1923年9月1日の関東大震災に際し、デマ・流言飛語により全国で6000人とも言われる朝鮮人が日本人の手により虐殺された。
藤岡市でも9月5日、藤岡警察に「保護」されていた朝鮮人17人が、警察に乱入した自警団により虐殺された。
当時の藤岡警察は成道寺の隣にあり、当時の藤岡町長の依頼で成道寺に埋葬された。
以来、墓地には犠牲者の慰霊碑が建てられ、先代の住職自筆による当時の状況が書かれている。
〈流言や官民やや狼狽の色ありて、各県皆在郷軍人会、青年団、消防団を持って自警団を組織し、各自獲物をもって昼夜警す。
ただし、警察、役場より通知を発し組織せしむ。なお、警察は自警団に対し朝鮮人を発見次第警察に同行して来たれと命ず。
ときに人心激高の極みに達し、朝鮮人と見れば皆敵国人を見るがごとく、殺気充満す。
たまたま、新町鹿島組配下岩田金治郎方に雇いし者12名、他より5名、当藤岡署に保護す。
民衆9月4日武州本庄町神保原にて百数十人撲殺の実況を視察し、藤岡もかの例にならい、国賊朝鮮人を撲滅すべしとなし、警察に談判すること数日、ついに夜8時ごろより10時、民衆数千人警察前に集まり、拘置所を破壊し、16人引き出し、門前にて撲殺し警察に並べて死の山となす。
なお7日の夜、民衆非常に激昂し、残りの一人の朝鮮人を拘置所より出し、殺し、警察を破壊し、8時より11時までまったく無警察状況となり。
乱暴すること非常なり。当夜警鐘を乱打す。
18日町役場より命を受け岡住豊吉(朝鮮人の日本名)ら17名の朝鮮人の死体を集め大葬す。即ち、遺骨は成道寺墓地に埋める〉
事実、こういう惨劇が日本中で起こったのだ。
このようなことを二度と繰り返さないためにも、被害者の供養と日本人の反省、そして日朝、日韓の友好親善を誓い合う場としての「慰霊祭」が8日、成道寺で行われ多くの人が参列した。
国会議員としては桑原さん、三宅さん、自治体議員も何人か参加した。県民会議の猪上さん、藤岡副市長はかなり踏み込んだあいさつをした。
地元の人は、親から当時の社会の雰囲気や虐殺の模様を伝え聞いているので決して過去の事ではない。
この関東大震災に伴う朝鮮人虐殺事件は、驚くことだがほとんど真相解明が行われていない。政府がまったく動かないのだ。
この政府の不作為がどれほど日朝、日韓関係に悪影響を与えているか想像すらしないようだ。
一方、拉致事件に関しては声高に叫び、「経済制裁」も思いっきり発動する。
「加害」という自分の都合の悪いことには口をつぐみ、「被害」ばかりを主張する態度はどう見ても「美しい日本人」の態度ではない。
維新勢力がいよいよ政党化し、その橋下徹の膝元へ草木もなびくように国会議員指向の面々が恥ずかし気もなくすり寄る。
維新は本質として、自民党以上に国家主義、極右政党であることをわかってんのか。
働く者や弱き者との共生など一切関心なく、力ある者の政治を有無を言わさず貫徹しようとする許しがたい政党だ。
こういうときだからこそ、歴史の事実に学び、そこから未来を見据える運動が求められる。そのひとつがこの「慰霊祭」だ。
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