来賓として参加、市町村議員は私だけだった。卒業生など多数が参加し民族舞踊などが披露され、朝鮮料理の醍醐味を味わった。曇り空でもあり屋外開催には最適だった。私自身、思いもかけない感謝状をいただきとまどっている。
 日本と朝鮮の豊かな歴史交流を復活させる必要がある。差別と偏見だけで一方を排除する昨今の日本社会の流れを変えなければならない。
 校内では韓国併合100年を写真パネルなどで紹介していた。江華島事件から始まる朝鮮植民地政策の時代は本当につらいものがある。しかし加害者である日本人が見据えなければならない歴史であることを自ら確認したい。唐沢国労高崎書記長と雑談しながらパネルを見た。その中にも、当時朝鮮人に好意的な日本人の写真がいくつか飾られていた。勝海舟、柳宗悦、幸徳秋水、菅野スガ、布施辰治、石川啄木、金子文子等だ。
「最近、日本は朝鮮を差別するが、日本文化の種子はみんな朝鮮から来ていることを忘れている」との趣旨の勝海舟の言葉も載せられていた。

 地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ秋風を聴く
(韓国併合に際し書いたうた)

 雄々しくも 死を恐れざる人のこと 巷にあしき噂する日よ
(伊藤博文を暗殺した安重根を思い書いたうた)

この2つは啄木のもの。これらの人々の当時の言動のおかげで、今の私達もほんの少し救われているのかと考えてしまう)

玉村町では4回目の国際交流会が行われた。来年は,朝鮮舞踊でも参加させようか。

2010年10月22日金曜日

アメリカンクラブ錦野の歴史に幕を閉じる



私が通っていた上之手にあるプール「アメリカンクラブ錦野」がこの28日で閉鎖する。経営上の問題でそうなるわけだが、なにせ20年間最初から通っていた自分としては、つらいものがある。何しろ色んな人と出会った。イラン人のアリーやモジとは帰国した今でもたまには連絡を取り合っている。会員が大勢いたときは、忘年会もした。夜、サウナ室に行けば、そこに集まった人たちの話で、その日の出来事がわかるほどの交流の場だった。
一日1000㍍くらい泳いだ日々もあった。今は30分程度歩き300㍍泳ぐ程度だが、極端に会員数が少ない状態がこの何年か続いていた。小・中学生の選手コースは今もなかなか盛況のようだが、一般会員の減少が響いたのかもしれない。若い選手コースの人たちの今後の活躍に期待したい。
 一つの歴史がこうした形で幕を下ろすのは実に寂しい。経営者の方にはこれまでの感謝の気持ちと今後の生活再建を願うのみだ。
 

2010年10月17日日曜日

伊勢崎「国際交流祭」から飯倉のバーベキューへ


昨日、伊勢崎市内にJAが開設した農産物物産館「からかーぜ」に寄り買い物をした。知り合いの職員も多くいろいろ話を聞かせてもらった。今後、広幹道が開通することを見越しての大きな試みだ。この場所なら上陽地区からも近いので、そこからの集客もあてにしている。芝根地区や上陽地区の生産者の出荷もあるという。
さて、玉村町で検討している物産館建設はどうしたものか。これといった特産物のないなかで無理して大金をかけて作る必要があるのかも含め、検討すべきだ。

その後、伊勢崎市絣の里で開かれた国際交流祭で出店している川田夫妻を訪ねた。駐車場は満杯で車を止めるのに苦労した。中に入ると本館2階のインドネシア展で忙しく立ち働いている川田一家を見つけた。隣は韓国のブース。ブラジルのブースでコーヒーを飲んでいると、定方伊勢崎市議会議長と鉢合わせ、雑談の後、川田を紹介し写真をパチリ。時間をとり、ゆっくり過ごせば面白い一日になること間違いなし。台湾のブースを歩き、館外にあるテントの中の特に南米の食事をゆっくり見ながら、帰った。

そして、秋のバーベキューを食べに町内飯倉に向かった。密照区長の決断により今年から夏祭りではなく秋祭りに変えた催しだ。気候の変動もこの時期は少なく、穏やかな中での地区民の交流となったようだ。

