みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2012年2月29日水曜日

お薦めの一冊「ひとり舞台」山本太郎

土田君お薦めの本は「脱原発・闘う役者の真実」を副題とする「ひとり舞台・山本太郎」。
山本がドイツからベラルーシを行脚した姿から始まる。
 佐賀県庁に乱入したとして右翼に告発された事件とその顛末や、まぶしいほど真っ直ぐ生きる山本の姿を描く。
 あとがきで「太郎君を一言で言えば、礼節の男ですよ。撮影現場でもプライベートでもいつも周りに気を使って礼儀を忘れない。彼は役者なんだけど助監督や技術のスタッフと一緒に機材を担ぐのも厭わない。彼が原発に反対するのも礼儀ですよ。原発事故を知った以上、無礼者、無法者を許せないから、立ち上がったんやろうね。」との井筒和幸監督の弁を載せて声援を送る。
 もっと自由に生きようとする人たちにとって、必読の書。

 「沈黙の春を生きて」を観る。
ベトナム戦争でアメリカは枯葉剤を大量に撒いた。その結果、ベトナム人に多くの傷害を持つ子供が生まれ今も苦しんでいる。ベト君ドク君は象徴的な被害者だ。
ベトナムからの帰還米兵も枯葉剤の影響で兵士自身苦しみ、生まれてきた子どもたちも障害で苦しんでいる。
 これらの事態に加害国アメリカは全く責任を取らない。戦争に勝つためならどのような被害がどれだけの世代に渡り悪影響をもたらすかも考えず、あらん限りの暴虐で荒らし回る。被害に関しては知らん顔だ。広島への原爆投下を見ろ。
そしてどこの国でも戦争の実態は残念ながらそんなもんだ。
 「ときには戦争は仕方ない」などと少しでも考える傾向にある人は、この映画を是非観て、それでもやる価値のある戦争なんて本当にあるのか、考えて欲しい。

【シネマテーク高崎で3月2日まで】

明日から議会が始まる。予算書の奥の奥まで点検中。

2012年2月27日月曜日

玉村町・下之宮高侭遺跡現地説明会


下之宮高侭遺跡現地説明会が昨日現地で行われた。伊勢崎と玉村を結ぶ橋建設に伴う発掘調査の過程で、下之宮地区で発掘された堀や土塁、虎口などから戦国時代の館跡と推測される現地の説明を受けた。
 調査対象地は、館の南側の一部にしか過ぎず、100㍍級の方形の館だったと想定されるらしい。玉村町付近で発見された中世の屋敷遺構は50㍍級が多いので、大型の館といえる。主殿は現在の利根川の堤防下かその北側の竹やぶ辺りと推測する。
 外堀や虎口遺構は城といってもよいしっかりしたもので、これまで県内で発掘調査された16世紀の城郭の虎口を彷彿させるという。しかし、堀の幅は狭く、堀を筋違いにする「折れ」を設けていないなど古い要素もあり、量は極端に少ないが白磁の皿などの出土遺物は14世紀後葉や15世紀後半のものが出土している。
 関東は15世紀半ばから内乱状態に陥り、上野(こうずけ)でも城を造り始めている。この館も、15世紀後半以降に防衛機能と力を誇示する目的で改修されたものと想定している。
 今週からは一段と古い層に挑み、古墳の有無が確認できるかの調査にあたる。
古代から相当の人数の人々の暮らしを支えることのできた地域といえよう。

 この際だからどんどん気の済むまで掘り広げて当時の全容を明らかにして欲しい、との気持ちも沸くが、その時代とて歴史の一時期のものにすぎない。
 時間の縦軸(歴史)のその折々に様々な生活様式で生き、死んでいった先人たちの暮らしの積み重ねの末に現在があるとすれば、我々もそう遠くない将来、歴史の地層のほんの一部分になる日が来る。
 自然に死を受け入れることができる日が来るまで生きること、これに尽きると思うが、それだけじゃないから、穏やかなことばかりじゃないから、生きてることはやっかいだ。

2012年2月25日土曜日

原発とめよう群馬・連続学習会

昨年5月から連綿と続いている群馬会館での連続学習会。最初は1ヶ月程度の緊急学習会かと思っていたが、いやいや年を越し現在も続いている。
 毎月の土曜日(例外もあり)午前中の学習会だが、毎回20人ほどの人が参加し熱心に講師の話に耳を傾け、議論にもなるから不思議な光景とも言える。
 講師の田島さんは決して高名な人ではないが、熱心な勉強家で原発に対する根底的な疑問と怒りを持っている。このような事故が起きてしまった今こそ、深い怒りを込めながらも、真実を知る機会を多くの人と共有したい、そして原発のない社会を実現したい、と本気で考えている人だ。
 どこでどのように勉強しているのか知らないが、彼の手作りの学習資料は実に解りやすく、評判にもなっている。
 昨年5月、高崎市の労使会館での学習会で講師を務めて頂いた五十嵐先生から、「この資料を作った田島さんはどこの大学で研究しているのですか」と聞かれた。はああ、と言うしかなかった。

