どうも発案は八幡宮宮司の梅林さんらしい。
車中、大塚先生の講義が自然と始まる。
「忠治が首をはねられた時、次郎長はまだ16歳。二人は会うことはなかった。忠治は反権力のアウトロー一本の人生、悪いこともたくさんしたけど、貧民救済などいいこともしていた。その辺を評価し町おこしに使えばいいのに」と言うが、そう単純ではない。
イメージは相当悪いからねえ。
次郎長の生家を巡り、墓のある梅蔭寺の遺物館を時間をかけて歩いた。
山岡鉄舟の書いた「精神満腹」の意味を大塚先生から聞く。
受付の女性は、まだ入ったばかりで次郎長のことは多くは知らないという。
受付嬢、次郎長には4人妻がいて、みんな「お蝶」と名付けたなどと聞くと、目の色が変わるのがわかった。
まあ、大塚先生、とにかく、物覚えがよく、水戸天狗党から忠治、次郎長と流れるように語ってしまう。
そこに高橋敏著「清水次郎長」(岩波新書)が置いてあったので一冊購入した。
高橋敏先生の本は何冊か読んだが、とても勉強になる。
「忠治を男にした女侠」は菊池徳を書いたものだが、当時の群馬の養蚕を中心として栄えていた時代背景がよく出ている。
その足で伊豆温泉村に行き、「万福・百笑の湯」につかる。
ここがすごい、とにかく色んな風呂があるのだ。
イスラエルの風呂とかなんとかいう塩分が30㌫以上の風呂に入ると体が浮くので重力感がなくなる。
韓国サウナ、備長炭サウナ、麦飯サウナ、砂風呂、岩盤浴、箱蒸し風呂、そして草津の湯もあり、じっくり楽しめる。
玉村町には夜8時頃着、往復800㎞の日帰りの旅は、とにかく、あわただしく落ち着かなかった。
後日ゆっくり整理しよう。
生家は町中にあった |
受付嬢相手に次郎長を語る大塚先生 |
山岡鉄舟の書「精神満腹」の意味を教える大塚先生 |
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