2010年10月13日水曜日

玉村町協働推進センター利用団対交流会

ふるはートホールの推進センター利用団体交流会が開かれ、20団体ほどが参加し、自己紹介から今後の連携のあり方などを協議した。草刈りボランテイアから趣味の会、手話の会、龍舞衆、文化団体等が一同に会したのだから、話が収まるはずがない。それでも、話を進めれば、次第に整理されていくのは不思議だ。荒んだ世の中でもそれぞれがさまざまのことをしている。点が線になり、やがては面になれば、それはそれで結構なこと。力まずに行けば、面白いことになるかも。

昨夜は、群馬県町村議長会理事会で、退任した私も送別会と言うことで、伊香保温泉夜の部に招かれた。1年ぶりの髙橋会長(榛東村議長)は元気で他の理事さんともじっくり飲んで話ができた。部屋割は玉村町宇津木、神流町三木、上野村宮澤議長の4人。やはり交流は必要と改めて感じた。38000人を割った玉村町だが、2000人、3000人の山村からすれば夢の都市のようだそうだ。「とにかく平らな畑がない。報酬が低くて議員のなり手がいない。高齢化が進み希望が持てない」とこぼすことしきり。
昭和村となるとまた事情は違う。高地にあり広い畑で取れる野菜は都市部へ高速道路で直行でき、大企業の進出もあり、自信ありありな様子だった。八ツ場ダムを抱える山間地域や東部地域の町村など現在23町村が県内にある。道州制により押しつぶされることのないようにしなければならない。

シネマまえばしで「赤いコーリャン」を観た。1920年代、中国山東省の田舎の暮らしの様子を描いたものだが、コーリャン畑に日本軍が来て、美しいコーリャン畑を押しつぶし場面、中国人に生きたまま仲間の皮を剥がせようとする日本軍とそこに林立する「日の丸」を見て、当時の日本軍のひどい行為に改めて吐き気をもようし、日の丸に身震いを覚えた。

2010年10月11日月曜日

中国人劉曉波さんにノーベル平和賞

1989年の天安門事件で主導的役割をしていた劉曉波さんがノーベル平和賞を受賞することになった。当時、北京師範大学講師だった彼は、事件後も「生き残った者の責任」として、民主化活動を続けていた人物だ。どこの国でも反体制活動は厳しい弾圧にさらされる。世界第2位の経済大国にのし上がった中国が「一党独裁」でいいのか、というのが一般の論調のようだ。平和賞は特に、「政治的」思惑が絡んでいることは周知の事実。中国政府もなにも「劉曉波は犯罪者」などと声高に叫ぶ必要はない。懐の深い対応を見せればいいのに、できないところに現在の中国の弱点があるのだろう。鄧小平の「先富論」が現実は極端な経済格差を呼び起こし社会主義の体をなしていない「名ばかり社会主義」になってしまった矛盾をいつどのような形で解消するのか、ここに注目が集まる。問題は、平和的解消などできはしない事だ。13億人の国で動乱が起こればそれはそれはおおごとだから大変なんだ。
 一方、我が日本は一党独裁ではないかに見えるが、少し目をこらせば分かるだろう。「ブルジョワ独裁」と言うことが。自民党も民主党も資本主義体制を堅持するためのブルジョア(資本家)に送り込まれた政党にすぎず、民主主義は「独裁」と言う言葉の悪いイメージを払拭するための装飾にすぎないのではないか。二つの政党とも働く人たちのための政党ではない。

昨日の町民体育祭は中止されたが、天候は極めてよく、今日も秋日和で、群馬の山々もきれいに見える。足を伸ばそうか。

2010年10月10日日曜日

本当の文明は人を殺さない 弁護士・布施辰治

群馬県公社総合ビルでドキュメント「弁護士・布施辰治」を観た。これは韓国併合100年・布施辰治生誕130年を記念して作製された映画だ。
朝鮮植民地、中国侵略という暗黒の時代を「世の中に一人だって見殺しにされていい人はいないのだ」との信念で朝鮮人や社会的弱者の側に立ちきって弁護活動を続けた布施辰治弁護士を描いたもので、池田博穂監督の舞台あいさつ、角田義一弁護士のあいさつの後、上映された。会場は300人の定員一杯の盛況で、今日的にも布施辰治の生き方を学ぼうとする多くの人がいることが理解された。
池田監督はそのあいさつの中で語った。布施は若い頃、街頭で田中正造の演説を聞き、「本当の文明は人を殺さない」との田中の信念に惹かれ、自身が法曹界に進むなかでも、その生き方を貫いていった。そして今も布施の生き方に学び、継承する若い人たちがいることを紹介した。