 思いつきで無責任極まる言動を繰り返し、民心を惑わす橋下徹、河村たかし、石原慎太郎らとは全く対極にいるその姿勢がいい。

 「ビキニ核実験と福島原発事故を考える」連続学習会の日程をお知らせする。
第1回 2月25日(土)
    「原発とは何か。放射能とは何か。」 本日好評のなか終了。

第2回 3月2日(金)午後6時~9時
「1954年3月1日ビキニ核実験]  ご参加ください。

第3回 3月10日(土)午前9時~12時 
    「2011年3月11日福島原発事故」
ご参加ください。

【いずれも群馬会館第3会議室】

2012年2月24日金曜日

3.11脱原発群馬アクション第3回実行委員会

群馬県教育会館で実行委員会が開かれ、3月11日高崎城址公園で開催される集会・デモその他の企画の具体化が議論された。
広範な呼びかけ人が集まっており、事務局での処理が間に合わないくらいだが、原発の再稼働を目論む推進勢力との力勝負の時が来る。
福島の厳しい現実を目の当たりにしたとき、原発を容認し続けることはできない。群馬での広範な大衆運動としての「3.11集会」をなんとしても成功させたい。
前橋から会場までマラソンで参加する企画も出てきた。出店企画も進んでいる。多くの参加者の共同事業として進めたい。
 政治を手にする醍醐味を「3.11」から始めよう。

第4回実行委員会は3月7日(水)午後6時30分から群馬県教育会館で

「福島の子どもたちに病院を」との打ち出しで「すべての原発いますぐなくそう全国会議」が3億円基金を呼びかけている。私も微力ながら群馬県の呼びかけ人になった。多くの方々のご協力をお願いしたい。



2012年2月22日水曜日

河村発言に適切に対応しなかった南京市の幹部降格処分

「南京大虐殺はなかった」と主張した河村たかし名古屋市長に対し、その場で的確な反論、対応をしなかったことの責任を問われ、南京に帰国した訪問団の上海市幹部が降格処分された、と南京の友人から連絡があった。
 「中国では大きな問題になっています。残虐な写真もたくさんあるのに、全くひどいことです。過ちを教訓化すればよいのに」とは友人の弁。
同感です。

2012年2月21日火曜日

「南京大虐殺はなかった」という河村たかし名古屋市長・・・恥ずかしくなるよ。

「南京大虐殺はなかった。」
事件後の1945年に現地に駐屯した父親が、南京の人にラーメンを作ってもらったからだという。
「事件があったら、日本人にそんなに優しくできない」とは河村たかし名古屋市長の弁。
 おめでたいを通り越している。あきれ果て、悲しみも沸くが、やがて怒りが沸騰してくる。その年まで何をして生きてきたのだ。
 当時、東京日日新聞で報道された「百人斬り競争」をした二人の軍人の写真が南京大虐殺の記念館に飾られている。これを見たときは本当につらかった。しかし、絶対忘れてはいけない、と心に誓った者として、河村市長の発言は認められない。

 撫順戦犯刑務所の日本人戦犯が、中国側の配慮で、北京、上海、南京などを列車で「観光」したことがあった。中国人による手痛い報復を覚悟していた戦犯たちは、しかし、そこここで民衆の歓迎を受けた。 侵略戦争の先兵となり多くの中国人虐殺に走ってしまった元日本兵に対し、「悪いのは日本軍国主義であり、ひとりひとりの兵士はむしろ犠牲者だ」という中国側の見解により、多くの戦犯が罪を許されたことは歴史的事実だ。
 中国戦線で日本軍が何をしたのか、全く知ろうとしない人がいる。事実を知ったところから始めなければならない。それが戦後の日本が歩むべき道だったはずだ。

 ああ、しかし、まともな歴史教育がなされていないためか、「英霊」をイギリス人の霊、真珠湾は三重県にある、B29は鉛筆の芯の堅さの表示、などという笑い話しのような状況になっているらしい。

 河村市長のような人物が政治の世界に多く存在し、国家・国益や正義を振りかざすのだから、たまったものじゃない。また誤った方向へ政治が進んでいくぜ。

 「中国帰還者連絡会」のホームページを見て欲しい。

2012年2月20日月曜日

某年某月的某一天


ある年ある日、広島に行く機会を得た。厳島神社に足を運び、ゆっくり散策しながら鹿のご機嫌伺い。
平清盛から毛利元就そして徳川から現在へと続く重層の歴史に圧倒される。
無名の人々の生き死にの積み重ねがここにある。

 午後は港から船で元安川の平和公園まで行き平和記念館を久しぶりに訪ねた。
日曜日のためか、多くの若者が見学に来ていた。僧侶の団体もいた。
原爆被害の現実を若者に知って欲しい。
私たちの社会は今、過去の悲惨な事実を後世に正しく伝えることの難しさに直面してるのではないか。

 10数年前、中国南京市の南京大虐殺の記念館に行ったことを思い出した。
現地でも多くの人々が記念館に足を運び、悲惨な事件の事実を記憶に留めようとしていた。
 【前事不忘、後事之師】

 過去の歴史的事実に目を閉ざしてはいけない。
ドイツの元大統領ワイツゼッカーの言葉を銘記しよう。
【過去に目を閉ざす者は未来に対して盲目である】

2012年2月17日金曜日

お薦めの一冊 〈さるぐつわ〉の祖国

〈さるぐつわ〉の祖国 古川利明著
 昨年10月初版の本で内容はかなりなもの。この間全く進展しない「拉致問題」に関し、多角的に背景をえぐり出している内容で大変面白い。
 帰国者5人が全く拉致事件に関し話さないことを「見えないさるぐつわ」として本書は進んでいく。

 朝鮮民主主義人民共和国の成り立ちから触れ、故金正日総書記の権力基盤を盤石にする過程(70年代後半から80年代にかけて)で、謀略活動を最大限利用する期間があり拉致事件が起きたのもその時期と重なる。その意味で一連の拉致事件は「金正日案件」といってよい。
 朝鮮労働党の内部事情、「主体思想」を体系化したのは金正日の大学時代の思想担当教授だった黄長燁(後に韓国へ亡命)で金正日と黄との関係を記し、一介のすし職人でありながら金正日の「専属料理人」になった藤本健二(ペンネーム)の話、(例えば、日本の料理はすべてカツオブシが基本になるのだと感心し、韓国の激辛キムチより日本の白いご飯と黄色いタクアンが好物だった。映画は「フーテンの寅さんが大好きで、見終わると機嫌がよくなって映画のワンシーンを真似する)などを紹介する。
1973年の「金大中拉致事件」、74年の「文世光事件」と続き、日、朝、韓の複雑な絡み合いを指摘する。
1990年9月、自民党・金丸信、社会党・田辺誠を代表する訪朝団が平壌入りし朝鮮労働党との三党共同宣言に合意し、日朝国交正常化交渉が始まった。金丸は当時首相だった海部俊樹の「自民党総裁」名による植民地支配を謝罪した書簡を金日成に手渡し、共和国のメンツを立て、懸案だった冷凍貨物船「第18富士山丸」船長の紅粉勇、機関長の栗浦好雄の釈放を実現した。この過程での双方の水面下の動きを暴いている。
 2002年9月17日の小泉首相の訪朝の目的は「日朝国交正常化交渉」の進展を目的とするもので、当時、韓国大統領だった金大中の仲立ちがあった。方向性は金丸訪朝団の「三党共同宣言」の延長線上にあったが「経済協力」と明記した点では一歩踏み込んだ内容だった。
 この会談の際、金正日は「拉致されるなどした日本人のうち、すでに8人は死亡、5人が生存」と発言した。これは首相秘書官飯島勲と朝鮮総連責任副議長許宗萬との打ち合わせ通りの発言だったが、「8人死亡」の衝撃が余りに重く、当初の目論みとは正反対に、「北朝鮮バッシング」が一気にヒートアップしていった。
 よど号事件にも触れ、よど号グループリーダーの田宮高麿の突然の死に対して筆者は金正日による謀殺説を唱える。(P156)
 そしてタブーとしての「拉致問題」に入り、皇室取材と同様、拉致問題に関して自由な報道がなされない異常な背景に迫っていく。
 まず「家族会」への支援活動を続けてきた「救う会」の異質さを指摘する。
「救う会幹部には日本の核武装や北朝鮮への先制攻撃まで訴える過激なイデオロギーを持っている人が多く、従軍慰安婦もなかった、強制連行もなかった、という立場の人が多い。家族会設立当初は、多彩なメンバーを擁していたが、近年はそのようなイデオロギーを持つ人が中心に座っている。」とは家族会を事実上追放された形になった蓮池透の言葉。(手記・拉致左右の垣根を越えた闘いへ)
 さらに「家族会」「救う会」と行動をともにする形で超党派の国会議員団「拉致議連」がある。安倍晋三、石破茂、中川昭一、米田健三、西村眞悟といった「保守」というより「超タカ派」議員がこぞって参加していた。
 このような状況を受け、「家族会」のスタンスが「救う会」や「拉致議連」のイデオロギーに引きずられていった。その「自民党内のタカ派」がブレイクする路線を縁の下で支えていたのが公明党=創価学会・池田大作である。「自公体制」という安定政権の枠組みがあって、「北朝鮮バッシング」「対米追従の軍備強化路線」に拍車がかかった。
 「建国義勇軍」事件と「救う会」の関係を描き、一方、「拉致」を否定して北朝鮮と日本を行き来する寺越武志にも触れる。
 筆者は帰国者5人を尋ね、彼らがほとんど喋らない背景に迫る。
曽我ひとみの夫ジェンキンスの生い立ちから北朝鮮への脱走、日本に来るまでの経緯を詳細に書き、「蓮池薫が拉致しに来た」と主張する横井邦彦にも迫る。そのことをすぐさま「事実無根、嘘である」と発言した「御用学者」重村智計をキチンと批判し、そのようなデマ発言をしてもメデイアから干されない状況の深刻さを指摘する。
実は、公安警察は、蓮池薫が工作員として日本に密入国していたことを知っていた。
拉致工作員辛光洙に関しては多くのページを使い詳しく書いている。