2010年10月7日木曜日

八ツ場ダム建設地と吾妻峡を訪ねる


東吾妻農協に行ったついでに、川原湯温泉と吾妻峡を訪ねた。ヤンバ館は県外ナンバーのバスや自家用車での見学者が大勢いて、廃止か推進かで注目を集める昨今、見学者が増えているのだろう。温泉町は深刻な状況だ。スキー帰りに時々寄っていた吾妻川沿いの麦とろご飯のうまい店のすぐ下にダムサイトの一部かと思われる構造物ができていた。美しい吾妻峡を景観的にも破壊するものだ。強酸性の川に不要のダムを造ってはいけない。
豊田嘉雄著「湖底の蒼穹(そら)」を今読み返している。豊田さんの自伝的書物だが、ダムに終生反対し続けた思いが書き連ねられている。私自身一泊世話になり豊田さんからさまざまな話を聞かせていただいた「やまた旅館」を思い出しながら、そのなかに書かれている歌を敬意を込めていくつか記す。

全山の闇 占めて鳴く仏法僧
ふるさとを追われる不安誰知るや ダム計画の非情うらめし
いち早く利権行為にボス踊る ダム予定地村の現実
今にして故郷愛す啄木の 歌が身にしむダムの恐れよ
ひたむきにダム建設を阻止すべく 対策会議幾夜つづくも
 鎮魂の歌
コスモスの花ゆるるまま退院す
ふるさとが湖底に沈む少し前 花の咲く頃ぽっくり死にたい
ダムの話今日こそすまじと思いしが 湯客に聞かれまたも話せり
憤怒して自民党県議幹事長の術中に落ちし苦き思い出
気負いてはダム反対を叫びしが 今は静かに理論で迫る
敗れても敗れても幟立てかえて ダム反対の証守らん
湖底となる母校は明治年代の木造校舎に孫学び居る
ダム補償目当てにどっと八0棟 別荘とかや主見えず建つ
ダム賛否烈しく対立したる友も 老いて互いに体気づかう
ダム阻みふるさと守りとうさんと 精魂尽きて兄は逝きたり
もろもろの花咲き鳥も鳴けどれも 所詮湖底となる嗚呼ふるさとか
この世去るとき来るとも ふるさとを湖底に沈めることは許さじ
青春は兵役に埋没 後半生ダムと対決 命足らざる

私の年齢と同じ57年経ってもできないダムはいつまで経ってもできない。改めて現地の人たちの生活再建を喫緊の課題とすべきだ。

2010年10月6日水曜日

県立女子大公開授業

突然、鬼石町の岩城さんから電話があり、「女子大にいるからおいで」という。たまたま時間が空いていたので行ってみたら、馬場先生の公開授業だった。「芸術の現場から」と題し、映画監督の富樫森さんの映像から見る演出の話を聞いた。溝口健二監督作品「近松物語」、小津安二郎監督の「東京物語」の一部を上映しながらの説明は説得力があった。このような公開授業が頻繁に行われている。
 「玉村町は女子大があっていいねえ。本当にそうだよ。もっと活かしなよ」とは岩城女史の言葉。「ハイ」

2010年10月4日月曜日

検察審査会の「小沢一郎強制起訴」でいいのかなあ

検察審査会が小沢一郎「強制起訴」との結論を出した。検察審査会そのもののあり方に異議を唱えたい。裁判員制度導入時に改正されたもので、「市民感覚」が売り物の制度だが、これがくせ者なのだ。市民感覚という世の中の漠然とした空気、気分で感情的に、法や証拠に基づいた判断から離れた視点で決定される恐れが高いからだ。普段が怪しい人間にとってははじめから不利な制度だ。世論による魔女狩りになる可能性がある。本来の検察審査会はむしろ検察の不備を補完するもので抑制的だった。
裁判員裁判とともに世の中を感情的、扇情的に煽りかねない制度でとても危険だ。
小沢一郎、私とは正反対の政治手法で、政策的にも対極にいる人物だ。しかし、鬼の首でも取ったように「離党勧告」を叫ぶ枝野幹事長代理らの正義・清潔とは一面的な薄っぺらなもので中身などなにもない、この手の民主党若手連中は小沢より危険だ。尖閣列島(釣魚島)問題をとっても、憲法9条がなかったら戦争の引き金すら引きかねない危険きわまりない連中だ。中国と折り合いをつけるなら、菅政権の幹部連中より小沢の方が一枚も二枚も上だ。理念保守思想だけで政治ができるなどとゆめゆめ思うな。小沢一郎を使う場面を留保できる懐の深い政治をしなければならない。鈴木宗男しかり、後の祭りでは取り返しがつかないのだ。