「新潮45」09年4月号の鹿島圭介の記事「横田めぐみさんは死んでいる」を紹介し、当時、警視庁副総監だった米村敏朗が「横田めぐみさんは死んでいる」と発言、「あくまで個人的な思いだが、俺はそう思う」と加えた。彼は警備・公安畑の中枢にいて捜査情報を当然持っている人物だ。
めぐみさんのものとされた骨のDNA鑑定の問題にも触れ、警視庁がミスリードしたとする。

「家族会」の支援と称して彼らを取り込んでいる「救う会」その背後にいる保守系団体や右翼の存在が、タブーを大きくさせ、真実を語れない要因となっている。拉致被害者や「家族会」のメンバーは政権与党の権力維持や「救う会」のカネ集めのダシにされているに過ぎない、少なくとも「救う会」が本当に「拉致問題の解決を願って運動している」とは思えない。自らの保守的なプロパガンダを訴える「マスコット」にしているだけ、とし今後日本が取るべき外交の選択肢とは、韓国、中国と連携しつつ、むしろ日朝国交樹立により、段階的に北朝鮮の民主化を支援していく方が「急がば回れ」であるような気がする、と書く。
 最後に、ひとりひとりが、勇気をもって、真実を語っていくことで、目の前に存在するタブーをひとつひとつ消し去る努力の中に民主化は存在すると指摘する。(全478㌻)

 誤植が少し気になったが、決して一方に偏った内容の本ではない。むしろ、拉致問題に関する対応の余りの貧困さにしびれを切らした著者が書きつづったもので、納得の一冊だ。是非、読んでみて欲しい。

2012年2月15日水曜日

2012 朝・日友好親善新春の集い

恒例の「朝・日友好親善新春の集い」が高崎市のビュー・ホテルで開かれた。私自身楽しみにしている催しなので毎年参加している。
富岡高崎市長の友好的積極的な挨拶もあり、会場は暖かい雰囲気のなかでの集いとなった。
角倉、後藤両県議、山田ゆきお市議夫妻の元気な顔もあった。
 角田義一さんともじっくり話ができた。角田さんの父儀平治先生の映画も完成し「春には伊勢崎・玉村で上映会を開いてよ」の依頼に、二つ返事をしなければならない関係になっているので当然「任せてください」と言ってしまった。安請け合いでしょうか。
 それにしても松浦高崎前市長は25年間連続参加、それも集いが閉じるまで帰らないという姿勢は、日本と朝鮮との関係は大事なんだよと無言で示しているように思えてならない。
松浦さんからは閉めの挨拶を頂いた。
 もうすぐ高崎映画祭の季節だ。


 

2012年2月13日月曜日

母が大変お世話になりました。

8日早朝、入院中の母親が急変しそのまま息を引き取り、昨日の葬儀となりました。突然のことではありましたが、母の84年の人生のその折々に彩りを添えて頂いた方に御礼申し上げます。

 こういうときは普段会えない人に会うことができ、例えば学生時代の友人もそう。懐かしさもあるが、現実の重さに、改めてこんなことでいいのかと深刻な気持ちになってしまった。
 横浜市役所勤務の鷲巣、上尾市役所勤務の新宮、東武建設役員の飯野、都内で資格者を6、7人抱えている司法書士の飯塚、会社経営の金子治三郎、JRの正社員の金子剛、横浜の梨農家持田、出世とは無縁のマイペース警察官狐塚、そして秋山局長はいい。
 しかし同じ年ながら、時給800円以下で同じ会社に10年間も勤務している同級生もいる。
月に9日の休暇を取ることを会社から求められており、1ヶ月働いても11万円程度、ボーナスはなく年収で130万円程度という。正社員は組合もあり、そこそこの収入だが、臨時採用はいつまで経っても臨時雇用で、すでに彼は10年勤務になる。回りにそんな人がたくさんいるという。
 改めて格差社会の厳しさを実感した。「これからの希望なんかありゃしない」とは独身の彼の弁。
 地域を構成し、支えているのは恵まれた環境の人ばかりではない、ぎりぎりのところで生活をしている多くの人々がいることを改めて思い知らされた。
 1000万人を優に越している年収200万円以下の労働者群、この存在を見て見ぬふりはできない。低賃金労働に支えられて成り立つ社会はイカンよ。

2012年2月11日土曜日

「黄金を抱いて翔べ」の映画ロケを見に来ないかとの井筒監督から土田君への誘い

高村薰原作の「黄金を抱いて翔べ」が井筒和幸監督により映画化される事になった。
【「反逆」をテーマに生きる男たちにとって、世界一の労働とは、真の自由とは何か。現代の閉塞感や鬱屈感は黄金の前で全て解放されるのか、この映画を通して見つめたい。】とは井筒監督の弁。
 その映画ロケが世田谷の砧で行われているので見に来ないか、と監督から土田君に連絡があり、早速これから行くという。監督とツッチーはいいコンビだから行っといで。
「撮影が一段落したら、山田ゆきお市議が監督と会いたいと言っていたことも伝えて欲しい。」
 私はこの2日間は取り込み中でなんとしても無理です。

2012年2月4日土曜日

好きなように生きていろ。


今日、前橋・弁天通りの大蓮寺2階本堂で上映された「RADIOACTIVISTS」を観た。いってみれば「素人の乱」の企画したこの間の脱原発デモを中心に撮ったもの。
 その会場で我が深町先輩に会ってしまった。深町さんとは因縁の関係でかねてから、打ち合わせもしないのに、ソビエト映画上映会やその他の集会で幾度となく会ってしまっている。
 話が長く自己主張が極端なため(情熱家の証拠)土田君に「伊勢崎のトロツキー」と渾名されている人物。「いよいよ深町さんの時代が来ましたねえ」と言えば「全くそうなんだけど極めてプアーなんだよねえ。闘う資金不足だ」とくる。行動力にちと欠けるが愉快な先輩だ。
 西園先輩は自分の本棚の写真を撮って持って来てくれた。現在は神職ゆえさぞ健やかな毎日と思えば全くその通り。「好きな本を貸すよ」と笑顔で話す。
「国家神道」「藤原四代もの知り帖」「歴代天皇辞典」「日本呪術全書」「古史古伝大系」「謎の竹内文書」「神に関する古語の研究」「私訳歎異抄」「旧約聖書」「新約聖書」「世界の宗教」と写真で見るだけでも200冊ほど。しかしまだまだすごい本を持っている。
 この正月、「伽耶を知れば日本の古代史がわかる」という本を1年がかりで読み終えた。
(卑弥呼は伽耶の金首露王の第一王女、妙見である。卑弥呼=神功は日本史学会の定説だったが古事記伝を記した本居宣長(1730~1801)が偽史を仕立て上げた。日本は朝鮮半島からの渡来人及び文化の流れを受けていることを本居宣長以前の学者及び人々は当然のことと認識していた。)という内容の本だ。
 西園さんとの話は実に面白い。神職だから保守的と考えがちだがイエイエとんでもない。講演会でも構えたい程だ。
 そして梅沢君、最近佐高信に入れ込んでいるようで「日本官僚白書」「会社はこれでいいのか」など5冊を持ち込み、「新自由主義を何とかしろ」と言って帰って行った。
栗原君はチャイナ・ミエビル著「都市と都市」を置いていくし、秋山局長からは団鬼六著「快楽なくして何が人生」をいただく。「腑に落ちるとはこの本のこと。最優先で読め」とは秋山評。
 最後は土田社長、通信販売で買い込んだ雑誌のめぼしい記事の紹介と評論、ヌードカレンダーを持ち込み「事務所には飾れないでしょう」と言うからガッチリ飾ってやった。
 ここまで来ると、芥川賞を受賞した田中慎弥がふらふらしながら「共喰い」を持って来る妄想までしてしまう。持ってきたら読んでやる。
 みんな、好きなように生きていろ。

追伸
 中里智恵子さん宅に3.11集会の呼び掛け人のお願いに行ったら、「脱原発は当然よ」ということで快く呼び掛け人に著名し賛同金も一口頂いた。
「ところで」というので何かと思ったら「私、アメリカへの旅という本を書いたのよ。お金もかかっていることなので回収する必要があるので、どうにして売ったらいいかしら」と相談を受けた。
「アイルランドの旅」「デンマークの旅2001」に続くもので(人生100歳への時代へ)が副題だ。
とりあえず一冊買い求めて、読んでから売り方の相談をしましょう、ということになった。
中里さんは前期まで玉村町議会議員をしていたこともあり、ときどきご機嫌伺いをしている。
 みんな、しぶとい。たいしたモンよ。

2012年2月2日木曜日

3回目の脱原発アクション実行委員会は2月22日群馬県教育会館3階中会議室にて

3.11さよなら原発アクションに向けての実行委員会が群馬県教育会館で開かれ、満席の盛況の中、これまで決まったことの確認とさらなる課題の検討が行われた。次第に当日のイベント内容が決定されていく。