2010年9月29日水曜日

日本周辺波髙しですなあ

中国と尖閣列島(釣魚島)で軋轢を起こしていると思えば、今度はロシア大統領が北方領土を訪問するという。ここで竹島(独島)で火を噴けば、もう火の海と化してしまう。政府も足もとを見透かされたものです。
逆にここまでくると、戦争にもならない。何せ敵としても認められていないのだから。
民主党政府にどれだけ、中国、ロシア、韓国と信頼の関係を持っている議員がいるのか、底が知れている。まして、拉致問題を抱える北朝鮮とのパイプは全くなし。こんな事で正常な外交ができるわけない。ロシアと言えば鈴木宗男、この人物を政治的に葬っておいて、現実外交はお寒い限り。国内向けに「国益、領土、拉致」を叫んでいれば気のすむ単純・まっすぐ、困った君議員ばかりではお先真っ暗。親分アメリカに一層強く抱きつくのだけは勘弁して欲しい。
 この辺で本物の政治を目指す機運が芽生えるはずだ。新自由主義的な相手の感情すら排して、単なる目先の利益と効率だけでは、国内政治も国際政治も立ち行かないことを自覚することから始めるしかない。真の人間外交だ。これが面白い。

2010年9月25日土曜日

玉村町第4保育園運動会・日中領土問題


1週間でこんなに気温が違うのかと誰もが感じるほど、先週の小学校運動会の暑さとうって変わり肌寒い朝だった。雨が降らなければいいがと心配したが次第に薄日が差しやがて太陽が顔を出し、また暑い昼間時となった。
 子ども達は無邪気で元気そのもの。子どもの人数に比して見物人の多さも保育園運動会の特徴、親が若いから祖父母もまだ若く見物、応援に来る。楽しい一日でした。

 子どもは無邪気だが大人の世界はそうはいかない。尖閣列島(中国名釣魚島)での事件では、前原外相は「日本には領土問題は存在しない」などと強気に船長の刑事被告人としての取り調べをしたが、対する中国はこれでもかと言うほど経済的政治的圧力をかけてきた。
日常は周辺のことなどお構いなしの政府もこんな時だけ「領土、領土」と叫ぶ。両国とも島周辺の地下資源が目当てなのだから、共存共栄の試みをするしかないだろうに。帝国主義的対立で泣きをみるのはいつも庶民だ。領土、愛国心にだまされてはならない。
しかし、中国も度を越した対応をしている。東シナ海だけでなく南シナ海でも領海を巡り、フィリピン、ベトナムでもいさかいを起こしているらしい。いつから覇権主義に路線転換したのか、こんな外交をしていたら周恩来が泣くぜ。今の中国にこそ周恩来が必要だ。日本の政治家も歴史と他国の文化とのつながりを理解する人がいない。官政権は全く駄目だ。薄っぺらな理念保守に外交などできるはずがない。石橋湛山レベルの人物が欲しい。
「戦略的互恵関係」などと平気で言い合う関係を脱しなければならない。これは互いには嫌いだが、利益のためにおつきあいしましょう、という程度のもの。
真の「互敬関係」にならなければならない。これを日中外交の基本に据えるべきだ。両国の石頭の理念保守派の言うなりになれば戦争になってしまう。やはり日本には憲法9条が必要だ。

2010年9月24日金曜日

仕事のついでに大戸の関所へ立ち寄る



突然JAあがつま坂上支店へ行く用事ができ、車を走らせたところ、大戸の関所の近くではないか、加部性も多い。加部安の酒屋もこの辺にあったのだろう。八ツ場ダムで沈む予定の川原湯温泉にも近い。曇り空だったが稲刈りをしている人もいる。黄金色の稲が気持ちを安らげる。秋だ。
 大戸の関所と関所破りをした忠治が1850年12月21日に処刑された場所へ行った。今は亡き茂木正男さんの言葉を思い出す。「忠治が大戸の関所を通らずに川原湯温泉まで行った道がだいたい分かったのでそのうち歩こうよ」その約束も果たせず、深くため息をついた。


もう一度行かなくてはならないので、今度は時間に余裕を持ち、川原湯温泉につかってこよう。政治にもてあそばれている状況の八ツ場ダム問題はなんとか本体工事ストップで終わらせたい。そこに住んでいる人たちの生活保障、再建を早くしろ。
 

2010年9月22日水曜日

玉村中学体育祭



今日は玉村中学体育祭、同時に南中学でも開催された。暑いことは暑いが秋の空のもとみんな元気に跳んだり駆けたりしていた。走りなどは小学校の運動会とは迫力が違う。この時期の体の成長の早いことを痛感する。
平日とあってか、保護者などの見物が小学校運動会と比較し極端に少ない。これらの光景は映画「チルソクの夏」を連想させる。つまり青春なんだよ。
今の教育の中で成長する子ども達が大人になり、体制順応型の単なるお利口さんにならない事を願う。行き詰まった社会に疑問をもつことは若者として大事なことのはずだが、そうなっていない現実がある。教員自身が追い込まれている状況は何とか変えていかなければと考えている。
 そして25日は保育園運動会、これがまた賑やかで楽しい。人生で一番悩みの少ない時期なのだろうか。


何、主任検事が証拠の変造していたと。とんでもないことがやっと明らかになった。みんな驚いたふりをしているが、警察や検事の「取り調べ」により、どれだけ多くの人々がえん罪に陥れられてきたか考えて見た方がいい。松本サリン事件、免田事件、足利事件、袴田事件、狭山事件にしても数えればきりがない。公安事件のほとんどはこの類と言っていい。正義を掲げて権力を民衆制圧のために行使する。これを腐敗と言わず何という。

シネマまえばしが面白い。サスペンス映画の神髄「フリッツ・ラング特集」をしている。私はもちろん、そんな監督を知らないが、「M」を見たら腰が向けるほど驚いた。ベルリンの少女連続殺人事件を捜査する警察がどうしても犯人が分からないので、暗黒社会に毎日手入れをする。暗黒社会としては、毎日、手入れがあっては博打、売春等「生業」ができなくなる。そこで暗黒世界の面々が犯人探しを始める。会議の中での猛烈なタバコの煙が笑える。やっと捕まえた犯人をボスが裁判官役を演じ、弁護人までつけての「人民裁判」はその流れが現代にもそのまま通じる議論を経る。1931年の作品という。レベルの高さに腰が抜けた。
「死刑執行人もまた死す」もすごい。反ナチレジスタンスを描いた最高傑作。
他に「暗黒街の弾痕」「恐怖省」「「マン・ハント」「ビッグ・ヒート」が上映されている。全部観れるかなあ。

2010年9月18日土曜日

午前・芝根小学校運動会 午後 「拉致問題」蓮池透講演会



16日で9月議会は終わり、21年度決算は承認されたが、町執行部に対し因縁をつけるような形での反対討論があり、それは違うでしょうと言う形で反論しておいた。2年後の町長選へ向けた動きだろう。


小学校運動会が町の5つの小学校でそれぞれ開催され、母校の芝根小学校へ来賓として参加した。まだ暑いが、1週間前の猛暑とはうって変わり、秋の気配が感じられるなかでの元気のいい運動会だった。空は青く、小学生の元気な声と勢いのいい音楽で賑やかなひとときだった。子どもの成長を楽しみにする親御さんたちが懸命にビデオを回す姿があちこちにある。秋の始まりだ。しかし、この時期の運動会は少し早すぎるのではないだろうか。これも二学期制の影響だ。

午後は前橋市内で、蓮池透さんの「拉致問題」についての講演会。家族会を除名された経緯や拉致問題解決に向けた彼の考え方を話した。「家族会が感情的になるのは理解するが、政府までが一緒になっていては問題は解決しない。北朝鮮批判をすれば国内受けする事態をつくったのはマスコミの責任でもある。今となってはなんのパイプもなくなってしまった。制裁路線からの転換、対話路線の模索はどうしても必要。過去の清算を含めた具体的な動きを堂々と提示しなければならない。」
弟薫さんとの会話も紹介しながらの話は、当事者しか知らない事なので興味深く聞くことができた。拉致問題を北朝鮮批判のための政治道具にしている政府の対応にこそ問題があることに気づくべきだ。