3月11日当日の会場は高崎城址公園(高崎市役所前)
会場準備を午前8時頃からはじめ、11時頃から呼び掛け人等のアピールを始める。
福島現地から避難している人の発言も是非お願いしたい。制服向上委員会の参加もあるので若い世代の発言はどうしても必要だ。等々有意義な意見が相次いだ。
 その他、脱原発パネル展示や出店企画などの打ち合わせもこれから具体的に始まる。
 コンサート部門には制服向上委員会、南條倖司さん、石坂亥士さん、荒馬座、藤岡フラワーク、浜岡正さん、よーぴん。ソルテーなどが決定。
ゲストスピーチにはすでに高木久仁子さんも決定している。
 ポスター2種類各100枚、チラシ2種類各3万枚はすでに印刷済み。
1.群馬県労働組合会議(027.221.2093)
2.群馬県平和運動センター(027.236.0663)
3.原発とめよう群馬(090.4432.6746大塚)
の3ヶ所に万の単位でチラシを配置したのでどんどん活用して欲しい。

 福島の原発被害は想像を絶する事態になっている。政府は子供たちを避難・疎開させる施策も取ろうとしないばかりか、収束宣言を出してしまった。地域が崩壊しているというのに全くふざけきった話だ。
必死の収束活動をしている原発労働者の置かれた過酷な状態をメデイアはどれだけ報道しているか。群馬の放射線量の高さも見逃してはならない。
この数年に日本の未来がかかっている。
 保身だけに生きている政治家連中に原発問題の行方を任せきっていたら取り返しのつかないことになる。放射線は人を差別しない。党派のたいしたことのない壁などぶち破り、真っ当な民衆が政治を取り戻さなければならない。
 福島との連帯を掲げた3月11日の集会はそのような本質的意味を持っている。

 次回実行委員会は昨日と同じ群馬県教育会館3階中会議室、時間は午後6時30分と決定、多くの人の参加をお願いしたい。

2012年1月31日火曜日

ドイツからのメール

久しぶりに友人カール.ツッキーからのメールが届いた。福島原発事故直後に家族全員(3人)で玉村町からドイツに避難したことは父親から聞いていた。環境問題や原発に対する感性は鋭いものがある。
 彼が学生の時、資本論を書いたカール・マルクスが青年時代暮らしていたアパートに住んでいたという。本当かいと疑ってしまったがそれは事実らしい。歴史は積み重ねられていくことを実感する。
ツッキーは30代の翻訳者・日本語も完璧だ。承諾を得て全文掲載する。我々ももっと自由に生きていいとつくづく思う。

       記
こんにちは、ご無沙汰です。
ご存知かと思いますが、去年3月に家族とドイツに戻りました。
いつかまた日本に移住するかどうかは、まだ完全に未定状態です。

ところで、今日本で「緑の党」を作ろうとしている「緑の未来」会に、彼らの来独派遣団体(視察旅行)の同行通訳を偶然頼まれ、快諾しました。

それで、1月22日~27日の間に、緑の未来の市議員など日本人12人とドイツ全国を旅し、放射性廃棄物の地層処分地、試掘場、反対運動の一大地方リューヒョー・ダネンベルク郡、バーデンヴュルテンベルク州環境大臣、テュービンゲン市長(2人とも「緑」)、様々な都市事業公社など、色々エネシト・再エネ、脱原発、市民参画、市民運動について見学、対談して、また、ベルリンのコッティングウール
下院議員(緑)とお食事会も開きました。(ドイツ首相に、日本の脱原発に向かって外圧を掛けていただくことも頼みました。)

仕事とはいえ、自分も色々考える機会となり、緑の人たちと非常に気が合ったというのもあって、日本に必要な運動はこれだ!、自分も参加したいのだ!と決心しました。これから、自分の出来る範囲で色々運動に貢献したいと思います。
(おそらく「緑の党ドイツ支部局」または「緑の党ドイツ連絡員」になります。)

僕の言葉でまとめると、「緑の未来」の目標は主に以下です。
・まず第一は、原発を止める
・その延長線で「再生可能エネルギー」へのシフトを実現する
・もっと広い意味では、自然環境全般を守る・元気にする
・市民が元々持っていたが奪われた「つながり」を取り戻す(⇒地域社会)
・発電も経済も権力も「分散」させる(⇒地域社会)
・経済成長に頼らなくても豊か・幸せな生活ができる環境・制度をつくる

石川さんも色々、脱原発に対して地元で頑張っていると義理の両親から聞きました。だから、同じ発想の人として、彼らとつながって、「合流」していただけませんか?

義理の両親にも地元の知り合いや親戚にも、運動への参加を勧めたいのですが、群馬支部・玉村支部などはまだまだ存在しないのですね。
でも、群馬にも非常に必要だと思います。

石川さんは何か似たような組織・会などを計画していますか?あれば是非教えてください。
まだなければ、「合流」を是非検討してください。
 
原発を止めるのには、具体的にはあと2年ぐらいしかないと思います。その機会が過ぎたら、日本は今までの続きでもう良い方向には変わらないと思います。

また、メーリングリストなど、イベント情報を発信してもらえるように僕のメールアドレスも登録していただければありがたいです。

今回の視察旅行に興味を持っているようであれば、色々情報や資料をメールでお送りします。

よろしくお願いします!

ツッキー・カール Karl Zucchi



追伸
緑の未来とのつながりについて、もう一度強調したいのですが、「脱原発だけ」が目標なら、上手く止められたとしても、目標達成後に社会自体は元通りに戻ってしまいます。それと同時に、地域だけの運動として、(もちろんすごく重要な活動ですが)届く範囲も限られているため、それを上手く全国のもの、周辺のもの、発想の近いものと色々つなげないと行き詰まりの可能性も感じています。
そのため、今年中に「緑の党」を設立しようとし、来年に初めての緑の参議院席を取ろうとしている全国運動「緑の未来」と是非合流してください。

脱原発をはじめとして、社会全体を元気に戻す運動ですので、皆さんの子供や孫にもっといい社会を提供したいという気持ちが少しでもあれば是非一緒に頑張ってください。
力を合わせれば、10年後の日本はいかに素晴らしい国になれるか、想像してみてください。

2012年1月27日金曜日

琵琶湖近くの国際文化研修所で研修

「自治体予算の編成」と題して今日から二日間の研修をしている。琵琶湖まで歩いて10分ほどに位置する国際文化研修所だが、施設も整い、研修内容も豊富で全国の市町村議員がここで学んでいく。
玉村町議会もほとんどの議員が研修を受けた。最後に残ったのは石川だけということで初めての参加となった。参加者の中には20回を越える議員もいて、近くにこのような充実した研修所があるのがうらやましい。
 明日は朝食前に琵琶湖散策といこう。唐崎神社の松も見たい。
京都駅まで湖西線で20分足らずの近さ。唐崎駅の隣の駅は大津京、歴史を感じさせる。

2012年1月26日木曜日

テント広場を守れ。経産省に今すぐ抗議の声を

以下の緊急要請あり。早速、大臣官房へ抗議の電話した。

【原発事故により大変な目にあっている人たちが経産省の敷地に集まり声を上げることは、当然のことであり、直接被害者の声を聞ける場なのだから、むしろ感謝して対応して欲しい。
自民党じゃあるまいし、排除などとはとんでもないこと。何のために政権交代したのだ。人民は怒っているぞ。枝野さんに必ず伝えるように】と電話した。若い女性の低姿勢での対応だった。表現の場としてのテント広場を守れ。

  以下要請文
経産省前テントひろばの高橋幸子です。
昨日、枝野経産相がテントひろばに対し退去命令(1月27日まで)を出しました。

テントひろばが4ヶ月半も維持されてきたのは、全国や世界各地の方々が交流し、情報を共有し、文字通り「反/脱原発のみんなのひろば」になっているからです。枝野経産相がすべきことは、テントの撤去ではなく、原発の停止・再稼働の停止です。

テントは、原子力政策を全く顧みず、あまつさえ原発を再稼働させようとする経産省に対し、抗議のため、やむにやまれず建てられたものです。
原発停止のために人々がつながろうとする事さえ許さない枝野経産相の撤去命令は決して承服することができません。

今動かなければ、警備員や警察官を大量導入した実力行使も十分に考えられます。 ぜひ、枝野経産相と経済産業省に『テント撤去の中止を!』との抗議のFAX,電話、メールをしてください。よろしくお願い致します。

★☆★☆★☆★☆★☆★★☆★☆★☆★☆★★☆★

経産省テントひろばは、脱原発のためのみんなのひろばです。
枝野経産相と経済産業省は、テント撤去ではなく、原発停止・再稼働停止をしてください!!
枝野経産相と経済産業省に『テント撤去の中止を!』とのファックス、
電話、メールを集中してください!!!

【経産省】
大臣官房 (TEL)03-3501-1609
広報 (FAX)03-3501-6942

【枝野幸男経産相】
[国会事務所]
(FAX)03-3591-2249 (TEL)03-3508-7448
[地元・大宮事務所]
(FAX)048-648-9125  (TEL)048-648-9124
(E-mail)omiya@edano.gr.jp