2010年9月13日月曜日

忠治の生きた時代の玉村町 大塚政義講演会



玉村町で3度目の講演会となった大塚政義講演会が八幡宮で開かれた。同時刻、文化センターでの橋幸夫、島倉千代子のコンサートが満員の盛況の中、対抗する形での開催となった。私にとっては5度目の話だが、先生の熱心さもあり、70人程の参加者は結構満足の様子だった。榛名由里の「忠治一代」はやはりプロは違うという圧巻さがある。なかなかいいよ。
 二足のわらじをはかず、反権力で生ききった忠治人気が、どの辺にあるのかをいろんなエピソードを交えての話は相変わらず楽しい。
 大塚先生は水戸天狗党を研究して40年、高崎藩との下仁田戦争を世に明らかにするなど水戸史学の第一人者でもある。忠治研究は15年程という。まあ、人好きで楽観的なひとですよ。「またいつでも講演にきますよ」とにこやかに言う。ありがとうございます。

 11日の大泉町でのサンバの余韻が文教委員会のメンバーにはまだあるようで、玉村町でもやりたいねえ、という声しきり。

2010年9月12日日曜日

平居照朗先生を偲ぶ会を開く


 5月に亡くなった在野の経済学者「平居先生を忍ぶ会」が鬼石町で開かれた。何せ平居さんの奥さん秀子さんと事務局の都合だけで決めた日程なので、日程調整がつかず出席できない人が多かったのは残念ではあるが、参加者はそれぞれ平居先生とのつながりを語り、資本論学習でできた人のつながりを今後も維持したいという共通の思いがあった。
 小林悟先生84才、「敗戦時、大量の日本兵をシベリアに収容し、強制労働をさせるなどした社会主義国ソ連とは一体何なのだろうかと考えていたが、〈武装せる予言者・トロツキー〉のなかでその答えは書かれていた。その本を平居先生は病床でも長女に読んでもらっていた。先生はそのことを理解していたのだろう。トロツキーの思想が今後の革命運動の鍵だ。」と鋭く語る。
 医療器関係器具の製造会社勤務の関さんは、「フィリピンにある工場の中の様子は、まるで女工哀史、時計の針を10分遅らせているのではないかと思えるほどの過酷さ。私は自分の権限で時計を5分進めている。それが資本論学習の成果かなと思う」と述べた。
 さすがひとりひとりがさまざま形で資本論の世界を実践し始めている様子がうかがわれた。女子大の馬場先生も学生時代の登山の様子を、息子さんと参加した山歩きが趣味の秀子さんと語り合うなど、短時間ではあったが非常に濃いひとときとなった。
 最後に秀子さんから、心温まるあいさつをいただき、ひとまず座を閉じた。

 夕方からは、文教常任委員会の5人のメンバーで大泉町の祭りに参加し、サンバの醍醐味を満喫した。ある委員はいう。「玉村町もだんべえ踊りじゃなくてサンバとラップで盛り上げようか」。誰も反対しなかった。

2010年9月8日水曜日

民主党代表選が過熱しているが、そんな脳天気でいいのかい

総理大臣を決める代表選だから、過熱するのは当然だろう。
しかし、どちらにしても展望のない政権とならざるをえない。「資本主義は行き着いてしまった」なかですべてのことは起きている。
 国鉄分割民営化から25年、何が起きているか。「日本航空の再建」の次に来るのは、JR北海道、九州、四国、貨物会社へのテコ入れだ。これらの会社は経営が成り立たないところまで追い込まれてしまった現実がある。国民の足を分割民営化したことで、地域による経営内容の格差が結局、弱いところからつぶれていくという事態を生み出した。利益の上がっている東日本会社が手助けするという発想が出てこない。国民の足を守ると言うところでの支え合いができない体質になってしまったのだ。。
 今度は道州制なるものを導入すれば、結局、国鉄と同じ道を歩むことになる。今言う無縁社会が拡散し、社会は崩壊する。

「資本主義は行き着いてしまった」とは、昨日、一般質問に答えた町長の言葉だが、ああ、そこまで気づいているのか、と思った。

菅も小沢も道州制推進論者、究極の民営化としてすべての労働者を非正規職に置き換えた行政に何を想像できるか。失礼だがコンビニ勤務感覚での対応では、たまりません。

行き着いた資本主義の後にどんな社会を求めるのか、今はそれを考え、実践することだろう。それにしても、ソ連スターリン主義の過ちは大きい。社会主義という言葉が言い出せないほど人々に悪い影響を与えている。