2012年1月24日火曜日

府民が橋下徹前大阪府知事に96億円賠償せよと訴える

何を言っても聞く耳を持たない橋下の態度がまるで「変革者」のように見えるのだろうか。自民、公明、民主までが「維新の会」の些細な動きにまで異常と思われるほど反応する。
 真実、彼は無責任な人物だ。
 橋下は大阪城近くの府庁舎を、埋め立ての人口島である咲洲(さきしま)で事実上破産状態になっていたWTC(ワールドトレードセンター)ビルへ全面移転させようと2010年6月に85億円で購入、改装工事、一部移転費用含めて11億円を支出した。しかし、昨年3月地震で、震度3にもかかわらず、350ケ所以上の補修を要するなど耐震性への不安を露呈した。府民や専門家などから相次いで安全性、防災拠点としての問題性などを指摘され、昨年8月全面移転は断念された。
 この間、議会は二度にわたり移転案を否決しており、議会を軽視した橋下の強引な手法は首長として大いに問題、として橋下前府知事に対し96億3000万円の損害賠償請求するよう松井現知事に求める訴えだ。
 府市二重行政の非効率を叫びながら、一方で橋下のこのような巨額の税金無駄使いを放っておいていいのか、ということで府民がいよいよ動き出した。
 3月2日には「WTCビルの購入と庁舎移転に費やされた巨額の税金を橋下前知事から取り戻す会」の正式発足総会を兼ねた記念講演、決起集会が開かれる。

2012年1月23日月曜日

貫井孝道町長3選なる

厳寒の町長選だったが、貫井さんが8085票、羽鳥さんが5865票という結果になり、貫井町長の3期目の当選が決まった。
トップが代わればよい方に向くこともあるが、逆の場合もある。今はそのときではない。国の混乱状況を考えれば、落ち着きある行政を着実に進めることが町民生活にとり最善の道と思う。
 五十嵐伊勢崎市長も斉藤議長と一緒にお祝いに来てくれた。高崎からは松本もとしさんも駆けつけてくれた。これまでの信頼関係の継続こそ力だ。

名刺交換から始めるのでは、信頼関係醸成の期間だけ停滞してしまう。これでいいのだ。

2012年1月22日日曜日

2月1日の呼び掛け人会議の会場が前橋市の群馬教育会館に変更となりました。

2月1日開催予定の〈3.11さよなら原発アクション〉の呼び掛け人会議の会場が高崎労使会館から前橋市の群馬教育会館に変更された。時間は午後6時30分から。
 2種類のチラシも用意でき、制服向上委員会、高木久仁子さんの参加も決まるなど次第に準備も整いつつあるなか、より具体的に集会内容やデモの企画などを詰める大切な会議なので多くの人の参加をお願いしたい。

 昨年4月以降、全国で延べ10万人を越える人々が脱原発デモに参加したという。これは学生運動が高揚した1968年を上回る勢いだ。
 こんな危険な原発を日本列島を取り巻く形で54基も作ってしまった(まるで自爆装置ではないか)ことに対する悔悟の念からでもあるだろう。
遠い将来にまで危険負担を負わすことのないよう「今すぐ原発を止めよう」との庶民の強い意志で、これこそが未来に対する責任ある行動だ。

 昨日は「低線量被曝の脅威」と題して関根一昭さんの講演の後、小雨降る中、藤岡市内デモが行われた。100人ほどの規模だが、全国至る所で大小規模の反原発デモを敢行し、地熱を上げることにより原発推進勢力に対抗する政治力をつくり出すことが必要だ。デモは大切な表現行為だ。

 今日は玉村町長選投票日、さて結果はいかに。
ということで、映画「ゴーストライター」。
ロマン・ポランスキー監督作品で2010年度ベルリン国際映画際銀熊賞を受賞した。「戦場のピアニスト」から9年、まもなく80歳を迎える監督が描いた本格的サスペンス。
 元英国首相から自叙伝執筆を依頼されたことから始まる一連の流れはどうしても、ブッシュと組んでイラク戦に突っ込んでいったブレアとダブってくる。まあそうだろうが、とにかく見応えある作品だ。
暗殺者がその場で暗殺されるなど見事な口封じと最終場面での元首相の妻さえCIA要員と暴かれるシーンは見事と言うしかない。
 シネマテーク高崎で2月3日まで。

2012年1月20日金曜日

人は繋がっているのが世の中、こんなことも。

 先日、県議の小川晶さんに久しぶりに電話した。3月11日高崎での「脱原発集会」への参加依頼だ。
 その話の中で、玉村町に友人がいることもあり町長選挙事務所に顔を出したい、友人の義父は事務所に詰めていて、姓は内山と言うではないか。あてもなく先輩の内山設計に尋ねると、まさにその内山さんだった。お互い驚いた。
 千葉県出身の小川さんの親友が私のすぐ近くで設計事務所を営む内山先輩の息子さんと結婚しているとは全くの想定外。でもこういうことは世の中いっぱいある。これも縁でしょうか。
 世界中の人々、本当はどこかで繋がっているんだ。同じ猿から進化した出自を思い出した方がいい。「人類皆兄弟」とはいい言葉、では戦争は兄弟喧嘩か。
 自然のなかで生まれ、生き、死んでゆくのが自然なはずだが、そうはさせてくれない社会はやはり変える必要がある。